ミルト・ジャクソンとマイルス・デイヴィス、そしてセロニアス・モンク〜バグズ・グルーヴ

   

1954年のクリスマスセッション

1999年の10月9日、ジャズヴァイブ奏者の大御所ミルト・ジャクソンが肝臓癌で亡くなった。享年76歳。

同月13日の朝日新聞の夕刊に、ジャズ評論家・悠雅彦氏のミルト・ジャクソンへの追悼の文章が掲載されていた。

その中で、「個性の強いジャズマンとも共演出来てしまう懐の深さと柔軟性」というようなことが書かれていたので、なるほどと思った記憶がある。

ミルト・ジャクソンは、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)での長きに渡る活動があまりにも有名な、ブルース・フィーリングを存分に活かした心地の良いヴァイブのプレイは、長年にわたって多くのジャズファンを魅了しつづけた。まさにミスターヴァイブマンと呼ぶに相応しいジャズマンだった。

ヴァイブ奏者といえば、私はボビー・ハッチャーソンが好きで、彼の繰り出す幾何学的でメカニカルなフレーズ(彼はメカニカルと評されることを嫌うらしいが…)、そして叩き出す不協和音の音塊がとてもモンク的で好きなのだが、ハッチャーソンの垂直アプローチとは好対照な、流れるようなメロディラインと、粒立ちがハッキリとしていながらも、ふくよかで豊かな音色を奏でるミルトのプレイも大好きだ。

しかし、、ミルト・ジャクソンは、ただ単に流麗な彼の叩き出すだけではなく、先述した悠雅彦氏の評ではないが、個性の強いプレイヤーとも共演出来てしまう柔軟性をも併せ持ったプレイヤーなのだ。

その最右翼といえば、セロニアス・モンクとの共演ではないだろうか?

二人の共演はあまり多くない。しかし、印象的なレコーディングがいくつか残っている。

マイルスとモンクのクリスマスセッションで有名なプレスティッジの『バグズ・グルーヴ』と『マイルス・デイビス・アンド・ザ・モダンジャズ・ジャイアンツ』。それと、モンクをリーダーとしたブルーノートのレコーディング・セッションが有名なところか。

バグス・グルーヴ
バグス・グルーヴ

流れるようなフレージングと、一音一音の粒立ちが美しいミルトのヴァイブと、時間の流れをせき止めるかのごときクラスター(音塊)を発するモンクのピアノは一見相性が悪いようで、実は良い。

そのことを如実に物語る好例として、《バグズ・グルーヴ》がある。

そして、私がモンクのピアノソロの最高傑作の一つと信じて疑わない演奏が《バグズ・グルーヴ》のテイク1だ。

「トランペットのバックではピアノを弾かない」というマイルス流の音楽フォーマットの設定により、イヤが応でも緊張感の高まる雰囲気の中、ミルトのバイブは美しい宝石を散りばめたがごとき引き締まったソロを繰り広げる。

このソロは張り詰めきったマイルスのテーマとソロの緊張感を若干緩和する働きを持ちつつも、あくまで演奏全体を支配するトーンは崩さない。

バックでかすかにモンクのピアノのバッキングが鳴り始める。

このミルト奏でるソロは、一聴すると、どうということのない「ソロからソロへの橋渡し」にしか聴こえないかもしれないが、ミルトのバイブとモンクの控えめなピアノのバッキングがよく調和していて、とても美しい時間が快適に流れてゆく。

そしてモンクの四次元ソロ!

はっきり言って、この素晴しいソロに費やす言葉が思い浮かばない。

「鉱物の結晶体」、「シンセの安っぽい宇宙的な効果音よりも遥かに宇宙的かつ哲学的なピアノによる宇宙の音」。

それくらいの陳腐な言葉しか思い浮かばない。

とにかく、真剣にピアノと「戯れて」いるモンクの5指から発せられる信じられないくらいピュアなサウンドとフレーズ。最初の一音から最後の一音まで全くの無駄のない音の配列と間。

あれ?いつの間にかモンクのソロの方に話が傾いてしまったが、《バグズ・グルーヴ》のテイク1は、とにかく素晴らしい演奏なのだ。

曲名の《バグズ・グルーヴ》の“バグズ”とはミルト・ジャクソンのニックネームで、このニックネームは特徴ある目の下の袋から名付けられたらしい。

だから「バグズの作ったオリジナル」「バグズの作った何の変哲もないブルース」、それくらいの意味しか持たないタイトルと曲なのだが、まんまとマイルスとモンク、そしてミルトはこの平凡なブルースを、芸術的なまでの気品と緊張感に溢れる演奏に昇華させてしまったのだ。

一番驚いたのは、作曲者として演奏に加わっていたミルト自身だったのかもしれない。

演奏全体を覆うピリッとした緊張感。

これは、マイルスが設定した演奏上のルールが効を奏しているといっても過言ではない。

マイルスは優れた演奏家であると同時に、優れた演出家でもあったのだ。

彼は音楽(自分)をカッコよく魅せるためだったら、なんだってしちゃうのだ。

ある意味、相当なエゴイスト。

しかし、裏をかえせば、それだけ真摯に音楽に取り組んでいるということでもある。

だから、先輩のセロニアス・モンクにだって平気で注文をつけちゃうのだ。

「先輩、ボクがソロを吹いている間は、バックでピアノを弾かないでね」
と。

ま、リーダーはマイルスなのだし、演奏の方向性を決めるのもリーダーの仕事。

それはそれで、まったく当たり前のことだし、先輩のモンクもそれに従うのも当たり前。

なのに、このことが原因で、諍いがあったとか、この日のレコーディングを“喧嘩セッション”と呼んでいる人が今だにいるが、喧嘩については、マイルス本人が自伝でキッパリと否定している。

もちろん、“喧嘩が原因で最高の名演が生まれた”としたほうが、東スポのプロレス記事っぽくて、活字的には面白いのだろうが。

さらに文字的な面白さと誤解しがちなことを挙げると、この『バグズ・グルーヴ』は、アルバム的にいえば、マイルスとモンクの“唯一の共演盤”といえるが、あくまで共演“盤”なのであって、唯一の“共演”ではない。

マイルスの自伝を読めば分かるとおり、モンクとマイルスはライブなどでは共演しているのだから。

だから、“唯一の共演が名演を生んだ”という指摘も当たらない。

文字的には、そのほうが面白いんだけれどね。

しかし、いまだに「喧嘩セッション」などと語るようなジャズファンは、「ボク、まだ『マイルス自伝』を読んでないんです」と公言しているようなもの。

恥ずかしいので、ジャズ・マニアを自称している人は、一刻も早く自伝を読みましょう。宝島社から文庫で出ています。

面白さは折り紙つきです。

ジャズの勉強のつもりで読まなくても、一人の男の生き様物語としても、とても面白く読めます。

マイルス・デイビス自叙伝〈1〉 (宝島社文庫)
マイルス・デイビス自叙伝〈1〉 (宝島社文庫)

マイルス・デイビス自叙伝〈2〉 (宝島社文庫)
マイルス・デイビス自叙伝〈2〉 (宝島社文庫)

ヘンなオッサンの生涯として読んでもいいし、
ナルなオッチャンの生き方として読んでもいいし、
アメリカのブラックカルチャーの裏面史として読めなくもないし、
波乱万丈なスターの一生という読み方も出来る。

さらに、英語に自信のある人は、いや無い人でも、是非原書のほうも機会があったら眺めてみよう。

読まなくてもいいんです。眺めるだけでいいんです。

Miles: The Autobiography
Miles: The Autobiography

日本語版には掲載されていない、貴重な写真が満載です。

ビリー・ホリデイ姉御の隣で笑顔で微笑むマイルス青年の写真なんて、とても初々しくて爽やかだ。

ビール瓶で頭を殴られ、血まみれシャツで出所したてのマイルスの写真は生々しいし、マイルスの子供の頃の写真は、本当に可愛らしいです。

さらに、写真のキャプションも面白い。

バド・パウエルの写真のキャプションなんて、“マザー・ファッキング・ピアニスト”と記されているが、当然、「クソ最低なピアノ弾き」ではなく、「とんでもなくブッ飛んだ、滅茶苦茶最高にイカしたピアニストだぜ」のような意味なのでしょう。

原書と日本語本と、交互に読むと、とても楽しいです。しかも、使われている単語が、それほど難しくないので、中学生程度の英語レベルでも、スイスイ読めちゃうんじゃないでしょうか?

えーと、話が脱線した。

「喧嘩セッション」の話でしたね。

喧嘩は喧嘩でも、あったとしたらマインドの喧嘩。

この若造、俺に指図する気かよ、とモンクは内心思ったかもしれないし、思ったからこそ、あのような素晴らしいソロが展開出来たのかもしれない。

それとも、モンクのことだから、そんな細かいことは意に介さずに「あー、そうなんだー、オマエのバックではピアノ弾かないのかー、わかったー、あーうー」だったのかもしれないし、真相は分からない。

しかし、この《バグズ・グルーヴ》で展開されるモンクのソロは、おそらくはモンクの生涯のピアノの中でもベストに位置づけられるほど最高な内容だということは事実だ。

特にテイク1の緊張感に満ちた美しさは筆舌に尽くしがたい。

マイルスのバックで弾かなかったぶん、自分の領域では、こんなに素晴らしいソロを弾いてしまったのだ、モンクは。

一方、時系列遡って、マイルス。

彼は、ドラムとベースだけが形作る、シンプルだが広々とした空間を、音数を節約したトランペットで彩る。結果、ストイックかつ緊張感に溢れた音空間が生まれ、演奏の最後まで、このトーンで支配することに成功した。

次いで、作曲者のミルト・ジャクソンのヴァイヴ・ソロも良い。

いつものミルト・ジャクソンのプレイには違いないが、マイルスが設定した禁欲的で緊張感のある雰囲気がまだ生きているので、ミルトのソロも気品に満ちたプレイに聴こえてしまうから不思議だ。

緊張感と集中力は時間の経過とともに薄れてゆくものだ。

張りつめた緊張感に溢れたテイク1は最高だが、テイク2のほうは、若干雰囲気の緩んだ演奏となっている。

誰のプレイが具体的にどう緩んでいるというわけでもない。

本当に微妙な違いとしか言いようがないのだが、テイク1の緊張感がテイク2では薄れている。

好みの問題だが、私はテイク1のほうが好みだし、おそらくマイルスが意図したサウンドカラーもテイク1だったのだと思う。

モンク、ミルトの参加は、《バグズ・グルーヴ》のみ。

後半は、ソニー・ロリンズやホレス・シルヴァーとの共演だ。

ロリンズ作曲の《ドキシー》や《オレオ》など、ハードバップを代表するナンバーが初演されている。

ロリンズのプレイはちょっと固い気がしないでもないが、たとえば、《ドキシー》のソロの出だしのフレーズなんかは、とてもメロディアスで、すごく印象に残る。このフレーズをコピーしたサックス奏者も多いのでは?

それとも、あまりにもロリンズ色が強すぎて、とても人前では吹けないフレーズなのかもしれないね。

後半の演奏はホレス・シルヴァーのピアノが好演だと思う。

『マイルス・オン・ブルーノート』のときのシルヴァーもそうだが、マイルスのバックに回ったときのシルヴァーは、自分がリーダーのときのバッキングと比較すると、非常にシンプルでツボを押さえたバッキングを弾く。

音数はかなり節約しているし、少ない和音を発するタイミングが滅茶苦茶素晴らしい。

私は抑制を効かせたシルヴァーのバッキングのほうが好きだし、最初に聴いたシルヴァーは、マイルスとの共演だったものだから、ホレス・シルヴァーというピアニストは音数を節約し、少ない音で最大限の効果を狙うピアニストなのだと思っていた。

だから、バックでピアノを弾きまくる彼のリーダー作『ブロウイン・ザ・ブルース・アウェイ』を聴いたときは、あまりのギャップに腰を抜かしてしまった。

このアルバムは、ジャケットのタイポグラフィのセンスも素晴らしい。

よーく見ると、いや、よく見なくても、BAGSGROOVEのそれぞれのアルファベットが真っ直ぐではなく微妙に斜めに揺れている。

そんなところもお洒落なアルバムだ。

一見、あっさりしているようでいて、じつは、吸収できる美味しい要素が満載されているアルバムなのだ。

記:2004/08/25

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