セルフレスネス/ジョン・コルトレーン

      2021/12/09

セルフレスネス

タイトル曲の《セルフレスネス》について言及したレビューってほとんど見たことがない。

ほとんどが、1曲目の《マイ・フェイヴァリット・シングズ》を数あるバージョンの中でも決定的な名演!と絶賛してオシマイ! な内容ばかりだ。

だから、今回はタイトル曲《セルフレスネス》について書いてみよう。

アルバムの中では、《マイ・フェイヴァリット・シングズ》の陰に隠れて忘れられがちな曲かもしれないが、結構いい演奏ですよ。

少なくとも私はよく聴いている。

収録3曲のうち、この曲のみ、他の2曲とは録音の時期が異なる。

1963年にニューポートジャズフェスティバルで演奏された《マイ・フェイヴァリット・シングズ》と《アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー》よりも2年後に録音された《セルフレスネス》。

つまり、世評では“フリージャズ路線”に分類されている時期の録音だ。

聴けば分かるとおり、この曲は、一言で言ってしまえば、《アセンション》のコンパクト版だ。

65年の6月末に“問題作”とされる《アセンション》を吹き込んだコルトレーン。

そのおよそ4ヵ月後の10月に《アセンション》の編成を縮小したオクテットによって再び、同じような試みが行われている。それが《セルフレスネス》だ。

この時期のコルトレーンは、楽器演奏の技量を極限までに追求する個人としての試みと同時に、自己のカルテットのサウンドの拡張増強を試みていた。

そのため、より一層、大音量、演奏時間の長尺化、過激なサウンドへと急速に変貌を遂げてゆく。

しかし、電化路線を辿ったマイルスの演奏アプローチとは異なり、コルトレーンのサウンドの変化に関していえば、サウンドの肌触りの変化はあるにせよ、根本的な構造的変化は無いのが特徴だ。

マイルスの場合は、楽器の変化に伴う演奏アプローチの構造的変化、つまり新しい楽器ならではの新しい奏法や、そこから生まれる新しい響きとの距離の取り方を模索したことに対し、コルトレーンの場合は、従来の4ビートジャズにおけるフォーマットでのアプローチ、方法論をとことん突き詰め、煮詰め、限界にまで挑んだ結果、どの4ビートにも似ていない、コルトレーンのグループにしか出来ない唯一無二の4ビートに行き着いた。

よって、“フリージャズ”と称されることの多い《アセンション》にしても、管楽器の増強や、フリーブローイングのスペースの拡大は図られているが、本質的には4ビートジャズを根っこにした拡大解釈版に過ぎず、以前、『アセンション』のレビューにも書いたとおり(こちら)、この演奏に関しては、個人的には、小節やコードの束縛から解放された“フリージャズ”とは私は思えない。

テーマやソロ奏者のバックで奏でられるアンサンブルパートを聴けば、音の触感はフリージャズ的かもしれないが、ひとたびアドリブパートに移行すれば、当時のカルテットのサウンドそのもの。

この《セルフレスネス》も同様で、特にマッコイ・タイナーのピアノソロのパートを聴けばよく分かるが、パーカッションの音が追加されていることを除けば、『トランジョン』や『至上の愛』のピアノソロパートと際立った違いはほとんど無いといっていい。

《セルフレスネス》は、コルトレーン・カルテットにファラオ・サンダース (ts) ドナルド・ギャレット (bcl)、フランク・バトラー (ds,per) の3人を“追加武装”した編成。

楽器の数が増えた分、テーマなどのアンサンブルはより賑やか、かつフリーキーにはなった。

複数の管楽器の蠢くブローが折り重なるので、ニュアンス的にはフリージャズのテイストを有してはいるが、実際は、無調整でも無小節でもなく、フリージャズテイストを効かせた従来のコルトレーン・ミュージックの延長線上のものだということは、この時期のコルトレーンを聴きこんでいる人にはすぐに分かるはず。

《セルフレスネス》のアプローチの基本は、根っこのリズムフィギュアは、従来のコルトレーン・カルテット流の4ビート。

しかし、ビ・バップ、ハードバップの伝統的なスタイルと多少違うところは、コルトレーンがソロを取っている間も、他の管楽器奏者もオブリガートよろしく、音を鳴らし続けていること。よって、混沌とした印象は拭えないが、自分がアドリブを繰り広げている間も、サウンドのダイナミズムを失わせないという目論みだったに違いない。

逆に言えば、コルトレーンのアドリブ中に鳴り続けるファラオ・サンダースのテナーを抜けば、コルトレーン・カルテットのサウンドそのものだ。

恐らくは、自分の背後で、いや時として、コルトレーンを上回る音量で咆哮を続けるサンダースの存在は、自らを奮い立たせる起爆剤だったに違いなく、コルトレーンを馬とすると、サンダースの位置づけは鞭のようなものだったのだろう。

フリーブローイングにも聴こえるテーマも同様。

混沌とした印象を与えるテーマのアンサンブルや、アドリブ中にも鳴り続ける管楽器の騒々しさや、フリーキーなニュアンスは、おそらくはアイラーからの影響を受けているのだろう。

ただし、これは、理性的なコルトレーンによる、意図的な混沌の演出でもある。フリーブローイング風でいながらも、じつはキッチリとした役割分担が施されていることにも注目したい。

そこが、アイラーとコルトレーンとの大きな違いで、自由気ままにブロウするアイラーは“結果的に”混沌とした音にもなるし、牧歌的な内容にもなる。しかし、コルトレーンの場合は、“最初から計算された混沌”のレールを敷いている。この点が二人の音楽に臨む大きな違いといえる。

ハプニングは歓迎。
しかし、破綻はNG。

だから、演奏の大部分は思いっきり自由に吹いて良いかわりに、最低限のヘッドアレンジのルールは守りましょうね。

この方法論は《アセンション》のときと何ら変わることはない。

ただ、いかんせん《アセンション》の場合は、管楽器の人数が多く(コルトレーン含め7人)、収拾がつかなかったのかもしれないし、コントロールが難しかったのかもしれない。

だからこそ、編成をコンパクトにして再チャレンジしたのが《セルフレスネス》だったのではないだろうか。

管楽器の人数は減ったかわりに、《アセンション》では1人だった打楽器奏者を2人に増強。

比較的緩いアンサンブルだった《アセンション》のアレンジよりも、もう少し細かい“キメ”の要素を増やし、アンサンブルの引き締めを図っている。

結果的に《アセンション》を小ぶりにした聴きやすいコンパクト版《アセンション》、つまり《セルフレスネス》が生まれたのだろう。

音楽的なまとまりといい、想定内に収まってくれる音的な衝突、ハプニングといい、《アセンション》と比較すると、かなり聴きやすい内容となっている。

しかし、壮大な出だしで巨大な大風呂敷を広げちゃったコルトレーンが、どのように落とし前をつけてくれるのかなぁと期待する楽しみは《アセンション》でしか味わえないことも確か。

結果的には大風呂敷は広げっぱなしで、結局、オチらしいオチもなく終わってしまうので、過度に期待を抱いたリスナーは報われないという欠点もあるが、それはそれで、いいじゃないの。

人間くさいコルトレーンの一端に触れたと思えば(笑)。

管楽器たちの咆哮は聴きたいけれども、《アセンション》だと時間は長いし、疲れそうだと思ったときには、コンパクト版アセンションの《セルフレスネス》を聴いてみよう。

アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー

さてさて。このアルバムではもう1曲、ほとんどアルバムレビューの俎上に上らない曲がもう1曲ある。

《アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー》だ。

このバラードは1曲目の《マイ・フェイヴァリット・シングズ》と同日に、ニューポートジャズ祭で演奏されたナンバーだが、一言、絶品。

ムーディではあるが、ベタな甘さも残るアルバム『バラード』の演奏と決定的に違うのは、乾いた叙情を感じさせること。

これは、ドラムがロイ・へインズ参加による効果が大きい。

ロイ・へインズは、良くも悪くも手数が多く、俊敏なスピード感を誇るドラマーだが、彼のドラミングは、ここでは良い方向に作用している。

彼の素早いバッキングが演奏をシャキッと鼓舞し、ベタベタな甘さに決して陥らせない。

聴けば聴くほど、よくもまぁ、こんな細かいところまでカタタタタタと叩いてるなぁと呆れてしまうほど、シャカリキになったバラード・ドラミングだ。

さらに、ラストのカデンツァも聴きものだ。

一般には、『ライブ・アット・ザ・バードランド』における同曲のカデンツァが賞賛されているが、こちらのバージョンだって負けてはいない。

正確には、バードランドのバージョンは、このニューポートでの演奏から3ヵ月後の演奏。きっと、コルトレーンは、このレパートリーのラスト部分を日々ライブ演奏で研鑽していたのだろう。

ロリンズもライブではよく曲の終わりには長いソロブローイングをやるが、これを間近で観たときは、かなりの興奮とスリルを味わえた。

同様に、ニューポートの観客も、テナー一本でソロを奏でるコルトレーンを固唾を飲んで見守っていたに違いない。

というわけで、レコードでいうB面の曲レビューに終始してしまった。

では、肝心な《マイ・フェイヴァリット・シングズ》について。

もう、とにかくドラムが、フロントを挑発しまくり、煽りまくり。

お馴染みのナンバー《マイ・フェイヴァリット・シングス》のロイ・ヘインズのドラミングは凄い。

麻薬治療中によりニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演出来なかったエルヴィン・ジョーンズに代わり、「俺がヤツの穴を二倍に埋めてやるぜ!」と言わんばかりのロイ・ヘインズのドラミングは、本当に凄いの一言に尽きる。

切れ味鋭いオカズをバシバシと容赦無く入れてくる彼のドラムを聴いていると、まるでベースやピアノやコルトレーンのサックスまでもが、ドラムの伴奏のように聴こえてしまうから面白い。

演奏がエキサイティングであれば、主客転倒大歓迎!

そう思えてしまうほど圧巻なドラミングなのだ。

コルトレーンももちろん頑張ってはいるが、まるで、後ろのドラムセットから、ビシバシとムチで叩かれているかのようで、ムチ打たれた馬が必死に疾走しているかのような錯覚を覚える。

記:2006/10/26

album data

SELFLESSNESS (Impulse)
- John Coltrane

1.My Favorite Things
2.I Want To Talk About You
3.Selflessness

#1,2
John Coltrane (ts,ss)
McCoy Tyner (p)
Jimmy Garrison (b)
Roy Haynes (ds)

1963/07/07 live at the Newport Jazz Festival

#3
John Coltrane (ts)
Pharoah Sanders (ts)
Donald Garrett (bcl,b)
McCoy Tyner (p)
Jimmy Garrison (b)
Elvin Jones (ds)
Frank Butler (ds,per)
Juno Lewis (per)

1965/10/14

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