カフェモンマルトル

text:高野雲

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「道場破り」ならぬ「ジャズ喫茶破り」の話

      2016/12/18

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kissa

最近、仕事を通じて仲良くなった人がいます。

どうりで波長が合うな~と思ったら、後になって分かったのですが、その人ジャズ好きだったんです。

だから、先日、ジャズバーに飲みにいきました。

ジャズの話をすると、妙に詳しいんですよ。

かゆ~いアルバムや、演奏内容をよ~く知っている。
さらに、地方の色々なジャズ喫茶のことも知っているし。

もしかして、この人、ジャズ喫茶のマッチ集めが趣味の人なのかな?とも思ったんだけれども、そうではないらしい。

さらに、最近のピアノトリオだとか、癒しの要素をジャズに求めている、ゆる~いジャズファンに対しては非常に手厳しい。

バカとまでは言ってないけれども、癒しジャズに頬を緩めてるオッサン連中には呆れている。
そんな彼、私に色々とジャズに関する質問をしてくるんですが、それに応えると、「ああ、やっぱりサスガですね」と嬉しそうな顔。

なんだかテストされているみたいな感じだなぁと思ってはいたんですが、「サスガ」と言われると嬉しいので(単純)、別に何を訊かれてもヘッチャラです(単純)。

私のほうにも色々と質問をしてくるんですが、それに応えると、「ああ、やっぱりサスガですね」と深く頷いてくれる。

なんだかテストされているみたいな感じだなぁと思ってはいたんですが、「サスガ」と言われると嬉しいので(単純)、別に何を聴かれても平気のヘッチャラです(単純)。

その人と波長が合うのは、ジャズがバックグラウンドにあるからなんだなーと思ったら、妙に文学にも詳しい。

さらに、言葉の感覚にも非常に敏感。

彼はモノ書き、ではないんですが、非常に鋭い言語感覚を持っている。

そして数日後、またもや、発覚したのですが、この人、昔は、「道場破り」ではなくて、「ジャズ喫茶破り」が趣味(?)だったそうなのです。

これが分かったのは、なんとなく二人で、東北にある某有名ジャズ喫茶の話題になったことがキッカケ。

「その店は、半ば伝説と化したジャズ喫茶だが、言われているほど大した店でもない。マスターは初対面の客や、本を書いてもらおうと電話をしてきた編集者に話す話題といえば、自分の店に去来した芸能人の自慢話ばかり。地域としては、全国的に名の知れた観光名所なわけで、地元からは“観光資源”として大事にされているのだろうけれども、それで図にのっているのかどうかは分からないが、地元の文化人、名士気取り。有名人のライブがあるときは、地域の学生に無報酬で店のレイアウト換えるためにテーブルやイスの移動の手伝いをさせ、気に入らない人にはコップの水をぶっかける(知り合いの目撃談アリ)。リクエストを受け付けないのは店の方針で仕方ないにせよ、調子にのって、かかっているレコードのリズムとは微妙にズレたヘタクソなドラムを急に叩き出してご満悦顔だったりと、見ていると哀れになるほど滑稽。たまたまその店を訪れると、1年前とまったく同じ順番の選曲でレコードが流れている。つまり、客にジャズを聴かせるという意識ではなく、店はあくまで自分のための“遊び場Wのようなもの。日本全国から“詣で客”がひっきりなしに訪れ、勝手に崇め奉ってくれるから、店の中では好き放題、やりたい放題。客相手に商売をしているという意識がほとんど感じられない。」

といった話をしたら、彼も「まったくそのとおり!」と身をのりだして同意。

彼も、何度かその店に行ったそうですが、音は世間で騒がれているほど大したことがないので、ハッキリと「音、あんまり出てませんよね。スピーカー前中央の座席もデッドポイントなんですか?」とマスターに直に言ったこともあるそうな。

この店を、無条件に崇めているジャズファンも多いようだが、それは、自分の中に確固とした「ものの見方」「自分なりの鑑賞基準」が出来ていない証拠で、自分の頭と耳を使って判断をしようとせず、風説をなんとなく信じ込んで「良い」と思っている人がいかに多いことか。
マスターは本も出しているし、この店を舞台にした小説も書かれているから、それだけで、スゴい!と崇め奉っちゃう人って多いんだろう。

でも、それって、札幌のラーメン横丁のラーメンなんて大して旨くもないのに、自分の舌で判断せずに、ただ「札幌のラーメン横丁のラーメンだから旨いに違いない」という先入観で満足してしまっているのと同じようなものだよね。
ああ、なんか最近、世間的に、そういうモノの良いか・悪いかの価値判断力がどんどん低下してきていると思いません? みたいな話で盛り上がりました。

話がひと段落すると、彼がポツリと、言いました。

「オレ、じつは、昔はジャズ喫茶破りだったんですよ」

どうりで地方のジャズ喫茶にやたら詳しいなと思っていたら、全国のジャズ喫茶を回り、それどころか「破り」、までをしていたとは。

ジャズ喫茶「破り」とは何か?
どうやって「破る」のか?

それを尋ねてみました。

まず最初に10年以上前に言った吉祥寺の某有名ジャズ喫茶の話。
アルバイトの男女がカウンターの中でペチャクチャと談笑している。

ジャズのボリュームは絞り気味で、むしろジャズのボリュームよりもアルバイトの雑談のボリュームのほうが大きい。

しばらく我慢していたんだけれども、男女のペチャクチャはいっこうに収まる気配なし。
彼は、リクエストしたら、大きなボリュームでかかるだろうと判断し、リクエストしたのだそうです。

普通なら、お客さんが聴きたがっているアルバムを聞かせるために、ボリュームを上げ、会話をやめて静かにしているのが常識ってもんなのに、リクエストしたアルバムがかかっている間も、男女アルバイトの会話はやまない。
しかも、ボリュームは相変わらず絞り気味。

いい加減頭にきて、「なんだお前ら!」と怒鳴りつけて説教し、その店を後にしたそうな。
以来、彼は、店主不在ゆえのアルバイト放任のこの店にダメ店と烙印を押し、一度も足を踏み入れていないとのこと。

くわえて、この店のマスターが、いくつかの本に
「エヴァンスは『ムーンビームス』が最高!」
と書いたために、『ムーンビームス』しか聴いたことのない自称エヴァンスファンが「『ムーンビームス』最高!」と言い合っているところを何度も目撃し、そういう現状と、ジャズを知らない善男善女にヘンな影響を与えているマスターに怒りを感じていることも手伝って、彼の頭の中でその店は最低な店なんだそうな。

あ、話が横にそれちゃいましたね。
ダラけた店員を一喝すること、これは正確に言えば、「破り」じゃないんのだそうで。

じゃあ、どういうのが「ジャズ喫茶破り」なのかというと……。

まず、ふらりと店に入る。

店全体を見回し、レコードルームの中のレコードをざっとチェックし、しばらくは店内を観察。
これで、だいたいの店の傾向を把握する。

把握した後、そのとき店でかかっているアルバムに関連するアルバムをリクエストする。

「あなたは、今、このアルバムをかけていますが、じつは別のアルバムのB面のほうが良いですよ」みたいな主張を言外にこめて。
すると、たいていのジャズ喫茶のマスターはピンと反応し、対抗してくるんですって、音で。
逆に、リクエストの意図を汲み取れないで、漫然と言われた通りにアルバムを「ただかける」だけのマスターは論外。
その時点で、「破り」をするに値のしないジャズ喫茶だと判断するそうです。

しかし、通常ジャズ喫茶のマスターというのは、
ジャズが好きで好きで、店まで開いちゃっているぐらいな人たちなのだから、普通は、客のリクエストからは様々な意図やメッセージを汲み取るし、「ははぁん、このリクエストはオレに対しての宣戦布告(あるいは挑戦状)だな」とピクリとくるものです。

このマスターの「ピクリ」は、空気の動きで分かるそうで。

そして、マスターは、その人がリクエストしたアルバムに対して、さらに、そのアルバムやジャズマンに関連する、とっておきの音源をかけてくるのです。

すると、また、マスターがかけた音源に対して、さらにマスターが「う~む!」と唸る渋いリクエストのカウンターパンチ。

この応酬で楽しむのだそうです。

これがしばらく続くと、マスターから声がかかって、「君ぃ詳しいねぇ」などと一杯ご馳走してもらったり、また常連のお客さんと仲良くなり、つきぬジャズ談義が朝まで続くという寸法。

この場合は、比較的穏健な「ジャズ喫茶破り」だそうですが、もっと、すごいこともあったようで。

東北の某ジャズ喫茶(「ベイシー」じゃないよ)では、その人と、マスターがリクエストの応酬合戦を繰り広げているうちに、ガラガラだった店内にぞろぞろと客が増えてきた。

エキサイティングな選曲が客を呼んだのではありません。

「おい、兄ちゃん、あまりいい気になるなよ。オマエの周りの客は、全員うちの常連だ。さっきオレが電話で呼んだんだ」とマスターに凄まれ、常連に取り囲まれたという怖い一幕もあったとか。

取り囲まれて、「イチゲンが、あまり図にのるんじゃねーよ」みたいなことを言われたらしいですが、その人もかなり気持ちは突っ張っている人なので、「上等だこらぁ!」とほとんど乱闘の一歩手前状態。

うーん、青春だねぇ(笑)。

自分を囲んだ店の常連の一人から、「兄ちゃん、明日もここに来るつもりか? だったら、オレん家泊まってけ」となり、一晩中、常連客のアパートで、「あんたに話したかったんだよ!」と夜が明けるまで、互いに熱くドストエフスキー論を戦わせる羽目になったとか(笑)。

うーん、いいねぇ(笑)。

さすがに、今のジャズ喫茶ではそんなことないだろうし、手ごわい常連客は少なくなってきているでしょうけれども、昔のジャズ喫茶は、そういう店が多かったのだそうです。

それぐらい、店も客も音楽には真剣に、それこそ挑みかかるぐらいに対峙していた。

それぐらい、店も客も音楽には真剣に、それこそ挑みかかるぐらいに対峙していた。

生半可なことを言うニワカジャズファンはすぐに見破られ、「オマエ、ジャズわかってない。耳の穴かっぽじって聴きなおしてこい!」と追い返される、厳しい世界だったようです。

バカみたいな話かもしれませんが、私はそういうバカみたいな世界が大好きです。

たかだか、音楽に、それも生演奏でもなく、自分が演奏するでもなく、聴くことに命を燃やす人たち。

しかし、そのたかだか聴くことに真剣になれることって、素敵なことだと思いませんか?
(もっとも、「たかだか」と書いていますが、真剣に聴くことって、じつはすごく大変なことなのだよ)

ジャズに魅せられた客たちは、レコードに封じ込められた音から、大袈裟に言うと、命がけで何かを吸収しようと、音と真剣に向かい合う真剣勝負をくり返していた。

だから、ある意味、昔のジャズ喫茶は「ジャズ道場」的な側面もあったんだと思います。
道場で感性の切磋琢磨をするわけよ。

残念ながら、私がジャズを聴き始めた頃は、そのようなジャズ喫茶は、時代遅れになっていたのでしょうか、いわゆる「怖い」ジャズ喫茶にめぐりあったことはありません。

もちろん、最初は店のトビラを開けるのが怖い店もいくつかあったが、実際は、どこも優しく、フレンドリーなところばかりだった。

といっても、それほどたくさんのジャズ喫茶をめぐったわけではないのですが……、それでも、ジャズ喫茶で怖い思いをしたことの無い世代の私にとっては、そのような偏屈・頑固・博覧強記なマスターと常連が蠢いている排他的なジャズ喫茶をのぞいてみたい、という好奇心があるのです。

願わくば、ショッカーの戦闘員のような常連客から取り囲まれて、窮地に陥ってみたい(笑)。でも最後は、仮面ライダーに変身して逆転するの(笑)。

ああ、お馬鹿な妄想。

あ、そういう店がなければ、
自分自身がそういう店の偏屈マスターになっちゃえばいいのか(笑)。
スポンサー募集!(笑)

とはいえ、私、優しい性格だから、生意気な客には「出てけ!」とか、「キサマはジャズのなんたるかが、まるでわかっておらん!」とは言えないだろうな。

記:2007/06/17

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