ジョン・コルトレーンを祀る

   

coltrane

text:高良俊礼(Sounds Pal)

ジョン・コルトレーン

毎年7月17日、つまりジョン・コルトレーンの命日から8月の終わりまで「大コルトレーン祭」と称するCD特集を店でやっていた(今は自宅とブログ上でひっそりとやっている)。

最初は単純にコルトレーンが好きで、趣味の延長的な感じでやっていたのだが、回を重ねる毎にお客さんからの反応も熱くなり、年々本格的な大特集になってきている。

しかも、コルトレーンの音楽は、元々のジャズファンだけではなく、そもそもジャズに興味はあったが、今までCDを買って聴くまでには至らなかった音楽ファンの人達からの人気が異常に高い。

「初めてコルトレーンという人を知った」という人も、皆口々に「いや、よく分からないけど凄い」「何かグッとくる」「普通のジャズかと思ったら何か違う」と、イメージしていた音との、特別な違いについて語る。

コルトレーン 分からない

そうなのだ、ジョン・コルトレーンという人の音楽は、言葉では説明のつかない不思議な力を持っているのだ。

最初聴いた時には何が何だか良く分からない。そして脇目もふらずにある高みに向かっていくような、あるいは自己の内側へズブズブと沈み行くような緊張感に満ちた演奏は、多分人によって激しく「好き嫌い」の分かれる音だろう。しかし、コルトレーンの音を聴いて「好き」と感じた人も「嫌い」と感じた人も、音そのものから「この人は何か尋常じゃない気持ちを音にしてるんだ」ということは、皆一様に感じるらしい。

コルトレーン 至上の愛

私が最初に聴いたコルトレーンのアルバムは『至上の愛』。

「ジョン・コルトレーンはジャズの大物らしい。でもって『至上の愛』というのが何か有名な作品らしい」という、CDを買うにはかなり適当な動機で購入し、やっぱり“分からなかっ”た。

が、その荘厳で不思議な音世界は、それまでに知っていた軽快な4ビートで疾走する「ノリノリのジャズ」の心地良さとは全く違う、どちらかというと好奇心をくすぐり、思考を誘発する音楽であった。だからそれからしばらくの間、「うぅ~ん、分からん!」と頭を抱えながら、それでも無性に気になって何度も何度も『至上の愛』を聴いた。

「分からなさ」が、逆に「この人の音楽を理解したい!」という欲求に火を点け、それ以後聴く度に油が注がれ、そうしているうちに我が家のCD棚とレコード棚は、いつのまにかコルトレーンの作品だらけのようになってしまった。

コルトレーン 未知

そして島に帰ってきて「大コルトレーン祭」などという酔狂な事をするに至ってしまった訳だが、私は今もコルトレーンの音楽を理解したとは思っていない。むしろどこか一部分を理解したと思ったら、新しい疑問が生まれ、また気になって聴き込んでしまうということの繰り返しを今もやっている。

単純に「いいね」と思える音楽はそれこそたくさんあるが、思考を誘発し、感性を更に高い次元へと導いてくれる音楽も、「10のうちの1」ぐらいは必要なのではないだろうか。

コルトレーンの音楽は私にとって未だに「未知の音、知らない音」である。
だからこそ音楽は素晴らしい。

記:2014/08/17

※『南海日日新聞』2008年7月27日「見て、聴いて、音楽」記事を加筆修正

text by

●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル

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