バルネ/バルネ・ウィラン
2番目の存在感
この時期のバルネは「二番手の男」だった。
悪い意味ではない。
マイルスにしろ、ケニー・ドーハムにしろ、ジャズの本場・アメリカからやってきた生粋のジャズマンとともに共演し、きちんと彼らと遜色のないプレイをしているのだから。
しかも、あの若さで。
マイルスの『死刑台のエレベーター』のサイドマンとして参加したときのバルネは20歳。
そして、ケニー・ドーハムやデューク・ジョーダンが、映画『危険な関係のブルース』の撮影のためにパリにやってきた際、現地のジャズクラブ「サンジェルマン」でおこなったライブで共演したときが22歳のときだ。
この若さで、立派にフランスを代表する(?)テナー吹きとしての任を全うしているといって良いだろう。
このアルバム『バルネ』、そして続編の『モア・フロム・バルネ』では、そのバルネの雄姿が確認できる。
しかし、当然といえば当然なのだが、やはりアウェイでありながらも、本場ジャズの街、ニューヨークで鍛え抜かれたケニー・ドーハムのトランペットの存在感は並外れている。
ついで、ピアノのジョーダンも素晴らしいピアノを弾いている。
それは仕方がない。
2人とも、あのチャーリー・パーカーのグループでサイドマンを務めていたジャズマンだからだ。
しかし、彼らに拮抗しうる存在感を放つ若きバルネだって素晴らしいではないか。
哀愁の《ベサメ・ムーチョ》の曲調は、やはり哀愁のトランペッター、ケニー・ドーハムのトランペットがピタリとマッチしている。
「ドーハムも名演だが、あの若手テナー奏者も、なかなかやるではないか」
誰もがそのような感想を抱くはず。
だからこそ、2番目に輝く男、バルネ・ウィランなのだ。
少なくとも、若かりしこの時期のバルネは。
もちろん、悪いことではない。
ある意味、いちばん難しいポジションかもしれない。
マイルスにしろケニーにしろ、独自の世界観を持ったトランペッターだ。
そんな彼らが形成する独自のムードを壊すことなく、いやむしろ、さり気なく色を添えながらも、きちんと自己主張はする。
トランペッターの邪魔をせず、さりとて埋没することもないバルネのテナーサックスの「あの音色」。
あまり語られることはないかもしれないが、彼のテナーの音色と、ほのかな色気はもっと評価されてしかるべきだろう。
バラード表現
そういえば、テナー以外に、このアルバムで彼はソプラノサックスも吹いている。
《エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー》だ。
デューク・ジョーダンのピアノのイントロが秀逸で、高音域をメインに弾くピアノの音色とフレーズがとても美しい。
そして、このムードを引き継ぐバルネのソプラノは、聴き手をうっとりとさせる語り口だ。
バラードということもあり、そして、テナーと音域が同一ゆえキーの操作は同じではあるが、アンブシュアがテナーサックスよりは難しいソプラノサックスということもあるのだろうか、《エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー》の丁寧かつ慎重な吹奏は、コルトレーンがソプラノサックスを初演したアルバム『マイ・フェイヴァリット・シングズ』の《エヴリタイム・ウィ・セイ・グッバイ》に近いニュアンスを感じる。
雄弁なバラード演奏も悪くはないが、日本人にとっては、コルトレーンやバルネのような、ちょっと「口ベタ」な愛の表現のほうがグッとくるのだろうか。
日本の多くのジャズファンは、コルトレーンの『バラード』が大好きだ。
そして、バルネ・ウィランも、90年代初頭の一時期、ちょうど『ふらんす物語』が出たあたりの頃は、なかなか人気のあるテナーサックス奏者だった。
この、ある意味、「押し」ではなく「引き」の美学を随所に感じさせるバルネの演奏スタイルと、ピアノのデューク・ジョーダンにも流れている「引き」の美学が相乗効果で、このバラードの美しさを高めていると感じる。
黒が基調で「夜」、しかも「パリの夜」を想起させるムードのジャケットも、アルバムのムードをそのまま投影しているかのよう。
なかなか素晴らしいアルバムなのだ。
記:2019/04/19
album data
BARNEY (RCA)
- Barney Wilen
1.Besame Mucho
2.Stablemates
3.Jordu
4.Lady Bird
5.Lotus Blossom
6.Everything Happens To Me
7.I'll Remember April
8.Témoin Dans La Ville
Barney Wilen (ts,ss)
Kenny Dorham (tp)
Duke Jordan (p)
Paul Rovère (b)
Daniel Humair (ds)
1959/04/24&25
YouTube
動画でも上記テキストと同様のことを語っています。