バド・パウエルの《ボディ・アンド・ソウル》
パウエル好きの《ボディ・アンド・ソウル》
ジャズ喫茶やバーなどで隣り合った人と音楽の話で打ち解けることがたまにある。
そして、相手がバド・パウエル好きだということが分かると、一気に会話に加速がかかり、温度も過熱してゆく。
当然、パウエルの中で好きなアルバムについての会話の流れになるわけだが、多くの人が、『バド・パウエル・イン・パリ』の《ボディ・アンド・ソウル》が好きだという人が多いことに気づく。
名盤『バド・パウエル・イン・パリ』
パウエルのキャリアにおいては、後期に位置する『バド・パウエル・イン・パリ』というアルバムの中の演奏は、正直テクニック、指の動きが云々といったことで語れる内容ではない。
パウエルのキャリアにおける初期、いわゆる絶頂期に録音された『ジャズ・ジャイアント』に収録された同曲と比べると、あきらかにテクニック的にも、演奏のクオリティも劣る演奏だが、しかし、不思議に一音一音には、耳を惹きつけてやまない不思議な存在感がある。
訥々語りかけるようなピアノが胸を打つ。
散見されるミスタッチですらいとおしく感じてしまう。
自然と耳で補正して聴いている
《ボディ・アンド・ソウル》という曲、パウエルにとっては、何年も前から、それこそ毎晩のように弾いているスタンダードの中の1曲に過ぎないのだろが、それでも、彼の発する音の不思議な佇まいは、不思議に強い磁力は、いったいどういうことか?
テクニック、演奏内容だけでは解析できない不思議な魅力が、後期のパウエルの演奏にはある。
もちろんすべてではない。
むしろ、聴くのがツラくなるような演奏も多い。
しかし、少なくとも『バド・パウエル・イン・パリ』に収められた演奏は、粒ぞろい。
盆踊りのようなカンサスフィールドのセンスの無いドラムはいただけないが、そんなイモドラムすら耳のイコライザーが自動的にカットし、ピアノの音だけに耳をチューニングしてしまうだけの不思議な吸引力がパウエルのピアノにはあるのだ。