カフェモンマルトル

text:高野雲

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空虚としての主題/モードB

      2017/05/23

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曲のタイトルは吉本本から

「空虚としての主題」。

この言葉にピンときた人は、吉本隆明の熱心な読者かもしれません。

空虚としての主題 (福武文庫)空虚としての主題/吉本隆明

そのような熱心な読者の方には申し訳ないのですが、今回取り上げる古い音源のタイトル《空虚としての主題》には、まったく吉本先生・著の本とは関係がありませんのです(汗)。

この曲は、エノモト君という大学時代の友人と2人で多重録音して作った曲です。

録音したのは1988年ですから、なんと今から28年も前だったのか!
もうちょっとで30年も経ってしまうということが信じられません。

感覚としては、つい最近、そう、3年ぐらい前に録音したぐらいの感覚なんですけどね。



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ニューアカブームと吉本本

それはともかく。

この曲を作って、タイトルを決める際、当時の私は吉本隆明の『重層的な非決定へ』を読んでいて、

重層的な非決定へ重層的な非決定へ

エノモト君は『空虚としての主題』を読んでいたのですが、どちらがこの曲のタイトルにふさわしいのかを考えた末、どう考えても「重層的」な感じはせず、どちらかといえば「空虚」のほうが相応しいだろうということになっただけなのです。

どうして、我々が「吉本本」を読んでいたのかというと、当時より少し前の世の中がニューアカ・ブーム(ニューアカデミズムのブーム)だったということと関係があるかもしれません。

浅田彰の『構造と力』がベストセラーに君臨していたニューアカ・ブームの頃、我々は高校生、もしくは浪人生でした。

構造と力―記号論を超えて構造と力―記号論を超えて

「知の武装」をまとうオシャレさんがカッコいい、みたいなイメージがありまして、知的なカッコ良さに憧れていたアホな私は、大学生になったら、いっぱい哲学の本を読もうと考えていました(実際、大学生になったら読まなかったけど)。

YMOの影響力

そう考えるようになった背景には、ニューアカ・ブームだけではなく、私もエノモト君も、熱心なYMOファンだったということのほうが大きかったかもしれません。

高校の頃に坂本龍一と吉本隆明の対談『音楽機械論』を夢中で読み漁り、私の場合はそれがキッカケで、吉本隆明という思想家を知ることになったのですから。

音楽機械論―Electronic Dionysos音楽機械論―Electronic Dionysos

多くの人は、作家・吉本ばななのお父さんということで吉本隆明氏の名前を知ったのかもしれませんが、私の場合は坂本龍一との対談本経由でした。

ちなみに、哲学者・大森荘蔵を知るキッカケになったのも、坂本龍一との対談集『音を視る、時を聴く』でしたので、当時のYMO(というか坂本龍一)がもたらした、YMOキッズたちに対する影響力は絶大なものがありましたね。

YMO周辺の音楽のみならず、哲学、思想の領域にまで興味を抱かせ、触手を拡げさせているのですから。

音を視る、時を聴く哲学講義 (ちくま学芸文庫)音を視る、時を聴く哲学講義/大森荘蔵・坂本龍一

細野さん経由で、中沢新一や横尾忠則を知ったYMOファンも少なくないはずです。

それはさておき、吉本隆明という人物を『音楽機械論』で知った私は、高校時代や浪人時代に、彼の代表作である『共同幻想論』を読んだり(途中で挫折した)、『反核異論』や『マス・イメージ論』などを買っては読むことを繰り返していました。

おそらく、当時新潟の高校に通っていたエノモト君も、私と似たような道筋をたどっていたのだと思います。

大学に入学し、ジャズ研究部へ入部した私は、すでに1日前に入部していたブルース・リーと松田優作を足して3で割ったようなルックスと、漂うイメージがどこか暗い男=エノモト君と部室で出会うわけですが、直感的に自分と同じ匂いを感じ取りました。

聞くところによると、エノモト君は、高校時代はヤマハ主催の高校生バンドコンテストでベストベーシスト賞を取った人物なのだそうです。

坂本龍一のように、長めに垂らした前髪をかきあげながらボソボソと話すエノモト君。

探偵物語の松田優作のように改造したジッポから長い炎を出してタバコに火をつけるエノモト君。

そんな彼と話しているうちに、とにかくYMOやその周辺の音楽に感じている「ツボ」が同じだということに気がつき、最終的には『テクノデリック』における細野さんの《階段》と《灯》のベースラインのカッコ良さで意気投合し、すぐに打ち解けるようになったのです。

学生寮に侵入し、朝まで酒と音楽

エノモト君は、実家が新潟なので、大学近くの学生寮に住んでいました。

当時の私は学習塾でアルバイトをしており、塾が終わって教室を締めるのがだいたい夜の10時過ぎなんですけれども、このバイトが終わったら、急いで電車に飛び乗り、エノモト君が住む学生寮にかけつけたものです。

ところが、この学生寮は、たしか夜の11時を過ぎると完全に玄関が閉まってしまうんですね。

開けてくれ~、ドンドンドン!と玄関を叩いても絶対に開けてくれないのだそうです。

だから、私はエノモト君が住む3階まで、非常階段と雨水パイプを伝ってよじ登り、窓の外から彼の部屋に侵入(?)していました。

学生寮は人通りの少ない場所にあったので良かったのですが、もし、キーボードなどの大きな機材を背負った怪しい人物、すなわち私が、建物をよじのぼっている姿を通行人が目撃したりしていたら、完全に犯罪者と間違われていたことでしょうね。

そして、エノモト君の部屋への侵入に成功した私は、エノモト君の部屋でビールやウイスキーを飲みながら音楽を聴いたり、音楽の話をしたりと、楽しいひとときを明け方まで過ごしていたものです。

とにかく「YMO育ち」という共通かつ大きな前提があったので、いちいち多くの言葉を費やす必要がなかったのです。

自分が知っていることや考えていることは、だいたい相手も同じことを考えているだろうという安心感があったので、会話も短い言葉で済むといういわゆるハイコンテクスト・コミュニケーション状態が彼との間には成立していたため、とても居心地が良かったんですね。

で、このようなマッタリと楽しいひと時を過ごし、日が昇ってから我々は寝るので、目が覚めるのは午後か夕方。

目が覚めると「あ~、今日も講義出れなかったよ~」と二人とも目をこすりながらまずはタバコに火をつけ、煙を吐き出しながら小野リサのボサノバをかけたりして「はぁ~、けだるい夕暮れだね~」などと、よ~分からんことを言ってました。

夕方に目が覚めると、大学の講義には間に合いません。

しかし、それでも我々は大学に行くんですね。

講義ではなく、ジャズ研の部室に(笑)。

そこで、ジャズのレコードを聴いたり、楽器を演奏したりして、そして時間になると私は電車に乗って、いったん自宅に帰り、自宅で夕飯を食べたら、すぐに塾で子どもたちを教えて、また再び電車に乗って、エノモト君が住む学生寮の建物をよじ登るというような生活をしておりました。

アホですね。

それでよく単位が取れて卒業できたものだ、と今となっては思います。

ちなみに、私は4年で卒業することが出来ましたが、エノモト君は1年留年して5年で卒業しています。

というか、ジャズ研の部員って、だいたいが留年しています(笑)。

もちろん、留年せずに卒業していく部員もいましたが、そういう人は、あまり部室に来ない部員ばかりで、ジャズ研、いや、ジャズの魔力に精神を侵されていないクリーンな部員ばかりだったような気がしますね。

建物をよじ登る

余談ですが、学生寮を私は夜な夜なよじ登っていたという話を書きましたが、こういう習性もDNAとして子孫に刻まれるのでしょうか。

うちの息子も、中学生のときに、校舎に備え付けられているパイプをよじ登って屋上まで登っていたみたいなんですね。

スパイダーマンの真似じゃ~!みたいな感じで。

で、息子の場合は昼間じゃないですか、目立つわけですよ。

だから、近隣の住民が学校に通報をして、息子の行状がバレ、親である私のところに連絡がきたことがあります。

学校の生活指導の先生には「すいませんでした」と謝りましたが、と同時に、学生時代の私と同じことをするなぁコイツと思ったものです。

ベースはカワイのフレットレス

さてさて、いよいよ本題です(前振り長すぎですね)。

《空虚としての主題》という曲なんですが、これ、個人的にはものすごく気に入っています。

高校時代から大学時代にかけて、カセットテープで録音するMTR(マルチトラッカー)で色々な曲を録音してきましたが、その中でもベスト3にはいるぐらい大好き。

好きな理由はよくわからないんだけど、2人で代わるがわる録音しているうちに、思わぬ偶然がいろいろと重なっているからなのかもしれません。

とにもかくにも、話が合う、というか話の大前提の共通項を数多く持っているエノモト君と、なんとはなしに「宅録バンド」のバンドというかユニット「Mode-B」というものを結成しまして、いくつかの曲を録音したのですが、その中では個人的には最高傑作だと思っているのが、この曲なのです。

まずはヤマハのデジタルパーカッション、RX-21Lで音数少なめのパーカッションのパターンを作り、それにかなり過激にフランジャーをかけた音を録音しました。

それに合わせて、エノモト君にはフレットレスベースを適当に弾いてもらいました。

彼はスラップが得意なベーシストで、新潟でベスト・ベーシストを獲得したのも、彼の華麗なチョッパー(スラップ)テクニックが大きな理由だったのですが、ここはあえてスラップが出来ないフレットレスを弾いてもらいました。

フレットレスは当時私が買ったばかりのロックーン(河合のブランド)のフレットレス。

ピエゾピックアップのみのシンプルな外見のベースです。

これにアリオンのコーラスをかまして、地底をモゾモゾと蠢くような低音を弾いてもらいました。

旋律はジュノーで作ったヘンな音

お次は、私の出番です。

ジャズ研の部室から拝借してきたローランドのジュノーを適当にいじっていたら、面白い音を作ることが出来ました。

ピアノを弾く感覚とは間逆の演奏感覚なのです。

ふつう、鍵盤をスタッカート、つまり跳ねるようなニュアンスで弾くと、当然ですが、出てくる音も「ポンッ!」と跳ねますよね?

ところが、ジュノーで作った音は、鍵盤を長く押すと「ピョンッ!」と跳ねるようなスタッカートになるのです。

逆に鍵盤を跳ねるようにスタッカートで弾くと、音がピャ~~~ンと長く持続するんですね。

だから、弾くのがすごく難しい。

音を長く伸ばしたければ、鍵盤の上を指が跳ねるように弾かなければならない。

逆に音を切りたければ、鍵盤を押し続けなければならない。

であれば、いちいちそんなことを考えながら弾いていては、頭が混乱しかねない。

だったら、テキトーに即興で弾いちゃったほうが早いじゃん?

ということで、最初と最後は、なんとなくとってつけたような必要最小限のメロディを作り、あとは鍵盤を跳ねるように弾いたり、押すように弾いたりを繰り返しました。

最初と最後のテーマめいたメロディは、作曲というよりも、指をおきやすい鍵盤の位置の順番を組み合わせただけです。

このあたりのメロディの一音一音は、ピョンッ!ピョンッ!と跳ねた感じになっているじゃないですか?

跳ねた音にするためには、鍵盤を押し続けなければならない。

だから、手首を動かさずに一つの箇所に指を置きっぱなしにすることが出来る場所を見つけて、「弾く」というよりは、指を「置く」感覚で奏でているうちに、何とはなしに出来上がった音の順番をテーマめいたものにデッチあげました。

そして、その後は、本当に適当。

ピアノを弾く感覚とは真逆の、指を鍵盤に置いてしばらくは離さない気持ちで弾いていきました。

たまに、音がビヨ~ン!と伸びている箇所は、間違えて鍵盤から指をすぐに離してしまった時の音ですね。

つまりはミスタッチです。

でも、思いもよらぬところでビヨ~ンと音が伸びているので、後で聴いてみると、そういうハプニングも、なかなか面白い効果を生んでいるのかな?とも思うようになりました。

で、かなり集中して弾いてしまったので、やり直すのも面倒なので、ワンテイクで録音終了。

ちなみに、エノモト君のベースもワンテイクで録音しています。

なにせ、深夜の作業で、我々はかなりビールが回っている状態だったので、何度も根気強くやり直そうという意欲がおきないのです。

女子高生17歳の夏

デジタルパーカッションとフレットレスベース、そしてジュノーの奇妙な音が重なった状態で、一度プレイバック。

聴きなおしてみると、なんだか平坦な感じなので、いや、平坦だからこそ良いのかもしれませんが、もう少しメリハリをつけてもイイんじゃないか?ということになりました。

まずは、最初のエノモト君のベースソロめいたところが、ちょっと退屈な感じなので、声を入れようということになりました。

声は普通に喋っていてもつまらないから、何かを喋って、その話声をテープの逆回転再生させると面白いという話になったのですが、「それなら面白い題材があるよ」とエノモト君が一本のカセットテープを取り出しました。

それは、彼が高校時代に、悪友たちとエロ本を朗読した時のテープで、「女子高生17歳の夏」みたいなグラビアのキャッチコピーをかわるがわる読んでいる音声が入っているんですよね。

そんなテープをなんでわざわざ上京するときの荷物として持ってくるんだよ?とも思うんですが、まあそれは良いとして、ベースの上にかぶっている北朝鮮のラジオとも、カンボジアの密売人の小屋で交わされている会話ともつかない、「そりゃ~難し、ルーズ、ア、YMO!」みたいな奇妙な言語は、「女子高生17歳の夏」です、ハイ(笑)。

フェンダー・ボクサーのスラップ音

さらに、エノモト君は曲のいくつかの箇所に、今度はエノモトくん所有のフェンダージャパン・ボクサー、つまりフレット付きの普通のベースでスラップ音を挿入しました。

明らかにタイミングがズレまくっているところもありますが、そんな細かなことはいいんじゃい! やり直し面倒くさいんじゃい! 俺たちは血液型B型なんじゃい! だから、俺たちのユニット名は「モードB」なんじゃい!ということで、間違えようがなにしようが録り直しはしていません。

なにせ、アルコールがかなり回ってましたから。

『家族ゲーム』にインスパイアされたヘリ音

そして、私は曲の中盤から後半にかけて、ヘリコプターみたいな音をかぶせて奇妙な静けさを強調してみました。

なぜ、「ヘリコプターの音=静けさ」なのかというと、おそらくは森田芳光(監督)松田優作(主演)の映画『家族ゲーム』のラストシーンと、村上龍の『愛と幻想のファシズム』で、狩猟社と私設軍隊のクロマニヨンがシャノンフーズの工場に入場するシーンが印象に残っていたからなのかもしれません。

また、私はラストのほうに、狂ったオーケストラっぽい音を即興で弾いてみました。

ちょうどその頃、エノモト君の部屋にセシル・テイラーの『ユニット・ストラクチャーズ』のCDを置きっぱなしにしていたこともあり、なんだかセシル・テイラーのマネゴトっぽいことをやってみたかったのです。

とはいえ、ピアノの音でやっても、なんだかこの曲にそぐわないと感じたので、ネットリとしつつもエッジの立った音を作り、鍵盤をかき混ぜるように弾いて重ねてみました。

再演バージョンはいまひとつ

メリハリとダイナミクスが少なく、これといった展開もない「止まった感じ」の曲ですが、個人的にはかなりツボで、今でも折に触れてこの曲を聴き返しています。

いま考えれてみれば、エノモト君の重たいベースがこの曲のカナメになっているんだなーと、改めて思います。

その一方で、上記曲を録音した数年後に、今度は私が自宅で一人で録音してみたバージョンがあるのですが、こちらはダメですね。

まず私のベースが軽すぎ、リズムに対して粘りが無さ過ぎ。

さらにテンポも微妙に速く設定してしまっているので、ベースもキーボードも上滑りをしている。

▼それがこれ

コルグのリズムボックスと、フェンダー75年ジャズベースをフレットレスに改造し、ピックアップはバルトリーニに付け替え、ブリッジをバダスに交換したベースで弾いているのですが、うーむ、いまいち。

そして、キーボードはヤマハのポータサウンドPS-3とDX21をかぶせていますが、うーん、これもなんだかいまいち。

やっぱり、エノモト君とビールを飲んでゲラゲラ笑いながら作った89年バージョンのほうが、なんというかコクのようなものがあるんだけれども、こちらには、まったくそういう要素がない。

だから、冒頭では、森高千里の声とか、ブリジット・フォンテーヌの声を回転数を変えて入れてみたり、さらには、私が参加していないブルトン・アプレゲール・テケレッツのライブのMCを混ぜてみたりして、さも意味ありげな風に誤魔化しているのですが、やっぱり誤魔化しは誤魔化し以外の何者でもありませんね。

やっぱり、改めて89年版を聴いてみると、こちらのほうが意味不明な面白さがあるのです。
自己満足ではありますが、やっぱりお気に入りなのであります。

記:2016/03/17

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