ソウル路線のドナルド・バード〜『カリカチャーズ』

      2017/05/22

Caricatures

不定期で『音聴き会』という名の“鑑賞会”を主催している。

この会で、テーマが「ブルーノート」だったときのこと。

ソウル路線のブルーノートのアルバムが賛否両論だった。

私がそのときにかけたのは、ドナルド・バードの『ブラックバード』から《スカイハイ》、マリーナ・ショウの『フー・イズ・ジス・ビッチ・エニウェイ?』から《ユー・トート・ミー・ハウ・トゥ・スピーク・イン・ラヴ》の2曲。

ちなみに会が始まるまでの店内のBGMは、ドナル・ドバードの『ストリート・レディ』にした(好きなんですよ)。

私がその日にかけたソウル路線のブルーノートに関しての評価は、概ね3つの評価に分かれた。

入門者からは「“こういう音楽もブルーノートは出していたんだ”という発見があった。幅広く聴けたと思う」という好意的な感想。

ギタリストを中心に、楽器をたしなんでいる方からの反応も良かった。
「あのカッティングがタマんねぇ~」とか、「あの高音の使い方、ラリー・カールトンらしいねぇ。タマラン!」とか、「イルトン・フェルダーのベースって、大音量で聴くと、改めてイイってことに気付いた!」という、参加ミュージシャンのプレイ面への反応が多かった。

しかし、コアでジャズ歴の長い人からは不評だった。
いや、不評というほど不評なわけではないです。「様々な嗜好のお客さんの前で流すには適切な選曲だったかもしれない」という前置きをした上で、しかし、演奏内容に関しては「展開が読めてしまう」や、「メロディの甘さがちょっと…」という反応。

さらには「スリルが無い予定調和な演奏」という意見も。

そうなんです。
たしかにジャズ的なスリル、即興演奏が生み出すヒリヒリとした感触は、たとえば『ブラック・バード』のドナルド・バードのトランペットからは見出せない。
周到にアレンジされたサウンドの中、極論すれば、リーダーのバードですら、形成される音楽パズルのピースの一片にしか過ぎない。

だから、これらの演奏から感じる“快感”とは、アドリブのスリルとか、一触即発のミュージシャン同士の鍔迫り合いではなく、リズムの心地良さや、心地よいアレンジの妙だったりだったんですね。

そこらへんのところ、もうちょい説明する必要あったのかもしれないが……。

私の好みを言ってしまうと、1500番台、4000番台のブルーノートも勿論好きだが、ソウル路線のブルーノートも好きなんですなぁ。

ヴィレッジ・ヴァンガードのロリンズ、アウト・トゥ・ランチのドルフィー、アス・スリーのホレス・パーラン…。これらテンションに満ち満ちた演奏も、もちろん同日にかけたし、「座右の音」ですらある。

しかし、大音量で2時間以上これらの演奏を聴き続ければ、さすがに疲れる人も出てくるだろうし、もっと柔らかいのを聴きたいと耳が要求してくるかもしれない。

そんなときに、うってつけなんだよなぁ、ボビー・ハンフリーとか、ソウル路線のドナルド・バードとかは。で、私がこれらの演奏に求めているのはナゴミであり、リラックスであり、リズムの心地よさなのだ。

レゲエもそうだけれども、柔らかさを保ち続けたリズミックな演奏って、いち楽器奏者としての憧れでもある。
だから、単にリラックスして聴くだけじゃなくて、ドラム、ベース、ギターの絡みにも耳をそばだててしまうのだ。

それは私がベースを弾いているからとうこともあるのかもしれない。

リズム以外には、ラリー・マイゼルとフォンス・マイゼルの兄弟によるアレンジのほうにも耳がいってしまう。

つまり、ビ・バップやハードバップのような演奏のスリルは無いかもしれないが、、聴きどころは別のところにあるのだ。

だから、私はソウル路線のブルーノートも大好き。

もっとも、これらのサウンドは、ジャズとしてではなく、良質なソウルミュージックとして聴いている。ザラついた気分をツルツルにしてくれる効果も半ば期待して。

ジャズのCDをトレイに乗せるときと、ソウルのCDをトレイにのせるときは、微妙に聴くときの気持ちが違うのだ。

そんな私だが、だからといって、すべてのソウル路線のドナルド・バードが好きというわけでもない。

『ブラック・バード』や『ストリート・レディ』は、手放しに好きだが、ブルーノートへの最後の録音となった『カリカチャーズ』になると、ちょっと、いや、かなり苦手なんです……。

たしかに、参加ミュージシャンは豪華だ。
ハービー・メイソンがドラム、アルフォンソ・ジョンソンやジェームス・ジェマーソンがベース。その上、ギターがデイヴィッドT.ウォーカーというのもポイントが高い。

さらに、この時期のバードの頭脳とでもいうべきマイゼル兄弟も参加している。つまり面子は最高なワケです。

ところが、何故かこのアルバムのサウンドは、あまり響かない。
『ストリート・レディ』のようなワクワク感に包まれない。

サウンドは寸分の隙もなく、ピシッ!と決まっている。
このタイトにまとまったリズムとアレンジは、おそらく発表された1976年においては、最新のリズムとサウンドだったに違いない。

しかし、寸分の隙もなくピシッ!と決まり過ぎているところが、個人的にはあまり“こない”。

練りに練られ、必要以外の音は削ぎ落とされたサウンドメイキング。
それが良い方向に作用すればよいのだが、『カリカチャーズ』の場合は頑張りすぎがかえってアダとなっている気がしてならない。

それは、“緩みの要素”と“タイトな要素”の兼ね合いの問題で、それは、100パーセント、私の個人的な好みの問題だ。

私は、ソウルとレゲエには、どうしても、一種独特の柔らかさ&緩みを求めてしまう(だから、最近の打ち込みレゲエはほとんど聴かない)。

ダンサンブルなナンバーあり、メロウなパートあり、アナログシンセがショワショワと大活躍しているアレンジありと、実に多彩かつ様々な要素が盛り込まれている野心作だということは分かる。

《ダンシング・イン・ザ・ストリート》のアレンジやリズムにいたっては、こりゃ完全に初期のプリンスの音楽みたいでゴキゲンだ。しかし、響かないんだよなぁ、私には。

面子も豪華、切り口多彩、周到なアレンジ。

しかし、当たり前だが、そこには、まったくといってよいほど混沌がない。

様々な要素が、あたかも外資系企業の社員の帰り際の机のように、ビシッと整理整頓され、無駄な要素や遊びがまったくないのだ。

というよりも、そもそも、そのような遊びやハプニングのスペースが最初から設けられていない。

すべての楽器の音色、楽器のプレイが、ジグソーパズルのピースのようにビシッと収まっている。徹頭徹尾、楽器の躍動、律動は巧みにコントロールされているのだ。

おそらく、発表された76年においては、新しいリズム、新しいサウンドだったのだろう。

当時としては最前線のサウンドだったであろうこのサウンドも、時代とともに、少しずつ古さを帯び、色褪せた内容になってきていると感じているのは私だけだろうか?

『カリカチャーズ』を聴くたびに思う。
音楽には、録音された年代の新しさ・古さとは無関係に、時代とともに色褪せる音楽と、色褪せない音楽があるのだな、と。

記:2007/01/19

album data

CARICATURES (Blue Note)
- Donald Byrd

1.Dance Band
2.Wild Life
3.Caricatures
4.Science Funktion
5.Dancing In The Street
6.Return Of The King
7.Onward 'Til Morning
8.Tell Me

Donald Byrd (tp,flh,lead vocal)
Oscar Brashear (tp)
Fonce Mizell(key, tp, back vo)
George Bohanon (tb)
Gary Bartz, Ernie Watts(reeds)
John Rowin,Bernard "Beloyd" Taylor,David T.Walker (g)
Jerry Peters,Patrice Rushen,Skip Scarborough (key)
James Jamerson (el-b) #1
Scott Edwards (el-b) except #1
Alphonse Mouzon(ds) except #1
Harvey Mason(ds) #2-8
Mayuto Carrea,Stephanie Spruill(per)
Mildred Lane(lead vo) #2,5
Kay Haith(lead vo) #3,7
Theresa Mitchell,Vernessa Mitchell,Larry Mizell(back vo)
Wade Marcus (string arr)

1976/4-5月

 - ジャズ