浅川マキとその時代
text:高良俊礼(Sounds Pal)
浅川マキ 死
2010年1月17日.歌手・浅川マキさん、ツアー先の名古屋のホテルで急死。
享年67歳。
ちょうどその数日前ぐらいから、複数の友人と「浅川マキはカッコイイよね、こういう人ってもう出てこないかもね」と盛り上がったり、東京で彼女のライヴを観た先輩の話を聞いたりと、何かと彼女のことを話題にしていた。
「いつかライヴを観たいなぁ・・・」と、ぼんやり思っていたが、これで「浅川マキのライヴを観なかった」ことは、私の中で一生の悔いとなった。
浅川マキ 70年代
1976年生まれの私は、世代としては完全に“後追い”だ。親の世代にとってはカリスマ的な人気を誇るシンガーだったということは随分後になってから知った。
どこでどう彼女の存在を知ったのか、完全に記憶にないが、とにかくそのダークでアンニュイな唄声と、唯一無二の強烈な文学性を持った美しい詩の世界に魅せられてもう随分経つ。
彼女の唄や、その黒ずくめの出で立ちには、ファンそれぞれの評価や想いがあると思うが、私は一方的に、その歌や歌詞や容姿、そして所作やバックの演奏も全部含めた「表現」の全てに、出所不明の“懐かしさ”を覚えてしまう。
それを「郷愁」と呼べるほど私は大人ではないし、そのしなやかな唄声にはいつも、過剰な程のリアリティを衝撃として感じているから「哀愁」の一言でも片付けたくない。
彼女が世に出て、多くの人々を正に虜にしていた70年代の記憶は私にはほとんどない。しかし、寝静まった夜のアーケードや、屋仁川へ向かうパトカーのサイレン、喫茶店の薄明かりや、街灯に照らされた古い木造アパートの影といった断片的なイメージの残照は、“70年代の記憶”として意識の深層を漂っている。私はそのイメージを彼女の歌に聴く。
そして、それを光の当たるところまで引き揚げて、まじまじと思い出してみたいと思うのだが、結局はいつも、彼女の歌が淡く描く“夜の街”の中で心地良く迷子になってしまうのだ。
浅川マキ DARKNESS
歌手、浅川マキの死に「あぁ、ひとつの時代が終わったな・・・」と、しみじみ思った。
たかだか三十年ちょっとだが、生きてきてそんな事を思ったのは初めてだ。
今夜も彼女のレコードを聴こう。
夜の路地裏の奥に、街灯のアーチの彼方に、少しだけ違う風景を見られるだろうか。
記:2014/09/06
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)
※『奄美新聞』2010年1月23日「音庫知新かわら版」掲載記事を加筆修正