ベースをやって良かったこと・悪かったこと~正直、良いことづくめです。

   

ベース or ギター?

もし、これを読んでいるあなたが、ベースをやろうかギターをやろうかなどと迷っていたら、悪いことは言わない、ベースにしなさい。

ベーシストになると良いことづくめです、ハッキリ言って。

ベースは「得」です

単純な「損得勘定」でいえば、ベーシストになると、損をすることよりも得をすることの方がはるかに多い。

仮に、楽器歴も実力も同じぐらいのギタリストとベーシストがいたとしましょう。
そうすると、正直、ギタリストよりも、ベーシストの預かる恩恵やメリットのほうが遥かに大きいと言わざるを得ない。



ギターに比べると、かなりの希少価値

得すること、それはベーシスト人口の圧倒的な少なさからくる需要の高さだ。

これこそ、楽器をやっている者にとっては最大の恩恵ではないだろうか?

そして、そこから派生する様々な事柄が、すべてプラスの磁石として働き、わが身に吸い寄せられることが多いのだ。

なにしろベーシスト人口は、ギターやピアニストの人口に比べると圧倒的に少ない。
したがって声のかかり率が高い。

「バンドをやっていない暇」などないぐらい、引っ張りだこ状態になりやすい。
バンドかけ持ちなんてこともザラになる。

かけ持ちをすれば、様々な人と共演できるし、好みの触手を広げるまたとないチャンスともなる。
色々なタイプのジャンルの曲を練習すれば、それらは必ず自分の中の肥やしになる。

セッションでも引っ張りだこ

また、人口の少なさゆえに、セッションでも重宝されることが多い。

ベーシストの少ないセッションだと、場合によっては出ずっぱりということもあるかもしれない(もちろん、なぜだかベーシストばかりが集まるがちなセッション現場もあるが、例外ばかりクローズアップしていてもキリがないので、ここでは大筋で話を進める)。

結果、演奏の機会が増えるので、上達する可能性が高まる。
自宅の10時間の練習よりも、人前で演奏する1時間のほうがトータルに上達するものなのだ。

ギターだと、中々そうは行かない。

セッションでは、プレイしている時間よりも、自分の出番を待っている時間のほうが長いのが当たり前だ。

もちろん様々なプレイヤーの演奏に接することで勉強にはなるだろうし、セッションに参加することによって「俺はまだまだだ、よし、練習するぞ!」というモチベーションアップにもつながるだろう。

しかし、いかんせん出番が少ないことが痛い。
傍らにあるマイ・ギターが泣いてますぞ。
だって、セッションに参加し、演奏するつもりでギターを持ってきたわけじゃないですか?

やっぱりこういう場は演奏出来てナンボの世界。
10曲演奏しているベーシストも、1曲しか演奏出来なかったギタリストも支払っている参加料やチャージは同じなんだから。

人的ネットワークが広がる

また、この“引っ張りだこ状態”が派生して、人的ネットワークを築ける可能性が高い。

たとえば、セッションで意気投合したドラマーが実は大手取引先の主要人物で、音楽的なつき合いからビジネス的なつき合いにも発展した、なんてこともあり得る。

『釣りバカ日誌』の浜ちゃんとスーさんみたいだなと笑うなかれ。
音のぶつかり合いから生じた付き合いは、銭湯で背中を流し合った以上の親近感が芽生えるものなのだ。

実際、私の場合も、音のつき合いから、互いのメリットになる仕事のつき合いに発展したケースもあるぐらいなのだから、どこで何がどう幸いするか分からない。

これこそ、セッションで演奏できる回数が単純に多い楽器という、ただそれだけのシンプルな事実から導き出される出来事なのだ。

コミュニケーション・スキルも向上する

このように、様々な人との共演や、セッションなどを通すことによって、知り合いが増える上に、コミュニケーション力も磨かれる。

少なくとも私の場合はそうだった。

ある音楽学校の生徒の楽器比率を教えてもらったことがある。

ギター4割、ピアノ3割、サックスやトランペットなどの管楽器が2割、残りの1割にドラムやベースやパーカッションや理論の学習といった“その他”の要素がひしめきあっているのだそうだ。

上記のデータはあるジャズ学校の人口比率なのだが、それでもサックスやトランペットのような管楽器よりもピアノやギターのような楽器が多いというのは、ひとえに日本の住宅事情を物語っているともいえるし、どうせ楽器を習うのならば“一人で弾いても音楽になる楽器”習おうと考える人が多いのだとも分析できる。

ピアノやギターは、基本的には単音しか鳴らせない管楽器と違って、一度に複数の音を鳴らすことが出来る。だから、部屋の中でなにげなく一人で演奏していても音楽になってしまう(サマになってしまう)可能性の高い楽器だ。

しかし、ベースの場合は、楽器一本で弾いても、なかなかソロで完結する楽器とはいいがたい。

もっとも、最近では北川潔や今沢カゲロウといったベース一台だけでライブをやってしまう人も増えてはいるが、それはまぁ、例外ということで。

私も数度ソロベースのライブをやったことがあるが、緊張するよ~。

ま、そういう例外はあるにせよ、ベースは基本的には“他の楽器とあわせて音楽を作り上げる”といった役割の強い楽器だから、なかなか自分ひとりだと完結できないところがある。

言い方悪いが、“セっクす楽器(=相手が必要な楽器)”よりも“オナニー楽器(=自分一人で満足&完結出来る楽器)”のほうが人気あるわけです。

ベースは当然、“せッくス楽器”の部類に属する。

だから、ベースをやっていると、無性に人とヤリたくなってくる。ヤリたいっても、人と音を合わせたくなるということですよ(←当然だ)。

バンドを組みたくなるし、セッションにも顔を出すようになる。

その過程で様々な人に出会うし、交流が生まれる。

だから、ベーシストは明るい人間が多いし、人付き合いに長けた人間も多い。

人とヤリたくなる楽器だから、「ボクのベースとヤラない?」ってな口説き文句も上手くなったりして。

いや、それ以前に、「ベーシスト探しているんですよ、メールアドレス教えてください」と向こうから声をかけられることがだんだん増えてくる。

だから、誘い上手と同時に、断り上手にもなったりして。

このようなことからも、ベーシストには楽器のイメージとは裏腹に、開放的で社交的な人が多かったりするのだ。

mote

ベーシストは「むっつりスケベ」だなんて誰が言った?

したがって、私は「ベーシスト=むっつりスケベ説」は、悪い冗談だと思っている。あるいは他パートの楽器が抱くイメージ優先のやっかみなんじゃないかとすら思える。
だって、少なくとも私はむっつりスケベではない(?)。

私思うに、むしろ、人とアンサンブルをせずに、部屋の中でシコシコと練習しているだけで満足なタイプの一部のギタリストやピアニストのほうが、「ムッツリ度」が高いんじゃないかと思う。

第一、暗い人が多い。
自分一人で楽器を触っている時間のほうが長いせいか、演奏の打ち合わせをするときも湿ったキノコのように気色悪い人もいる。

自宅で練習をしまくっている人は、指は動くのかもしれないが、実戦と練習はやっぱり微妙に違うもので、出てくる音の痒いところが、「なんか違うんだよな」状態のことが多い。

また、実戦経験の少なさから、「他人の音をあまり聞かない」、というよりも、それ以前にボリュームや音色の設定に無頓着な輩が多い気がする。

「プレイ」には関心あっても、「アンサンブル」にまで関心を払う余裕というか、そうそも、そのような概念すらない人だっている。

言ってみれば、独りよがり。

自分ひとりが満足して終わってしまうタイプ。
これじゃ女性にも嫌われても仕方がないよね(笑)。

可愛そうにな~、ベースをやっていれば、そういうふうにならなくて済んだのかもしれないのに……(笑)。

「演奏力」が向上する

やはり音楽は「指先」だけで弾くだけのものではないのだ。「身体」で弾くものだと思う。

で、身体で弾くための「演奏力」はどこで鍛えるのかというと、「現場」で「実戦」を繰り返して「テクニック」以上に「演奏力」を鍛えることが一番なのだ。

だから、引っ張りだこ状態のベーシストは、知らず知らずにトータルな演奏力を身につけているものだし、引っ張りだこになりやすい楽器ゆえに、他の楽器よりも短時間で音楽の大事なことを無意識に身につけられるのだ。

勘違いしないで欲しいのは、「テクニック」ではなく「演奏力」だ。

べつにジャコ・パストリアスのように細かい音符を弾けなくても、チャック・レイニーのようにグルーヴが強烈でなくても、ラリー・グラハムのようにスラップがベキバキでなくても、アンソニー・ジャクソンのように恐ろしく粒立ちが正確でなくても全然構わないのだ。

一つのテクニックが恐ろしく得意なベーシストよりも、テクニックは派手ではなくとも、音楽全体をトータルで支えるだけの視点と包容力といった「演奏力」があれば、実戦では十分に通用するし、むしろ、中途半端にテクニカルなベーシストは敬遠される傾向があると思う。私の周りを見た限りだと。

テクニックがあるからといって、それを無闇に出したところで、必ずしも評価されないし、ときとしてアンサンブルをかき乱す人とみなされ共演者からイヤがられることさえもあるのだ。

喋り過ぎな男よりも、聞き上手な男のほうがモテるのは、なにも銀座の飲み屋やキャバクラだけの世界ではないのだ。

嬉しい勘違い

ベースをやってて、良いこと、まだまだありますよ~。

ちょこっと音楽を知っている人、知っているつもりの人は、以下のような嬉しい思い込みをしてくれる。

「ベースって、ギターより弦が少ないから一見簡単そうに見えるけど、実は“奥深い”楽器なんよね。だから、ベースやっている人は凄いし、“大変でしょう”?」と。

一面は、たしかにその通りなところもあるが、どちらかというと、それは過大評価だと私は思う。

ベースは、彼らが言うほど、そんなに大変な楽器じゃない。

そりゃ、大変だと思えば、いくらでも大変だし、難しいと思えば、いくらでも難しいのかもしれないが、それは他の楽器も同様だ。

なにもベースという楽器だけが特権的に難しかったり、大変だというわけではない。

ちょっとイヤなことといえば、指弾きの場合は、最初の段階だけ指先に水脹れが出来ること。

それと、ウッドベースの場合は持ち運びが重くて面倒くさいこと。この2つは自信を持って「大変なんすから」と言える。

しかし、逆にいえば、それぐらいなもので、あとは、大変なことってあんまり思い浮かばない。

しかし、どうやら彼らの多くの頭の中には、“ベースはカンタンそうに見えるが、しかし、じつは難しいのだ”という、“しかし・じつは”というストーリーが出来上がっている上に、このストーリーを気に入っているので、ベーシストは大変な楽器を操る人間だと思いたいのだ。

それゆえ、労をねぎらってくれる人が多いので、それはそれで悪い気分ではない(笑)。

バンドオフ会やライブなどの打ち上げのたびに「ベースの人って大変ですよねぇ」と労をねぎらってくれる人がいらっしゃるので、どこがどう大変なのかはよく分からないままも、悪い気分じゃないので「ええ、まぁ」などとテヘヘと照れていれば、ビールの一杯や二杯、綺麗な女の子が自分の席の隣にやってきて酌をしてくれる可能性が高いので、役得といえば役得だ。

本当、「ただベースを楽しんで弾いている」だけなのに、よくわからんが「大変でしょう」と言ってくださる人が多いので、これをあからさまに否定するのも野暮の骨頂、「ええ、まぁ、なんというか(もごもご)」と相手のペースに乗っかっていれば、少なくとも不愉快な思いはしない。

向こうだって、“大変なベーシスト”とお話を出来て嬉しいにきまっているのだ(なはずないか)。

ベースはモテる

それに、ベーシストはモテる。
これは、かなりリアリティのある真実だ。

なぜならば「3番目の男」だからだ。

バンドで考えてみよう。

1番目に目立つのはなんといってもヴォーカルだ。

ヴォーカルの歌やルックスの良し悪しが、そのバンドの人気や評価の大半を決定してしまうといっても過言ではない。

それぐらい、半端じゃない目立ち方をするパートだし、一番人々の眼球への焼きつき度の高いパートといえる。メディアの露出度も一番高いパートなので、一番認知されるのが早いパートともいえる。

だからこそ、逆に、飽きられるのも早かったり、アラに気づかれるのも早かったりもする。

「最初は良いと思ったけど、よく見るとちょっとね」とか、「ルックスはいいけど、なぁんか、やっぱりアタマ悪そう」などと、好かれるのが早い人ほど、飽きられるのも早かったりする。まぁ、ファンというのは勝手なものだ。

二番目の男は、当然ギターだ。

場合によってはヴォーカルをも喰いかねないほど目立つパートだし、おいしい役柄でもある。

ギタリストの目立ち具合が、バンドのイメージやスタンスを決定するといっても過言ではない。

仮に、ヴォーカルほどルックスが良くないにしても、彼には“ルックス”だけではなく“腕”という強力な武器がある。

いや、無くても有りそうに見えるし、そのように見せることだって出来る(ジョー・パスのソロ・ギターをたったの2小節コピーするよりも、陶酔の顔を浮かべて、ちょっとだけ苦痛に口許をゆがめながら、ペンタトニックスケールをべらべらと16音ぐらい弾くほうが100倍簡単だし、素人耳には、そちらのほうが上手く聞こえたりする)。

ギターの技術さえあれば、女性のみならず、男性からも評価され、尊敬されやすい。とくに、ギター小僧の憧れのマトになればギタリスト人気のポジションは安定したも同然だ。

しかし、ギタリストもヴォーカル同様、目に焼きつき度の高いパートでもあるので、「最初はかっこいいと思ったけれども、よく見るとね…」パターンに陥る可能性もある。

ヴォーカルほどではないかもしれないが。

人間とは不思議なもので、最初の評価が高ければ高いほど、後になって幻滅したときの落胆度も高いものなのだ。

その反対に、最初の評価が低かったり、目立たなかったりすると、後になって「じつはあの人、凄い人だったんだ」と、最初のゼロ評価やマイナス評価が一発逆転してプラス評価になることが多い。

皆さんにも思い当たる節はないだろうか?

新しいクラスやグループの中で、最初はいけすかない奴だなと思った奴、目立たなかった奴、なんだか空気のように存在感の感じられなかった奴、そんな奴になればなるほど、後に、なにかの機会で仲良くなると、「なんだ、実はこいつ、すごくイイ奴だったんじゃん」と第一印象の評価が逆転しているということ。

ベーシストとはまさに、そのような存在。

つまり「第3の男」になりやすいパートなのだ。

最初はヴォーカルがいいと思った。でも、ギタリストのワイルドさにしばらく夢中になった。

ちょっと飽きてベースに目をむけたら、なかなか渋いプレイをしているじゃないか、よく見るとかなり骨っぽくて格好いい人物だぞ、実は、このバンドの中では目立たないながらも、実はコイツが一番重要な人間なんじゃないか?バンドのHP見ると、結構本を読んでいるみたいだし、言っている内容も結構哲学的だぞ、きっと色々と考えているんだよ、一見「寡黙そう」だけど。

そんなふうに評価がどんどんプラスになってゆく。

特に女性が男性を評価する方式は「足し算評価」が多い。第一印象が30点な男でも、少しずつお互いに過ごす時間や、良いところを小出しに見せることによって、女性からの評価を上げることは可能だ。

もちろん、私の言う「第3の男」という「3番目」というのは、あくまでたとえであって、ビートルズやピストルズのように、ベーシストが最初から目立つバンドだってある。

また、バンドの編成人数によっては、“5番目”や“6番目”な場合だってあるので、あくまで一般的かつ平均的な数字だと思っていただきたい。

しかし、何番目であろうと、最初の評価と後の評価が逆転してプラスに転ずることが多いので、ベースというパートは、おいしいパートといえる。

私は合コンというものに参加したことが無いのでよく分からないのだが、人から聞いた話によると、最初に目立ったり場を盛り上げようとする主役タイプ(一番目の男)よりも、目立たない寡黙なタイプ(三番目の男)のほうが“お持ち帰り率”が高いのだそうだ。

「人気」よりも「実」を取る。
まさに、べーシスト的ではないか。

人的フィルタリング

そのうえ、多くの人は、まずヴォーカルかギターのファンにとどまることが多く、ベースにまで目が届き、なおかつ好意を持ってくれる人口は少ない。

だから、いいのだ。

表面だけしか見ない大勢に好かれるよりも、センスの良い少数に好かれたほうが、充実した生活を送れると思いませんか?

少なくとも、私なら、同じ数時間を過ごすのならば、チャラチャラ合コンよりも、話の合う少人数の人と酒を飲んですごしたほうが幸せだ。

変わり者、人と違うところを攻めることが好きな人、センスのいい人、ものごとを表面だけで見ようとしない人、掘り下げてものを見る人。まぁタイプは様々だが、ベーシストにまで興味を持ってくれる人は、センスの良い人や個性的な人が多いと、私は考えている。

私は、センスの良い人のほうが、センスの悪い人よりは好きだ。

女性でセンスの多い人は、美人や可愛い人が多い(と思う)。

ベーシストの奥さんや彼女は綺麗な女性が多いといわれる。

しかし、これは、あながち偶然ともいえないのだ。

ま、ルックス云々の話はともかくとしても、きちんと音楽の要のパートを担う人物を見てくれ、音を聴いてくれ、なおかつ好いてくれるのだから、きちんと物事を表面だけではなくて核の部分で捉えてくれる素晴らしい人である可能性が高い。

ベーシストのデメリット

と、まぁ、私の体験をもとに、ベーシストになって享受出来た恩恵について書いてみた。

今度は、反対に、悪かったことを書こう。

といっても、これはベーシストという役割ではなく、その人の性格によるものが大きいので、ベーシストだから損をするというわけではない。

つまり、ベースをやっていると他のパートのアラが手に取るようにわかっちゃうんだなぁ。

ヴォーカルがベースの欠点に気が付くよりも、ベースがヴォーカルの欠点を発見するほうが簡単、かつ早い。

同様に、ベースをやっていると、ドラムの欠点も、鍵盤の欠点も、ギターの欠点も、つまり、他のパートの欠点が、なんだか笑ってしまうほど簡単に気がついてしまうのだ。

これは、私の耳が優れているとか、ベーシストになれば、音感が良くなるとか、そういうことが理由ではない。

もっと単純な事実として、聞こえてしまうのだ。他のパートの音が。

この“聞こえ率”は、他の楽器よりも数段高い。

たとえば、なんでもいいけど、曲をかけたとしよう。

ビートルズの《ヘルプ!》をかけたとしようか。

一番最初に耳につく音ってなんだろうか?

たぶん、ジョンとポールの声なんじゃないか?

次に気になる音は、一瞬のブレイクで挿入されるギター、次いでビートを刻み始めるドラム。これが耳が気になる音の順番ではないだろうか?

そして、耳が「えーと、ベースはどういうふうになっているんだっけ?」とベースの音を意識したときに初めて耳につく音がベースの音ではないだろうか?

もちろん、《ヘルプ!》においては、最初に1小節目からベースは弾かれているのだが、多くの人は、よっぽど「ベースも聴くぞ」と意識していないと、まずはジョンとポールの「へーるぷ!」の音しか耳に入らないんじゃないかと思う。

もちろん、この“耳につき度”は曲によっても異なる。

しかし、“意識しなくても聞こえてしまう音”のパートと、“意識しないと聞こえない音”のパートの違いは大きい。

ベーシストは当然、演奏中は自分の音を聴いている。それと同時に“意識しなくても聞こえてしまう音”も聞こえてしまっているのだ。

なにせ、一番聴こえにくい音の楽器を担当しているのだ。イヤでもその他のは耳に入ってきてしまう。

それが証拠に、ベースを始めたての人って、よくテンポがモタるでしょ? これって、ヴォーカルの“タメ”に引っ張られてしまうことが多いのだが、それだけ、他の音が聞こえてしまうゆえの現象なのだ。ヴォーカルが耳にハッキリと入ってきてしまうので、それに音に合わそうとして、つき合いすぎてしまうんだよね。

だから、相手の音がよく聞こえ過ぎてしまうゆえに、技量やミスが、ハッキリと分かってしまう。

自分が演奏の中に現在進行形で形作っている時間(=リズム)から逸脱している人間。

自分が演奏中の中に奏でている音程から外れてしまっている人間。

このようなことが演奏中に瞬時に手にとるように分かってしまうのが、ベースという低音を担当する人間の特権でもあり悲しみでもあるのだ。

だから、演奏の中の司令塔になりやすいのだろうし、ベーシストのプロデューサーが多いのも頷ける。

演奏をしながら、自分のプレイに集中しながらも、演奏全体を見渡しやすいポジションなのだ。いや、見渡しやすいどころか、イヤでも見渡せてしまうパートなのだといえる。

で、ここからはベーシストというパートの問題ではなく、その人個人の性格の問題なのだが、たとえば、共演者のヘタクソさやミスを我慢出来るか、出来ないかが大きな分かれ道となる。

同じミスばかり繰り返されると、いいかげんにせいや!と我慢できなくなる人もいるだろうし、「ま、楽しければいいんじゃないの?」と笑って我慢出来る人もいるだろう。

ドラムの走りっぷりをなんとかしたいのだけども、相手は会社の上司だからキツイことも言えず、ただ黙ってストレスをためているベーシストもいた。

私は、ものすごく音痴なヴォーカルに一言「音痴ですよ」と言えずに3週間ほど悶々としていたが、やっぱり言わなきゃ本人はいつまでたっても「裸の王様」だろうと思って「音痴ですよ」と思い切って言った瞬間キレられたことがある。

私の場合は、本当、相手のミスが気になると、直して欲しいと強烈に思ってしまう。

しかし、これを相手にどう伝えるのかが大問題。

言い方次第では相手を傷つけるし、友達を失くす。

私は気の小さい人間ゆえに、なかなかストレートに相手に「間違ってるよ」とか「もっとこうした方がいいのでは?」とは言えない性格だ。

たとえ、気がついても、とりあえずは、その場では言葉を呑みこんでしまう。

特に、最近の日本の若者は自己評価が異常に高いと言われているが、それを裏付けるかのように、ミスや欠点を指摘したとたんに、やたらとキレる人間も多いので、私としてはなるべく穏便にことを運びたいからね。

それに、もしかしたら、今回はたまたま間違えただけなのかもしれないから、もう一回あわせて様子を見てみようと思うし、悪いのは実は自分自身なんじゃないかと考えてしまう私は、きわめて優しく温暖な性格なのだ(笑)。

しかも、私の場合は、相手を傷つけずに、的確にキチンと相手の勘違いやミスを正すにはどうしたら良いのだろうと、気になりだすと、そのことばかりを日夜考えるようになってしまうので、ストレスも意外とたまるのだ。

たとえば、昔、ものすごく音痴なヴォーカルと共演したことがあり、しかも送られてきたビデオの歌いっぷりを観てもやっぱりすごくヒドくて、怒りや呆れを通り越して、深い悲しみの念に襲われ、「あなたは音痴っぷりは凄まじいです、基礎からやり直したほうが良いと思うのですが、もしかしたら音楽の才能が根本的に無いのかもしれないです。でも落胆することはありません。人には隠れた才能が必ずあります。たとえば、赤城山の埋蔵金の発掘や、渓流でのヤマメ釣りのポイント探しにかけては、あなたには天才的な才能が宿っているかもしれません。もしかしたら、そちらの方面に転向されたほうが、楽しい人生を送れるかもしれませんよ。」と言ってやりたいのは山々だが、そんなこと言って相手を傷つけるのも趣味じゃないので、「犬吠埼のネギ坊主」って言えばいいのかな?などと凝った言い回しを考えたりしたこともある。

「犬吠埼のネギ坊主」っていうのは、ようするに、“犬吠埼”は千葉県の銚子のはずれにあるから、“調子っぱずれ”という意味で、ネギぼうずというのは、ネギのことなんだけど、ネギって節が無いじゃないですか?だから“節がない”という意味。

“犬吠埼のネギボウズ=調子っぱずれで節がない”。

かえって相手にこちらの真意は伝わらないのかもしれない意味不明の言葉なのかもしれない。

でも、私としては、相手を出来るだけ傷つけずに伝えるためには、どのようなセリフをどのタイミングでどのようなトーンで伝えようかと、それだけバカな言葉や冗談も含めて色々と考えるわけだ。

頭の中に様々な言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消え、でも結局はやっぱりストレートになるべくフラットに伝えたほうが良いのかな、なんて頭の中で葛藤が続いているうちに、当の本人から「ねぇ、ベース元気ないよぉ」なんて能天気な声をかけられると、一気にそれまでの鬱積した思いが爆発してしまう。

「うるせぇ黙れ、このド下手クソが。」 となってしまうのだ。

せっかくお前のことを色々と考えているのに、当の本人はいい気なもんだぜ、となってしまうわけだ。

私はこれで、随分、人を失くした。

心の中では悪いと思うのと同時に、アンタのことであれこれと気を揉んだ俺の気も知らずに、という思いもある。

相手は、そんな私のことをヒデぇ奴と思っていることだろう。

いまだに恨みが晴れずに、それでも最近の私の動向が気になるので、このホームページをチラチラと覗いている人物が何人もいることだろう(笑)。

私も、もちろん言った瞬間は「しまった」とは思うが、後の祭り。覆水盆に返らず。もっとも返そうとも思わないが。

ヘタクソと共演すると自分の技量が落ちるわけだから、早めに断ち切っといてよかったぜ、と強引に思うようにしている。

ま、「聞こえてしまうパート」ゆえに、そのような葛藤やトラブルも起こしやすいのだということ、これが、私にとってベースをやっていて、あまり良くなかったかなという唯一のことといえる。

以上、ベーシストはやっぱりトク!

しかし、先述したが、こればっかりは、個人差や性格的な問題なので、ベースを選んだからどうこうという問題でもないのだと思う。

他の楽器奏者も抱えている問題なのかもしれない。

やっぱり、相手の出す音やミスが気になっても、ベーシストたるもの、一歩引いたところから黙ってニヤリとするのが一番かっこいいのかもしれないね。

さて、ベーシストのメリット、デメリットを色々書いてきたが、ここまで読んでいただいた方はお分かりの通り、デメリットというのは、自分の性格や人付き合いのスキルの問題が大きいので、直接ベースをやっていることによって生じる不幸では決してないわけだ。

すると、ベースをやっていれば、良いことづくめ、大きなデメリットは無い!ということだ。

これこそ奔放初公開(?)の衝撃の事実(笑)。

夜の生活・ベッドの上も無敵?!

他のベーシストの「性」能を具体的に調査したわけではないが、ベーシストの精力は他の楽器よりも強い(らしい)。

これはあくまで推論だが、70過ぎてもギンギンに勃つお爺ちゃんを調べたところ、多くの人はスポーツや武道をやっていたという調査がある。

スポーツだったらなんでも良いというわけではない。

ギンギンお爺ちゃんの多くは剣道で竹刀を素振りしていたり、テニスでラケットを振り回していたりの人が多いようだ(うちの親父がテニスバカだが、まさか……?!)。

また、昔から鍛錬を怠らなかった武士は、年をとっても子どもを作っていたというような話も聞いたことがある。

さて、ここから導き出せる共通点は??

⇒指

そう、指が強いのだ。

それもポイントは小指。

竹刀を握るにも、ラケットを握るにも小指に力が無意識にはいる。

小指に力がはいると、中渚というツボが鍛えられる。

このツボは手の甲にあるツボで、小指と薬指の根っこの骨と骨の間にあるのだが、押せば痛いのですぐに分かるはず。

ここが小指を使っていると刺激されるんですね。

中渚は頭痛や眩暈に効くとされているツボではあるが、じつは下半身にも強いツボなのだ。

棒を振ったり振り回したりしているお爺さんの棒も、固くて強いというのにはワケがあったのだ。

ベーシストも小指をよく使う。

もちろんジャンルにもよるかもしれないが、少なくともジャズのベースを弾いている人は(特にウッドベースだったら例外なく)、左手の指はクラシックのコントラバスの弦を押さえるような持ち方をしているはずだ。

そうすると?
⇒小指が駆使される

小指が駆使されると?
⇒中渚に刺激

中渚に刺激が与えられると?
⇒もうお分かりですね。

つまり、小指をきちんと使うクラシック的指使いでベースを弾いている人は、下半身も若い!のだ。

ま、ベースに限らずクラシックの弦楽器全般に言えることかもしれないけど、とくにベースは弦が太いぶん、ヴァイオリンやチェロなどの細い弦に比べれば、余計に小指に力が入るぶん、中渚への刺激も強いのではないかと思われる。

「ベーシストはスケベ説」を否定する私ではあるが、もしかしたら、「ベーシストはスケベ説」を唱える人は、このような人体の神秘に熟知した人なりの鋭い見識によるものなのかもしれない。

よって、「生涯現役」を目指したいなら、迷わずベースを始めるべきでしょう。

結論

さて、これらのオイシイ情報が公開されていなかったのは、ベーシストはみんな気づいていることなのだが、ベーシスト人口(=おいしい思いをしている人の人口)が増えることを恐れて隠していたからなのだ(笑)。

私とて、この事実を公表するかどうか、迷いに迷った(本当)。

多くの人がこれを読んで、ベース弾きにならないことを祈るばかりだ(笑)。

記:2004/01/31(from「ベース馬鹿見参!」)



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