《エポケー》~2つのベースで多重録音してみた音源
濱瀬元彦の《インヴィジブル・シティ》
「まずい! もう一杯!」
かつて一世を風靡した青汁のキャッチコピーだけれども、最近の青汁はそれほど不味くないんだよね。
あまり運動をしない私ではありますが、健康だけには気をつけんと!と思って、毎朝、伊藤園の青汁を飲んでいるんですが(運動しろよ)、豆乳などがブレンドされているので、けっこう飲みやすい。
>>伊藤園の「毎日1杯の青汁」は、まるで抹茶味の液体ういろうの如し
「旨いっ!」てほどではないんだけれども、そうだな、なんだか「眠たい味」が良いんですよね。
ハッキリしすぎない、つまりヴィヴィッドではない甘さというか、シャキッとしていない甘さも、なかなか良いではないかと思ってしまうのは、おそらくは味覚が形成される6歳までに、名古屋名物のういろうをよくオヤツで食べていたことと影響があるのかもしれません。
5歳の時に愛知県に引っ越しましたからね。
だから、味覚が形成され、定着するといわれる6歳の直前にギリギリセーフで名古屋の食文化の洗礼を受けちゃっている私は、「名古屋メシ」もそれほど嫌いじゃないんですよ。
きしめんも大好きですし、味噌煮込みうどんも大好き。
ただし味噌カツは苦手ではありますが……。
特に味噌煮込みうどんは、今でも大好きで、得に中村屋の味噌煮込みうどんが好きなのは、幼少時には、舌がヤケドするほどのインパクトがあったという原体験が大きいのかもしれません。
熱いし、しょっぱいし、うどんは硬いし。
切り刻まれた油揚げもオチャメで意外と良いアクセントになっているし、だから、すぐに好きになった。
今でも、鍋の蓋を開けると、溶岩がグツグツ煮えたぎっているかのような味噌煮込みうどんを発作的に食べたくなることが時々ありますが、残念ながら私の知る限り、東京には、中村屋のようなディープでドロドロで濃い味噌煮込みうどんを出している店がないのが残念です。
さてさて、ういろうから話がどんどん味噌煮込みうどんのほうに流れていますが、「眠たい甘さ」といえば、鹿児島名物「かるかん」も好きですね。
食べたことのない人は、蒸しパンにちょっと近いかもしれない。
蒸しパンが好きな人は気に入りそうな和菓子だと思うので、鹿児島に行ったときに食べるか、あるいは知り合いが鹿児島に旅行に出かけるときなどはお土産をリクエストしましょう。
さて、青汁に話を戻すと。
今の青汁はそれほど、マズくないといのですが、昔の青汁は「まずい!」だった。
それこそ、カラオケボックスには罰ゲームとしてのメニューとして用意されていたほどですから(今でもあるのかな?)
味というより、あの香りというか、独特の臭みが苦手だという人が多いのでしょうね。
しかし、「良薬口に苦し」ではありませんが、マズいけれども栄養はある。
栄養たっぷり含まれてる青汁、我慢して飲んでいれば、きっと健康につながる。
そのような思いで、昔の皆さんは青汁を飲まれていたのでしょうね。
青汁で思い出したのですが、私は一時期、養命酒を飲んでいたことがあったな。
小学校5~6年生の頃の私は溶連菌感染症にかかっておりまして、よく熱が出たり、体調がフラフラになってしまうこともあり、学校を休みがちな時期もあったのですが、その時は、養命酒を飲んでおりました。
子ども心ながらに、養命酒の露骨な甘さ、つまり「眠たい甘さ」とは対極にある刺激的な甘さと、飲んだ瞬間に喉と胸に染み渡るような熱さは、子どもの私には心地よい刺激でしたね。
もしかして、私がお酒が嫌いではないのは、この時期に「酒を飲むこと」の基礎体力が養われていたからなのかもしれません。
閑話休題。
青汁が現在のように洗練された「眠たい味」ではなかった時代、そう「まずい、もう一杯!」という言葉に代表される「栄養あるけどオイシくない」というイメージが定着していた時代に発表された、ベーシスト・濱瀬元彦の『テクノドローム』(1993年)。
当時、ベースを習っていた私の師匠のそのまた師匠が新作を出したということで、私はすぐに購入しました。
一聴した感想は、「つまらない、もう一回!」でした。
つまり、聴いてて全然面白くないんだけれども、なぜか気になる、音楽的に高度なことはなされていることまでは分かるのだけれども、一回だけではピンとこない、だから「もう一回!」となり、結局、なんだかんだで、かなりの回数を聴きこみました。
まさに、青汁における、
まずい!(=つまらない!)
もう一杯!(=また聴きたい!)
のコピーが、そのまま音楽に当てはまるような内容のアルバムでしたね。
近未来を彷彿とさせる、整理整頓されたインダストリアルなイメージとでもいうのかな?
そこに、フレットレスベースの即興演奏が乗っかってゆく。
かなりのテクニックで奏でられていることは、私もフレットレスを弾くのでよ~く分かるんだけれども、あえて「こもった音」がする弦、つまり、長年新品の弦に張り替えず、俗に言う「死んだ」弦で弾かれているので、倍音がほとんど無いためギラギラとした音の要素がなく、つまりはベースの音にインパクトがないので、おそらく、これを聴いた人の大半の人の印象は「地味」と感じたのではないでしょうか。
しかし、私自身もベースの死んだ弦の「こもった音」が好きだったので、音楽自体はそれほど面白くないにもかかわらず、倍音の無い地味な音色でヌルヌルとインプロヴィゼーションが繰り広げられるフレットレスベースの音色の虜になっていきました。
特に、このアルバムの目玉ナンバーでもある《エンド・オブ・リーガル・フィクション》のベースなんかは、かなりの技巧が必要だということは、ベースでスケール練習をするなど、メカニカルな運指トレーニングをしている人なら、きっとピンとくるはずです。
ビ・バップを完全に消化したことを土台に、新しいロジックを付加した上でフレーズを構築していることが分かる上に、パラパラ、ポロポロとかなりの速度でベースを弾いているので、何度か聴いているうちに「実はスゲー!」ということが分かってくるのです。
しかし、ベースを弾いたことの無い人にとっては、おそらくは「地味」に感じてしまうんでしょうね。
この演奏が新品のラウンド弦で弾かれていれば、もう少し派手でヴィヴィッドなサウンドになり、ベースに興味ない人に対しての訴求力も増したんでしょうけれどね。
そんなことを考えながらも、相変わらず「つまらない!もう一回!」のヘヴィローテーションの日々を送っていた私。
それでも、まだまだ聴き込みが足りなかったこともあってか、『テクノドローム』の曲の中でもっとも好きなナンバーは、一曲目の《インヴィジブル・シティ》だったのね。
これ、ベースがはいってない曲なんですよ(笑)。
ベーシストのアルバムなのに、ベースが入っていないナンバーが好きというのも失礼な話ではあるんだけど(次に好きな曲がラストの《ラティス》で、これもまたベースが入っていないサックス4重奏)、《インヴィジブル・シティ》のシンプルな打ち込みパターンにハマってしまったんですね。
このアルバムが発売された当時、濱瀬さんは『ベースマガジン』誌のインタビューで、たしか「ハウスミュージックを意識した」というようなことを語っていた記憶があるんだけれども、完全にハウスなテイストではないにせよ、1小節の中に、規則正しくキック(バスドラ)4つ打ちのパターンが反復され、クローズハイハットが16回刻まれるという、ごくごくベーシックなリズムパターンが、背後に現出するインダストリアルなノイズの効果もあいまってか、非常にカッコよく感じたのですよ。
ちょっとマネしてみよ~!
このリズムパターンいただきました~!
という軽いノリで録音してみたのが、コチラ。
リズムボックスに、《インヴィジブル・シティ》と同じリズムパターンを打ち込んで、あとは、ベースを多重録音しただけ。
伴奏に回る側の低音は、スタインバーガーのニセモノベースで、律儀に「F」を繰り返しているだけ。
そして、これの上にのっかるテキトーベースソロは、フェンダーの75年製のジャズベースをフレットレスに改造したものを弾いています。
ピックアップはバルトリーニなんですが、電池不使用の状態で改造してもらっているので、アクティブではなく、パッシブですね。
それと、ブリッジはバダスに付け替えています。
これは完全に『ベース・マガジン』誌上で紹介されていた濱瀬氏の改造ベースのマネですね(もっとも濱瀬氏が取り付けていたバダスのブリッジは旧型で、木をザグッて埋め込むタイプなのですが、私のバダスはそのままペタッとボディの上にネジで止めるタイプです)。
弦に関しても、濱瀬氏のこもった音、それこそ最近の青汁のように「眠たく甘い」音色を目指したのですが、死んだ弦にしてコモった音を出すには時間がかかるので、ロトサウンドのフラットワウンドを張って弾いています。
フラット弦だと、ラウンド弦に比べると倍音が少なく、最初から「艶消し」な音になるので良いのですよ、これが。
最初は、何も考えずに、規則的なリズムパターンと、反復ベースラインを録音し、その後は、このベーシックなリズムトラックにフレットレスのテキトー即興演奏を被せた多重録音です。
録りなおすのが面倒臭いので、一発録りで終了。
今聴いてみると、なんだかヨレヨレふにゃふにゃ・なんじゃこりゃ?って感じではありますが、このヘタレなフレットレスを弾いていた頃がとても懐かしくもあります。
なにせ、これを録ったのって、今から23年も昔ですからね。
とか言いつつも、この頃から、あまりベースの技量がそれほど進歩していない自分自身が歯がゆくもあったりするのですけどね。
偉大なるベーシストであり、理論家でもある濱瀬氏の作品を、さんざん「つまらない、もう一回!」などと言っておきながら、いざ自分で作ってみると、濱瀬氏の作品の足元にも及ばぬ低劣な内容となり、それこそ、作った自分でも「つまらん!もう聴かん!」と言ってしまうほどの内容。
ただね、どんな作品であれ、プロが作ったものを模倣してみたり、それに近づこうと努力してみると、今まで自分にとっては「どうでも良い」と思っていたことでも、じつは、まったく「どうでも良くない」ということを体感することが出来るので、この2台のベースで多重録音した曲《エポケー》は、かえって濱瀬さんのアイデアや、テクニック、バランス感覚の素晴らしさを認識する良いきっかけとなったことは間違いありません。
だって、これを契機に、『テクノドローム』で聴こえなかった音が、ものすごくたくさん聴こえてくるようになったのだから。
耳と感性が体験を通して「拡いて」きたのでしょうね。
苫米地さん用語でいうと「スコトーマが外れた」とでも言うのでしょうか。
何事もトライ、トライ、動け、動け。
動いたら動いただけの、収穫は多少なりともあるものです。
記:2016/03/12
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