戦前ブルースの深い闇

   

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text:高良俊礼(Sounds Pal)

戦前ブルース

ブルースの中でも「戦前ブルース」と呼ばれる古い音源には特別な愛着を感じてしまう。

特に南部一帯のローカル・ブルースマン達の音源は、ほとんどが弾き語りによるシンプルなもので、まだキッチリと様式が確立されていないブルースを、それぞれが自由な解釈で歌い、ブルースマン達の十人十色の個性がクッキリと刻まれている。

もっとも戦前のブルースの音源は、録音技術なども拙い時代の、しかも安価で作られたものがほとんどであり、当然「シャー、シャー」というスクラッチ・ノイズが演奏にまんべんなく混ざっている。

それでもなお、スクラッチ・ノイズの向こう側から響いてくるブルースマン達の、時に不鮮明な歌声からは、理屈では言い表せない不思議な力のようなものが迫ってくる。

戦前ブルースはある意味で歌や音楽の究極の姿、つまりは余分なものの一切ない、“原型”のみが持つ凄みを感じさせてくれるのだ。

イシュマン・ブレイシー

そんな戦前のブルースマン達の中で、とりわけ最近凄いなと思うのがこのイシュマン・ブレイシー。

戦前のミシシッピの州都、ジャクソンを拠点に、南部一帯を歌い歩いていた人である。

とにかく細かいテクニックは二の次、シンプルで力強いギターのコード・ストロークに、まるで石臼ですりつぶしたかのような声を、衝動の赴くままに放つ、正に迫力一発の“押し”で、聴き手をねじ伏せる強烈なブルースを聴かせてくれる。

曲によってはジャズ・バンド(ニューオリンズ・スタイルの小編成コンボ)のバックも付くが、基本的なスタンスはまったく揺るがない。

素朴な味わいの中に底知れぬエモーションとイマジネーションの原野が広がる戦前ブルースの音盤群の中で、特にスピリチュアルな衝動と例に漏れず“闇”を感じさせるブレイシーの歌声からは、音楽性を通り越して、死と隣り合わせの差別や貧困にあえいでいた当時の南部黒人社会の、苦悩や絶望などもリアルに伝えるものだ。

牧師になったイシュマン・ブレイシー

イシュマン・ブレイシーは50年代半ばに突如ブルースの世界からキッパリと足を洗い、1970年にこの世を去るまで牧師として過ごしていた。

常に死や暴力の危険に晒されながら旅を続けていたブルースマンの中には、酒場でのトラブルに巻き込まれて命を落とす者や、旅の途中で行方不明になる者も多くいたという。

彼自身のブルース生活もその例に漏れず、想像を絶する程にハードで、救いのないものであったのかも知れない。しかし彼が残したブルースは、だからこそ真実であり、底の知れない感動を与えてくれるのだ。

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●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル

※『南海日日新聞』2007年3月31日「見て、聴いて、音楽」記事を加筆修正

記:2014/08/18

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