『泣いた赤おに』はいいよぉ!
出そうな涙をおどけて誤魔化す
うちは子供に何時になったら寝なさいといったことは一切言ってません。
昔、バンドにいたギタリストが、「眠たくなるまで起きている」という、秀逸な自由律句を詠みましたが、まさに、我が家は各人、「眠たくなるまで起きている。ただし、翌朝起きるのも自己責任」です。
だから、うちの息子も、疲れたときは、夜の8時に寝てしまうこともあるし、本づくりやTVの映画に熱中しているときは、2時でも3時でも起きていることもザラです。
ただ、私の帰りを待つために寝るのを我慢していたという話を翌朝聞くと、ちょっとヘコむんだよなぁ。
昨日の私は、ジャズ喫茶で原稿を書いていたら、店の常連の方々がガヤガヤとやってきて、彼らと合流。
閉店間際にやってきたマスターも座に加わったので、閉店後も呑みと談義が続き、帰宅したのは、午前3時近くだったからね。
息子は、私に遊んでもらいたくて、2時半頃まで我慢して起きていたらしいんだけれども、さすがに眠くて寝てしまったようです。
翌朝、女房に「父上の帰り遅い、遅いってずっと待っていたんだよ」と言われた日にゃ、「すまん!オレが悪かった」と一瞬だけだけ思いましたね。
女房を待たせても、あんまり良心が痛まない薄情な私ですが、わが息子が眠い目をこすりながら、オレ様の帰りを待っていてくれていたのかと思うと、なんだかいじらしくて涙がこぼれてきそうです。
仕方が無い、じゃあ、朝から本を読んであげよう。
昨日の夜の埋め合わせだ! ということで、床に転がっていた浜田廣介童話集の中から『泣いた赤おに』を息子に読んであげました。
正座して読んでいたら、気がつくと、いつのまにか息子は私の膝の上に座り、じーっと聞いていました。
この話は、淡々とした文体がかえって涙を誘います。決して大げさな描写はしていません。
たとえば、この話の山場の、青鬼が老夫婦の家で暴れるところや、赤鬼が青鬼をやっつけるところなど、描写としては非常に淡々としている上に、それほど文字数が費やされていないのです。
むしろ、赤鬼の家のインテリアをこと細かに描き、いかに赤鬼君は几帳面で折り目正しい鬼なのかを描写することに紙数を費やしています。だからこそ、ラストの青鬼の手紙が心にしみてくるのかもしれない。
今日も、青鬼君の手紙を読んでいる途中で、なんだか涙が出てきそうになったのだけれども、必死に平静を装って読みました。もしかしたら、ちょっと声が震えていたかもしれない。
でも読み終わった後、「や、や、や、やめろよ! イヤだって言ってるだろろろろけ…」と、電車男バージョンの赤鬼くんの実演をやって笑いを取り、こみあげてくる涙をこみ下げました(笑)。
こういう話で涙ぐむから、私は人からお人よしのお節介と昔から言われるんだろうな。
記:2005/09/01(from「趣味?ジャズと子育てです」)