大傑作かつ名著!村井康司『あなたの聴き方を変えるジャズ史』
素晴らしい歴史本が登場!
ジャズ評論家・村井康司氏の著書『あなたの聴き方を変えるジャズ史』は、近年稀にみる「ジャズ本」の一大傑作だと思う。
目からウロコかつ何度でも読み返したくなる本当に素晴らしい本だ。
べつに知り合いだから贔屓の引き倒しでそう書いているわけでは決してなくて、本当にジャズ史の勉強になる上に、新たな視点もモリモリ脳内にインストールすることが出来る。
そして、圧倒的分量と内容の深さにもかかわらず、肩肘張らずに気軽に読めるところも素晴らしい!
読みやすい傑作
村井さんといえば、かつて『ジャズの明日へ―コンテンポラリー・ジャズの歴史』という傑作を上梓されてはいるけれども、それをはるかにスケールアップした本が『あなたの聴き方を変えるジャズ史』だと思う。
もちろん、『ジャズの明日へ』では、多くのジャズ評論家がトライしていない領域に踏み込み、分かりやすく「新しいジャズ」の見取り図を整理してくださったが、今回の『あなたの聴き方を変えるジャズ史』は、ジャズがはじまる以前の歴史からはじまるジャズ史における一大叙事詩とでもいうべき大作なのだ。
このスケール&ヴァージョンアップっぷりは、マイルス・デイヴィスでいえば『マイルス・イン・ザ・スカイ』が、『キリマンジャロの娘』や『イン・ア・サイレントウェイ』を経ずに、いきなり『ビッチェズ・ブリュー』に到達したかの如くで、とにかくその分量、情報量、考察の鋭さには、ただただ圧倒されるのみなのだ。
村井さんのこと・1
この本の内容について触れる前に、まずは優れたジャズ評論家であり編集者でもある村井康司さんについて書いてみたい。
私が学生時代のことだ。
ジャズ喫茶「いーぐる」でアルバイトをしていた時、よく店のカウンターにやってくるお客さんがいた。
落ち着いた物腰で知的な雰囲気が全身から漂い、いつも低い声でマスターの後藤さんと会話をしていた。
ほどなくして、ほかの従業員の方から、その人は編集者で学生時代からこの店の常連だったということを教えてもらった。
さらにその後、その方はジャズの評論を書いている村井康司氏だということを知るのだが、当時の20代後半か30代前半くらいの村井さんの姿は精悍な風貌をしたカッコ良いアニキといった感じで、カミソリのようにシャープでインテリな雰囲気を持つ人に憧れていた私にとっては、将来はこういうカッコいい大人になりたいなと思ったものだ。
村井さんのこと・2
もっとも、「いーぐる」でのアルバイト時代は、オーダーを伺う以外は村井さんと話していないし、なんとなく醸し出るオーラからは気軽に口を聞けない雰囲気が漂っていたため、会話をするだなんてと恐れ多いことだと思っていた。
私がマトモに村井さんとお話をさせていただくことが出来たのは、それから十数年後のことになる。
それがいつだったかは覚えていないのだが、おそらくは別冊宝島のジャズ本か、中経出版の「さわりで覚えるジャズシリーズ」のどちらかの打ち上げパーティが「いーぐる」、もしくは近所の中華料理店で行われたときだったと思う。
これらの本の執筆陣に参加させていただいた私は、その時にはじめて村井さんと会話をすることが出来た。
どちらが話しかけて、何の話をしたのかはまったく思い出せないのだが、その時の村井さんは、私が学生時代に勝手に抱いていた、シャープで触れれば火傷をしそうな雰囲気とは異なり、非常にフレンドリーで柔和な方だった。
そして、その年か次の年の「いーぐる」常連客たちによる四ツ谷の土手での花見大会では、村井さんから「君、ベースやってるんだよね? どんなドラマーと共演してみたい?」と話しかけられた。
私は「すぐに絶対にズレちゃうでしょうけど、やっぱりエルヴィン・ジョーンズですね」みたいな返事をしたことが契機となり、しばらくはジャズドラマーの話になったことを覚えている。
村井さんからは、ロイ・ヘインズのタイム感覚の速さ、そして時代が彼の体感速度に追いついているというような話をされていた。
そして、そうそう、今書きながら思い出したんだけど、拙著『ビジネスマンのための(こっそり)ジャズ入門』で、私はロイ・ヘインズについてを書いたのだが、そこで書いた内容って、当時村井さんから教わったことではないか!
執筆中は、自分の意見として書いたつもりになっていたが(というより、今の今まで)、実はその内容って、昔、村井さんが私の頭の中に(こっそり)インストールした内容そのままだったのだ。
いやはや、私は村井さんの手の平の上であります。
……と、長くなってしまったが、このようなキッカケから、以来、「いーぐる」のイベントなどで村井さんにお会いするたびに、面白いお話を聞かせていただいている。
村井さんのこと・3
と、ここまで読んで、最近の村井さんしか知らない人からは「おいおい、村井さんって、シャープでカミソリみたいかぁ? 村井さんはおヒョイさん(藤村俊二)のような味のある紳士だぞ!」とツッコミが入りそうだ。
たしかに、最近の村井さんはそうだよなと、最近撮影した「いーぐる」のマスターの後藤さんと一緒の写真を見るとそう感じる。
しかし、昔は本当に精悍なルックスの方だったんです。
当時の写真はないけど(なにせ、会話すらするのが怖かったから)、今から約10年近く前の写真なら、おっ、あった!
まるで役所広司!
字は違うけど「コージ」つながり?!
『スイングジャーナル』誌上での山中千尋さんとのツーショットですな。
若かりし日の村井さんの鋭い眼差しの面影がまだ残っている。
後藤派テイスト
ところで、私は村井さんが書く文章が大好きだ。
「いーぐる」でアルバイトをしていたときは、会話をすることは出来なかった村井さんだが、私は常に村井さんがお書きになられた雑誌の記事やディスクレヴュー、またCDのライナーノーツ、ネット上のテキストなど、村井さんが書いた様々な文章を読んでいた。
そして、その内容から、本当にしなやかな人であるというイメージは学生時代から一環して抱き続けている。
ときにオチャラけた文章も書いたり、わざと誇大表現を畳み掛けたり、エスカレートさせて笑いを誘ったりをすることもあるのだが、そのフザケっぷりも私のツボにはまっていた。
村井さんが持つジャズ観は、基本、「いーぐる」の常連客ということもあり、マスターの後藤雅洋さんと根っこの部分はほとんど同じだと私は感じていた。
特に、まだ村井さんが本を出版される前に雑誌などに寄稿されていた時期の文章は、一瞬、後藤さんが書いたものかと見まごうほど、その着眼点や思考のみならず、文体も似ていることもあった。
しかし、チャーリー・パーカーとソニー・クリスが似て非なるように、後藤さんのテイストと村井さんのテイストんは、ほんの少しのニュアンスの差があり、読み進むうちに「あ、これは後藤さんではなく、村井さんが書いてるな」なんて、クレジットを見ずに筆者を当てる「文章ブラインド」を一人で楽しんでいた時期もあるくらいだから、やっぱりジャズ評論家としての初期の村井さんは、「後藤派」という言葉があったとしたら、まぎれもなく後藤派、いや「四谷派」の筆頭格に相応しい評論家だと今でも昔も思っている。
後藤さんと村井さんの違い
主張やジャズ観が相似形がでありながらも、やはり「いーぐる」マスター・後藤さんの文章には、「オレはジャズをわかっている」という絶対的な確信が根底にあるがゆえの揺るぎのない「強さ」がある。
その一方で、村井さんの文章は、もう少し柔らかい。
筆圧の強い後藤さんをバド・パウエルのピアノだとすると、村井さんの文章はパウエル派のバリー・ハリスといった趣きだ。
というより、実際、私はそう思っていた。
頭の中で後藤さんを思い浮かべると、『ジャズ・ジャイアント』が鳴り響き、村井さんを思い浮かべると『マグニフィセント』、いや、もうすこしマイルドになって陰影に富んだ『アット・ザ・ジャズ・ワークショップ』を思い浮かべていたものだ。
漂う落ち着いたインテリジェンスな雰囲気も、なんとはなしにバリー・ハリスに似ていると私は個人的に思っていたのだが、バイトをしていた当時、レコード係の人にそのことを話したら、「それは違うよ、横顔限定でコルトレーンの『ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン』のジャケ写左に立っているファラオ・サンダースだよ」といわれてしまった……。
Live at Village Vanguard Again
やがて独自の文体へ
その後、村井さんは『ジャズの明日へ』というすばらしい「目ウロコ本」を出版され、また全国の有名ジャズ喫茶を取材した『ジャズ喫茶に花束を』という本も出版された。
ジャズ喫茶に花束を―ジャズ喫茶店主九人が語る「ジャズの真実」
どちらも発売後は、すぐに買って読んだが、私が大好きな村井節がテキストのいたるところに散見され、むさぼるように楽しみながらページをめくったものだ。
おそらくだが、ちょうどこの時期あたりから、村井さんが書かれる文章にはオリジナリティ、というと怒られてしまいそうだが、なんというか、後藤さんの強力な重力圏から脱した独自のテイストが滲み出てくるようになり、完全に村井さんのオリジナルなテイストを感じることが出来た。
あたかも、パーカーの重力圏から脱し、独自の味わいを獲得したフィル・ウッズやキャノンボールのように。
いや、むしろトリスターノ派から離脱して、少しずつマイルドになっていったリー・コニッツのアルトサックスのほうが近いかな?
しかし、こう書くと、まるで後藤さんが、あの「おっかない」レニー・トリスターノみたいになってしまうが、後藤さんはトリスターノ的ではないな、やっぱりパーカーか。
ま、「おっかない」ところだけはトリスターノかもしれないが(笑)。
後藤 vs 村井
さてさて、こんなことを書くと、また怒られてしまいそうだが、ある日の夜、息子と2人で閉店前の「いーぐる」を訪問した際のこと、後藤さんと村井さんが客席のテーブルにいらっしゃったので、お二人が座っているテーブルに同席させていただいた。
そしたら、ほどなくして後藤さんと村井さんが喧嘩を始めちゃったんだよね。
いつもの光景なんだけれども、大人同士のガチな口論を始めて目にする息子は、目を丸くして驚いていたようだ。
もちろん、後藤さんは喧嘩をしつつも我々親子に気を遣ってくださり、格闘技好きな息子の話題にあわせて格闘技の話をしてくれながら村井さんと喧嘩をしていたし、村井さんも喧嘩をしながらも赤ワインをオーダーして我々全員にふるまってくれた。
しかし、そうこうしながらも、お二人の喧嘩は止まらない。
というよりも平行線。
微妙なところで話が噛み合っていない。
直球で村井さんの真意を問いただそうとする後藤さん。
それをはぐらかそうと微妙にズレた話題で応酬する村井さん。
後藤さんエスカレート、村井さんはますます「マイワールド」に没入。
まるで、極真空手と太極拳の戦いか。
はたまた、ブルース・リー対ジャッキー・チェンか。
いや、『ファイヴスポット』の《ザ・プロフェット》におけるエキサイティングなエリック・ドルフィーと、滑らかなブッカー・リトルの鮮やかな対比の如くかもしれない。
Eric Dolphy At The Five Spot - Vol. 1
村上龍の初期の傑作『愛と幻想のファシズム』で言えば、直線的でプラグマティックな鈴原冬二を後藤さんだとすると、ナイーブかつ芸術への憧れを抱き続け脱線の多いゼロ(相田剣介)が村井さんで、松本大洋の『鉄コン筋クリート』でいえば、後藤さんがクロで、村井さんがシロという感じ。
まるで、典型的なO型とAB型の喧嘩を見ているようだった。
もちろん仲良し同士の兄弟げんかのようなものなのだが、息子はこのお二人の言い争いを呆然と見ていた。
この喧嘩の様子に呆気にとられていた息子は、もちろん微妙に殺気だった雰囲気に驚いていたこともあったのだろうが、後で聞くと、「明らかに父親より年上の大人同士が、ジャズのことで熱くなっていること」に驚いていたらしい。
ま、言われてみれば確かにそうだ。
ジャズは人を熱くさせちゃう何かを持っているのだ。
「柔」の村井さん
ところで、このやりとりからもわかるとおり、後藤さんが「剛」だとすると、村井さんは確実に「柔」だ。
それは、プライベートの席だけではなく、ジャズの仕事、スタンスにおいても「柔」の資質がよくあらわれている。
たとえば、一時期ジャズマニアからは問題の書とされた(?)、『ジャズ構造改革』。
これは、ジャズ評論家3人による歯に絹を着せぬ鼎談本なのだが、この3人の中に村井さんもメンバーとして参加している。
そして、この本の感想をネットなどでチェックすると、中山康樹さんや後藤さんに対しての苦言や反論などは多く目にするが、村井さんに対してのそれはほとんどないことに気が付く。
おそらく、役どころとしては、個性と主張の強いお二人の「まとめ役」的なスタンスを柔軟にこなしていたからなのかもしれない。
とはいえ、単なる司会進行のみならず、きっちりとご自身の意見もけっこう話しているにもかかわらず、あまり読者からの反感を買わないのは、村井さんならではの柔軟さとバランス感覚なのだろう。
ジャズのみならず、ロックの分野においても『ボブ・ディランとともに時代を駆けた20世紀のロック名盤300』という本の著者の一人でもあるし、
ボブ・ディランとともに時代を駆けた20世紀のロック名盤300
最近では俳句の絵本も編集されているし、
以前は菊地成孔の本も編集されていたし、
歌舞伎町のミッドナイト・フットボール―世界の9年間と、新宿コマ劇場裏の6日間
そして、先日、TFMで催された「いーぐる50周年記念パーティ」では、司会者の方がいるにもかかわらず、いつの間にか司会をしながら会場を沸かせているしと、とにかく、オールマイティな方。
司会といえば、そうそう、私が『ビジネスマンのための(こっそり)ジャズ入門』をいう本を出したときの出版記念イベントの際も、村井さんが司会進行をしてくださった(感謝)。
参考:『ビジネスマンのための(こっそり)ジャズ入門』トークイベント
それでいて、出版社では編集者としてきっちり仕事をされているし、大学の講師も勤めているし(尚美学園大学音楽表現学科)、連ドラの『あまちゃん』も毎日観ていたようだし、新しいジャズの新譜もたくさんチェックしているし、ジャズ以外の音楽にも詳しい上に的確な論考もするしと、いったい村井さんは、一体いつ寝ているの?というより、いつジャズを聴いているの?と思うほど、数多くの活躍をされている。
ジャズ評論界のトミー・フラナガン?
さきほど、村井さんのことを、ピアニストでいうとバリー・ハリスと書いたが、村井さんの活動実績を振り返ると、まてよ、もしかしたら、バリー・ハリスよりもトミー・フラナガンのほうが近いのではないか?と思えてきた。
トミー・フラナガンは、共演者を「立てる」ことが巧みな名ピアニストだ。
有名なアルバムでいえば、ソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』、それにコールマン・ホーキンスの『ジェリコの戦い』も、バックのピアノを弾くのはトミー・フラナガンだ。
テナーサックス奏者ついでにもう一つ挙げるとすると、ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』もトミー・フラナガンだ。
さらに、さらに。
テナーサックス奏者のアルバムで参加したアルバムを芋づる式に思い出すと、あのローランド・カークも参加しているロイ・ヘインズの『アウト・オブ・ジ・アフタヌーン』や、ブッカー・アーヴィンの『ブック・クックス』もフラナガン氏がバックでピアノを弾いている。
特に、『ブック・クックス』の迫力のある重たいフラナガンのピアノを聴くと、単にエレガントなだけではなく、非常に引き出しの広いピアニストなのだなということがよく分かる。
名盤の陰にフラナガンあり。
フラナガンは名盤の立役者であるといっても過言ではないほど、異なる個性を持つジャズマンたちのサポートを難なくこなし、しかもきちんと主張すべきところでは主張を忘れない。
村井さんは、トミー・フラナガンと非常に立ち居地が似ている評論家のような気がしてきた。
まるで『オーヴァーシーズ』
そんなフラナガンなのだが、リーダー作が思いのほか少ない。
しかし、彼がリーダーの作品は少ないにもかかわらず、滋味に溢れクオリティが高い。
その筆頭が『オーヴァーシーズ』だろう。
エルヴィン・ジョーンズとウィルバー・リトルの3人によって吹き込まれたアルバムだが、これがまた極上のピアノトリオなのだ。
まぎれもなくトミー・フラナガンを代表する傑作だろう。
それと同様に、村井さんが今回上梓された『あなたの聴き方を変えるジャズ史』も、これまでの村井さんを代表する極上の仕上がりの一冊だ。
装丁も良いし、ちょっとマニアックかもしれないけれども、使用されているカバーの用紙の手触りや、本文の用紙の手触りとページのめくりやすさ、さらに二段組みでありながらも文字のボリュームが気にならないページレイアウトなどなど、長時間の読書でも疲れにくい作りになっているのだ。
そして、もちろんそれ以上に内容が脳内を刺激しまくる。
ジャズが生まれる以前のアメリカ合衆国や大西洋に浮かぶ周辺の島々の地理的状況からはじまる本書。
アメリカ大陸の東側が大きくクローズアップされた地図を見ながら、軽妙な語り口で書かれた本文を読むだけで、もう最初の1ページ目から、目からウロコが落ちまくりだ。
とにかく、村井さんはジャズのみならず、他の音楽のジャンルにも詳しいのったらなんの。もう本当に勉強になります。
村井さん、忙しいはずなのに、いつ他のジャンルの音楽やアメリカや周辺諸国の地理や勉強をしているのだろう?
まんべんなく深い
「ジャズ以前」からはじまり、「最近のジャズ」まで。
端折ることなく、どの章もまんべんなく詳しい解説が続く。
ジャズのみならず、カリブ海の音楽にも、ブルースにも、カントリーにも、R&Bやソウルにも、ヒップホップにも、そして音楽理論にも詳しい。
これら広範囲にわたる知識を統合、検証し、どの時代のジャズに関しても的確な考察、いや、それ以上に目からウロコが落ちまくる新しい角度からの視点を投げかけてくれ(それも優しく語りかけるように)、読んでいること自体が喜びと幸福に包まれるような気分にさせてくれる素敵な本でもあるのだ。
広い領域をカバー
もちろん過去にも優れたジャズの歴史書はあった。
特に「いーぐる」の後藤さんからは「雲チャン、これぐらいは読んどかなきゃ」と勧められた油井正一氏の『ジャズの歴史―半世紀の内幕』や、相倉久人氏の『超ジャズ論集成』は、ジャズ史の勉強になった。
(そういえば、相倉氏の『超ジャズ論集成』の解説を書いているのも村井さんだった!)
しかし、これらの本で紹介されているジャズって、それぞれ、1950年代と1970年前半どまりなんだよね。
書かれた時代が時代だから仕方がないけれども、ジャズはそれからさらに半世紀も続いているわけで。
この「書かれていない数十年」を埋め、さらにジャズの始まり以前から、本当にごくごく最近のジャズまでを体系的に一冊の本にまとめられたのが村井氏の『あなたの聴き方を変えるジャズ史』なのだ。
おそらくカバーしている時代の領域は、『あなたの聴き方を変えるジャズ史』が、古今東西のジャズ史の本の中では、もっとも広いのではないだろうか。
それでいて、重厚長大な感じを漂わせていないのは、村井さんならではのセンスと柔軟さならではのものだろう。
濃い内容がギューッと凝縮されているのに、そのようなことを微塵も感じさせず、気軽な気分で「今日は61章から読もうかな」とページをめくらせる作りになっている。
濃いくせにカジュアル気分で「読みたい欲求」をくすぐってくれる本なのだ。
入門者からマニアまでオススメできる内容
「超大作」であることは間違いのないのに、「歴史を揺るがす超傑作!」という雰囲気を漂わせないところって、まるで、トミー・フラナガンの『オーヴァー・シーズ』が、歴史に残る優れた作品でありながらも「世紀の大傑作!」とは呼ぶにはちょっと大げさすぎるかなと思ってしまうことに似ている。
やはり書き手のセンスが良いと、深い作品でありながらも「しなやかさ」「軽やかさ」のほうが全面にムードとして出てくるのかもしれない。
とにかくお勧め。
もちろんジャズ入門者の方も、安心して読める内容ではあるけれども、むしろ、「ジャズの名盤はひととおり聴いています」くらいのジャズ中級者の方が読めば、この本の凄さを体感できるはずだ。
もちろん、年季の入ったジャズマニアが読んでも、かなりの手ごたえを感じるはず。
しかも、「お勉強」している気分にならずに、知らず知らずのうちにジャズの「勉強」をしているという、フレンドリーな傑作本なのだ。
それにしても、村井さんは、一体いつ寝ているんだろう?
記:2017/12/01
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