コルトレーンとアイラーの違い
2021/02/17
アイラーとトレーン
ジョン・コルトレーンとアルバート・アイラー。
過剰なほどにエネルギッシュなテナーサックス奏者というイメージを抱く人も少なくないのではないでしょうか。
もしかしたら、コルトレーンに関しては『バラード』のイメージが強いので、「過激」というイメージを抱けないという方もいらっしゃるかもしれませんが、コルトレーンは後期になればなるほど、どんどん過激な演奏姿勢に変貌していきます。
この二人の関係はといえば、コルトレーンはアイラーに触発され、アイラーもコルトレーンからの影響を受けていました。
アメリカ激動の60年代、ジャズもどんどん先鋭的かつ過激にエスカレートしてゆく中、まるでそれとシンクロするかのように、この2人が発するサックスの咆哮も大きなヴァイブレーションを帯びるようになり、同時代の人々のみならず、現代の「音聴き者」たちの耳をも挑発してやまないのです。
しかし、一見同じように見える(聴こえる)コルトレーンとアイラーのテナーサックスですが、ずいぶんとエネルギーを放射する際のベクトルや、アプローチは異なっています。
横の情報量・縦の情報量
「横の情報量」の多さがコルトレーンだとすると、アイラーは「縦の情報量」が多いテナーサックス奏者なのではないかと私は考えています。
時間軸(横軸)に沿って、「シーツ・オブ・サウンズ」と呼ばれるほど、大量の音符を吹きまくるコルトレーン。
特に後期になればなるほど、その熱量はハンパないものになってきます。
中空に放たれる音符の量が増えれば増えるほど、演奏時間も長尺化していきました。
その一方で、横方向に流れる時間に沿って音符を敷き詰めるコルトレーンとは、ある意味対極なのがアルバート・アイラー。
同じ熱量やエネルギーは、情報過多でありながらも、情報量を凝縮、圧縮して短時間でインパクトを与えるのがアイラーの縦揺れのバイブレーションなのでしょう。
音符の量は、コルトレーンよりも少ないものの、一音一音に込められた音価、音の情報の密度が高い。
ビブラート、フラジオ、グロウル……。
とにかく、一度にたくさんのニュアンスを少ない音に込めまくっているため、かなりこちらにガツーンと迫ってくるんですよね。
余談ですが、エリック・ドルフィーも初期は「横系」、後期になるに従って「縦系」のスタイルに変化していきましたね。
>>水平ドルフィー⇒垂直ドルフィー
では、ひとつひとつの音に過剰な情報量を封じ込めたアイラーのお勧めは?
もちろん、おすすめアルバムはたくさんあるのですが、やはり『スピリチュアル・ユニティ』のアイラーのテナーサックスが素晴らしいと思います。
サニー・マレイのシンバルの連打も凄いし、ゲイリー・ピーコックのベースは謎だらけ。
グワ~ッ!と、音の洪水が猛烈な勢いで迫ってきます。
シンプルなピアノレストリオという編成なのに、いったい、襲いかかってくる音の情報量の多さはなんなんだ!?
そんなことを考えているうちに、暴風雨のような演奏はあっという間に終了し、静けさの中から生まれるムードは、まるで台風一過のようなのです。
もし、これから『スピリチュアル・ユニティ』を買って聴いてみようと思われる方がいらっしゃれば、ESP50周年記念エディションの「完全版」のほうをおすすめします。
幻の5曲目、《Vibrations AKA [tune Q]2 (Bonus track)》が復活し、収録されています。
8分間のスリリングな演奏。
これのナンバーもまた素晴らし♪
記:2015/07/08