アル・ヘイグ・トリオ/アル・ヘイグ
2021/01/30
アルバムレビューを読む愉しみ
「ジャズ・アルバムのレビューを読む」ということ。
これって、聴くこととは違う別な楽しみがあると思う。
この楽しみを教えてくれたのは、寺島靖国氏のレビューだ。
勢いあふれる快刀乱麻のような文章と、ときおり見え隠れする中年男の悲哀とナイーブさ。
もちろん、これらの気分の配合率は、氏にとっては計算済みなのだろうけど。
虚勢を張って強気になったかと思うと、妙に弱気になってみたりと、非常に文章の気分における緩急の巧い人だと思う。
私がジャズに入門して間もないころは、装丁が魅力的な氏の処女作『辛口ジャズノート』の存在を知り、夢中になって読んだものだ。
しかし、この本に書かれている内容のことごとくが、私の中で形成されつつあったジャズ観とは正反対だったので、「なんでこんなに違うんだよ」と反発を覚え、それがかえって寺島靖国なる人物を注目せざるを得なくなることになった。
ここがレビュー読みの面白いところだが、自分の考えとは正反対だからといって、その人のことを嫌いになったり、その人のレビューを読まなくなるということは無いのだ。
むしろ、好みと主張の骨子が分かりやすい人ほど、自分のジャズ観を照らし合わせるための格好のバロメーターとなるし、その人の意見がアルバムを購入するときの目安となることもある。
つまり、「あの人が貶しているから、このアルバムは俺の好みに違いない」という判断だって出来るわけだ。
たとえば、私の場合は、岩波洋三氏のレビューがまさにそれで、氏が貶したアルバムやジャズマンほど好みになることが多い。
また、氏は好んで「精神性」「精神的に」という言葉を頻繁に使うが、レビューにこのような言葉が散見されるアルバムはなるべく避けるようにもしている。
残念ながら、私は氏のようにサウンドから音楽家の“精神的成長”といった“音そのもの以外”までをも感じ取れるほどの超人的な耳と感受性は持っていないからだ。
と、まぁ、レビュアーのクセや好みや傾向が分かってくると「逆読み」も出来るというお話。
様々なレビュアーの表現
一年ぐらい、くまなくジャズ関係の雑誌やアルバムの解説などを読み漁っていると、おおまかなジャズの評論家の好みやクセが分かってくる。
自分の好みに近い人もいるし、自分にはあまり縁の無い時代のジャズに精通している人もいる。
文章が面白い人もいれば、やたら難解な文章を書く人もいる。
また、非常にフラットで、当たり障りの無いレビューを書く人もいるし、簡単な言葉で本質を突いている書き手もいる。
歴史や文化的な背景に精通している人もいれば、データ偏重主義で、音楽なんて聞いていないんじゃないかと訝ってしまうジャズをまるで昆虫採集の標本のような取り扱いをしている人もいるかと思えば、「奥さん」と「ご飯」の話題をジャズに結び付けてしまうという見事な手腕の持ち主もいる。
レビュアーの好みや傾向を漠然とでもいいから把握しておくと、巷に溢れる膨大な量のジャズのアルバムの中から、ハズレを引く確率も低くなってくるし、何より、自分が気に入ったアルバムを、さて、あの人はどのような言葉を使って貶して(褒めて)いるのだろうといった興味も湧いてくる。
チャーリー・パーカーが好きだということで通っている人が、ジョン・ゾーンや最近のジャズに対してはどのような感想を持ち、なおかつ未だ自らの“感受性”と“先進性”は衰えていないことを、どう論評に織り交ぜながらさりげなくアピールをしているのかとか、マイルス・フリークで通っている評論家が出したブルーノートの本って、一体どんな内容なのだろうという興味も湧いてくる。
最初は単にアルバム購入のガイドにしかならなかったレビューも、アルバムの数が増えれば増えるほど、そして、ジャズを知れば知るほど、単なるガイドを超えて、自分の感想を付き合わせる鏡としての役割も果たすようになってくるので、ジャズのレビュー読みはやめられない。
寺島レビュー
そんな私にとって、音楽とは無関係に、ついつい文章を読むことが目的になってしまっている人が、やっぱり寺島靖国氏なのだ。
なにより好みが偏っているところが良い。
書き手の顔が見えてくる文章を書くところに親しみが持てる。
もっとも、ジャズに入門したての人が氏の文章を鵜呑みにすると、「ジョニ・ジェイムスこそジャズだよ!」ということになりかねないので注意が必要かもしれないが(笑)。
なにしろ、先ほども触れたとおり、氏の好みは非常にマニアックで、取り上げるアルバムも、専門店でも中々お目にかかれないものも多い。
それでもたまに自分が持っているアルバムをレビューしていることもあるので読んでみると、「え?こんな曲あったっけ?」とビックリすることもあるし、「こんな視点でこのアルバムやミュージシャンを捉えているんだ!」と目からウロコが落ちることが多い。
表現も秀逸だ。
チャーリー・パーカーの演奏を「大型ペンチで心臓をつかまれるような演奏」、ビリー・ホリデイの歌を「酔っ払い女がゲロを吐きながら路地裏をほっつき歩く姿」、ソニー・ロリンズの歌心を「セント・トーマスを口ずさみながら生まれた男」などなど。
ファンが聞いたら怒り出しかねない喩えも時として登場するが、描写は抜群にうまく、うん、たしかにその通りだよなと頷く表現が多いのだ。
アル・ヘイグ=隠花植物
そんな喩えの中で、私が個人的に好きなのは、アル・ヘイグのピアノを「隠花植物」と喩えたこと。
なかなかうまい喩えだと思いませんか?
ほかのレビューでは「一徹者」という喩え方もしているが、私の場合は「隠花植物」というたった4文字で、アル・ヘイグというピアニストに興味を持った。彼のリーダー作を聴きいてみたくなった。
そして、何枚か買った。
聴いてみて「なるほど」と思った。
うまい喩えをするものだ。
ジャズのレビュー読みの楽しみは、このように未聴の音源も、たった一言か二言の言葉で、購買意欲や興味を喚起させることもあるということだ。
このミュージシャンの音を聴いてみたい!と読み手に思わせれば、レビューアーの勝利。
もちろん、アル・ヘイグを「隠花植物」と喩え、私をショップに走らせた寺島氏の勝利なのだ。
アル・ヘイグのアルバムの中でも、“隠花植物度”の高いアルバム。それが『アル・ヘイグ・トリオ』だ。
メジャー調の曲でも、ラテンタッチのリズムの曲でも、どのピアノも、なんだか「じとーっ」と微妙に湿り気を帯びている。
そして、古い家屋の、普段は使われていない部屋の襖を開けたときに流れてくるような微妙に冷んやりとした空気感がたまらなく良い。
そして、なによりこのアルバムは、リズムセクションが最高。
特にビル・クロウのベースが素敵だ。
彼のベースを“歩き”に喩えると、寸分の狂いもない正確な歩幅と速度、そして、足の裏には吸盤が付いているんじゃないかと思うほど、地面にピッタリと吸い付くかのようにベースワークが見事だ。
職人技とは、このことを言うのだろう。
もちろん、隠花植物なアル・ヘイグのピアノも素晴らしいし、演奏時間の短い曲ばかりが収められて飽きることがまったくないことも、このアルバムの良いところだが、やはり、ビル・クロウのベースワークの素晴らしさを筆頭に揚げたいアルバムだ。
記:2003/02/09
album data
AL HAIG TRIO (Diw)
- Al Haig
1.Just One Of Those Things
2.Yard Bird Suite
3.Taboo
4.Mighty Like A Rose
5.S'Wonderful
6.Just You Just Me
7.The Moon Is Yellow
8.'Round Midnight
Al Haig (p)
Bill Crow (b)
Lee Abrahams (ds)
1954/03/13