カフェモンマルトル

text:高野雲

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昔付き合っていた彼女が好きだった稲垣潤一を久々に聴いていた

      2016/05/04

PersonallyPersonally

私は元来、主体性の無い人間なので、人の影響をすぐに受けてしまうタチだ。

たとえば、音楽の好み。

昔から音楽の守備範囲は、付き合った女性によって広げられてきたし、相手の好みに合わせながら音楽を聴いてきた。

しょーがねー奴だなぁ、と笑わないでおくれ。

かのマイルス・デイヴィスだって、ベティ・メイブリーという女性と付き合ったことで、随分と音楽やファッションのスタイルが変わったのだから。

ほら、エレクトリック・マイルスと呼ばれている時代のマイルスは、ファッションも音楽も激変したじゃないですか?

マイルスに違うテイストのファッションセンスを目覚めさせたのも、
マイルスにジミヘン、JB、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンを教えたのも、ベティ・メイブリーという女性だった。

彼女は、24歳でマイルスの2番目の夫人になるまでは、ニューヨークやヨーロッパで活躍していたトップ・モデル。 結婚していた期間はたったの1年間だったが、それ以降はベティ・デイヴィスを名乗り活躍するようになった。

彼女がマイルスに与えた影響の大きさは、60年代後期からのマイルスの音楽の激変ぶりからも分かると思う。

かの「帝王マイルス」でさえ、惚れた女で表現のスタイルが変わるぐらいなのだから、凡人の私なんて、もっともっと影響を受けて当然なのだ。

女性に話かけるだけで顔が赤くなってしまうほど純情な私のこと、勿論それほど沢山の女性と付き合ってきたわけではないが、これまで付き合ってきた女性からは大なり小なり音楽の好みの影響を受けている。

やはり、一番影響が大きかったのが、浪人時代に付き合ったビリー・ホリデイ好きの彼女。ジャズが好きというよりは、単にビリー・ホリデイという歌手が好きだただけなのだが、彼女のお陰で(?)、ジャズの門戸を叩くことになり、一緒にジャズ喫茶に行くようになったりした。

彼女がいなければ、彼女の前でカッコつけようと思わなければ、臆病者な私は、今でもジャズ喫茶は怖くては入れないままだったと思う。

なにせ、初めて入るジャズ喫茶(渋谷の「スイング」)は、初めて入るラブホテルよりも心臓がバクバクしたもんね。絶対一人では入れなかったと思う。

彼女に「入ってみようよ」と言われたからこそ、「ああ、あの店ね、時々行っているんだよ」ってな顔して、高鳴る心臓を抑え、平静を装って、ジャズ喫茶の黒くて暗くて思いドアを開けるという勇気ある第一歩を踏み出せたのだと思う。

一度、ジャズ喫茶に入ってしまえば、しかも、みるからに妖しい雰囲気を放つ渋谷の「スイング」の常連になってしまえば、もうどのジャズ喫茶に入るのも抵抗がなくなってしまった。
やはり、私に「偉大なる一歩」を踏み出させたビリー・ホリデイちゃんの存在は大きかった。

その前の彼女、高校時代に付き合っていた女の子が好きだったのは、稲垣潤一と大沢誉志幸だった。

大沢にしろ、稲垣にしろ、当時の私の感覚から言うと、微妙にアカ抜けていない感じがした。
特に、稲垣がそうなんだけどさぁ、
田舎の人が憧れ、思い描く都会のロマンスを、一見リアリティがあるようでいて、そのじつ、どこか嘘くささの漂うテレビドラマ的な歌世界。

なんというか、ちょっと苦手な世界に見えたのだ。

自分のアンテナや好みの対象外だったので、
「私、稲垣と大沢さんが好きなの」
と彼女にいわれたときは目が点になったものだが、それでも大好きだった彼女を話を合わせるために、LPを借りて、カセットテープに録音したものを常にウォークマンで聴いていたものだ。
それこそ歌詞を暗記するまで。
自然に鼻歌が口をついて出てくるほどまで。

彼女と話をあわせようと、少しでも曲の良いところや気がついたところを発見しようと一生懸命だったんだ。

興味のない対象を、好きになろうとする努力する習慣は、この時期に身に着けたのかもしれない。

稲垣潤一の歌って、筒美京平が作曲を手がけているものも多かったためか、よく聴けば良い曲が多いし、バックのアレンジも凝ったものが多いのだけれども、世界観が微妙にあか抜けないところがあって、当時の私にとっては「う~ん」だったのだけれども、たとえば『246 3AM』の《バハマ・エアポート》のような素晴らしい曲を発見することが出来て、聴くのがほんの少しだけれども楽しくなってきた。

というか、ファーストアルバムの『246 3AM』は最高です。
《バハマ・エアポート》1曲だけでも『246 3AM』は買いです。

246:3AM246:3AM

ユーミンの《ホリデイ・イン・アカプルコ》もそうだけれども、切なさ交じりの明るい曲調のリゾートソングは、私の涙腺を刺激しまくりです。お涙頂戴的なマイナー調のバラードの数倍は染みてきます。

で、話を戻すと、1枚目の『246 3AM』の多くの曲は、微妙に青臭い世界観の集大成で、それがまた良いのかもしれないが、個人的に一番親しみを感じたのは、2枚目の『シャイライツ』だった。

SHYLIGHTSSHYLIGHTS

A面には、《コインひとつのエピローグ》という、ケータイ電話世代にはピンとこないかもしれないが、なかなか切なさの切り口が秀逸な曲や、歌も曲もとろけそうな《シャイライツ》という名曲があるがゆえに、比較的すんなりと世界に入り込めたアルバムだった。

彼女と付き合っていたときに出ていたアルバムは、4枚目の『パーソナリー』まで。
ユーミン夫妻作の《オーシャン・ブルー》がひときわ光るアルバムだった。

4枚のLPをまとめてカセットテープ、それもTDKやソニーのクロームテープ(←懐かしいネ)に録音して、毎日通学中に聴いていたのだけれども、やっぱり一番親しみを感じたアルバムは『シャイライツ』だったかなぁ。

先日、部屋を整理していたら、これらを録音したソニーのクロームテープが出てきて、懐かしさのあまり久々に聴いていた。

そしたら、女房がやってきて、「へぇ、アナタ、稲垣潤一も聴くんだぁ。いいよね。でも、アナタらしくないよね」と言った。
ま、そりゃそうだ。結婚してから10年以上、稲垣潤一は聴いていなかったし、ジャズやブルースばっかりで、そもそも稲垣潤一というミュージシャンがいるということすら記憶の隅に追いやられていた。

女房は、いつも4ビートのジャズばかりを、かけっ放しにしている私が、どういう風の吹き回しだ?って顔をしていたので、

「ま、色々事情がありまして(汗)」

と誤魔化そうと思ったけど、私は嘘が苦手で、誤魔化すのも苦手な人間なので、ここはストレートに、
「ああ、昔付き合っていた彼女が稲垣潤一好きだったんだよ」と答えた。

そしたら、「ふーん、どうりで」、と女房、一人で納得していたようでした(笑)。

久々に聴く稲垣潤一。音楽そのものは、まったく色褪せていなかった。
しかし、稲垣潤一好きな彼女との思い出は、キレイさっぱり色褪せていた……。

音楽を聴けば昔のことを思い出し、切なくなるんじゃないかと思ったんだけれどもね。20年近くの歳月の堆積は、記憶をも風化させてしまう。

それにしても、昔聴いた良い音が、今現在も“たった今の音”として目の前で鳴り続けているという不思議さよ。

音楽は、特にヒット曲などは、時代の記憶解凍装置としての役割も果たすが、必ずしもそうとは限らない場合もあるのだな、と思った次第。

記:2006/07/02
加筆修整:2007/08/14

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