音楽評論家について思うことを毒舌まじりで

      2018/06/19

今はどうなのかは分かりませんが、な「評論家」というと、なんとなく「偉そう」「権威的」「力を持っている」というようなイメージを抱く方もいらっしゃると思うんです。

少なくとも、石原裕次郎がドラムを叩いていた時代は、確実に評論家っていうと、そういうイメージでしたよね?

でも、私、最近思うんですが、評論家こそ、もっとも謙虚になるべき人種なんじゃないかと。

だって、ヤツらは人を感動させる音を1音でも奏でましたか?
人を納得させる表現能力を持ち合わせていますか?

ってことなんです。

恐らくは「ない」と思います。

稼いだことの無い人が「お金持ちになるためのセミナー」を開催したとしたら、それって詐欺ですよね?

それと同様、音楽の表現の深さや快楽を心底味わっているのかどうか分からない人が書いたレビューも、やっぱり眉唾なわけであります。

たとえば、ディスクレビューってやつは、私は、『スイング・ジャーナル』や『ジャズ批評』や『ジャズライフ』のレビューってあんまり面白いとは思えないんですね。

毎号、「面白く読めるよな人間になろう!」と人並み外れた努力をしてはいるのですが、なかなかその境地には達することが出来ません(……あ、言っちゃった!)。

もちろん、中には素晴らしいレビューもありますが、全体的な印象としては、やはり「う~む」な内容が多いのであります。

べつに、無理して面白くなくてもいいです。

もちろん、たまに面白いものもありますが、あまり購買欲求につながるものってありません。
むしろ、「不購買欲求」がつのるものも多々あったりするので困ったものです(笑)。

プレスシートの引用と、自身の感想をいい按配で配合させた、「ワザ」の集積のようにも感じます。
それはまだマシなほうで、締め切りに帳尻合わせをしているヤッツケにすら感じる文章もある。

「本当に聞いて書いているのかよ? 単にレコード会社から送られてきたプレスシートの文面を再編集しているだけなんじゃないの?」という、誌面スペースを文字で埋めただけの駄文も多い。

ま、それはそれで、「ジャズライター」志願の珍しい人にとっては勉強になる要素は多々あるのかもしれませんが、いち読者としては、滅茶苦茶つまらない。
聴いてみたいとは思わない。

読者にそう思わせてしまうレビューを書くことって、ある意味、ミュージシャンに対しては犯罪的な行為なんじゃないの? とも思うわけです。

じゃあ、私が面白いと思うディスクレビューは? というと、やっぱり一部のブログや、「ディスク・ユニオン」や「タワーレコード」や、「サウンズパル」のような現場で「聴いて売っている人たち」の手書きPOPですね。

それと、雑誌でいうと『ベース・マガジン』のディスクレビューかな?
やっぱり『ベース・マガジン』のディスクレビューは面白い。
ベーシストにレビューさせているんですよ。
ベーシストにしか書けないツボや聴きどころが書かれているので、かなり参考になります。
やっぱり表現者が感じる表現は違うな、と。

『ベース・マガジン』のレビューを読んで買ったCDも少なくありません。
だいぶ昔のことではありますが、ミシェル・ンデゲオチェロを知り、すんげぇ!と思ったのも、ベースマガジンのお蔭です。

表現者が書く文章は、やっぱり表現力に長けています。
分野違えど、ね。

人の魂をふるわせる音を 一音たりとも発することの出来ないヤカラの表現とは、やっぱり「質」が違うよな、と思ってみたりもするわけなんですよ。

個人的に思うのは、もっと楽器弾きでレビューを書ける人が増えてくれればな、ということ。
野球の試合の解説も、やっぱり元選手が多いわけでしょ?
それと同様、楽器の力量はいまひとつな人でも、音を発する喜びと、人を感動させる苦労を少なからず背負い込んだことのある人間の「コトバ」ってのは説得力が違います。

哲学用語の援用や、プロフィールや時系列の羅列も結構なことだと思いますが、多くの人に「分かりやすく・分かりやすい言葉」で、「音」を伝達するのは、やっぱり難しい。

旧態依然とした評論がまかりとおることの弊害は、読者には直接分からないとは思うのですが、発信元としては売上部数の低迷を現場からリアルに感じられるのではないでしょうか?

ちょっと時代遅れな感が無きにしも非ずな「音評」を野放しにしていたツケが『ADLIB』廃刊というジョーカーが回ってきたんだよ、きっと。
次の「ババ」を引くのはどこなんでしょうかね?(笑)

テキーラ8杯目を呑みながら会員制の某バーにて。
乱文お許しください。
<(_ _)>

記:2010/04/19

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