男子の本懐/城山三郎
2018/01/11
学生の頃、小中学生対象の学習塾の運営を経営者から任され、ジャズ喫茶にアルバイト先を変えるまでの1年ちょっとの間、私は「塾の先生」をしていました。
この塾は下町を中心に10箇所くらい教室があり、それぞれの教室の運営や教務を学生たちが任されていました。
将来教員を目指す学生たちが多かったのですが、中には金融や保険系、あるいは商社などの企業へ就職するための「実績作り」のため、さらに司法試験の勉強のかたわら生活費稼ぎのためにアルバイトをしている人もいました。
そのような多種多様な学生たちが、それぞれの担当する教室を割り当てられて、使う教科書は同じですが、あとは生徒が来る日や学習スケジュールなどの運営は自由に任せられます。
とにかく生徒たちの「成績を上げること」が第一の目的で、それぞれの教室の大学生たちが出勤する日や生徒たちの割り振りなどを相談して運営していくのです。
ちなみに、私が任されていた教室は私ともう一人の学生で運営していました。
そして、彼らが一同に会する「勉強会」が月に一度ありまして、3時間から5時間くらい、喧々諤々と議論をしあうわけです。
大量のピザを注文し、皆でピザとコーラを片手に。
そのミーティングには必ずお題目がありまして、だいたいが清水一行や城山三郎などの企業小説がテーマに選ばれることが多かったですね。
企業小説を読んできた学生たちが、そのミーティングで、男に行き方、サラリーマンの生き方、組織とは何か、成功とは何か、トップに立つには?などを喧々諤々と意見を交わすわけです。
今考えれば、まだ就職をしていない、つまり社会経験のない学生たちが妄想で理想と絵空事を語り合っているだけの自己満足な会合だったともいえなくもありませんでしたが、まあ、なんとなく私はこういうアカヌケないことも嫌いではないので、宅配ピザを大量に食べられるという大きなメリットもあるので、さらにその後は、ファミレスで打ち上げが出来るので(これも無料)わりと楽しく参加していたと思います。
その中で、城山三郎の『男子の本懐』を課題図書とする会がありました。
自分はそのとき「男子の本懐とは何か?」と問われたときになんと答えたのかまったく覚えていませんが、なかには、「はいっ!うちの教室の売上げを上げることですっ!」なんて泣きながら主張し、経営者の人から「よく言った!」などと褒められるクサいシーンは覚えてます(笑)。
おいおい、なんのこっちゃ、宗教かいな?!
ま、このクサみが私が学習塾を離れ、バンドやジャズにより一層深く走るキッカケの一つになったのですが、このクサいミーティングの内容はさておき、私もときおり「男子の本懐とは何か」と年に1、2回程度は考えています。
私の場合、すごくエゴが強いと自分では思っていて、それがイヤなところがあるのですが、でもじつは、もっと世のため人のためになりたい!という意識は小さい頃からずーっと持ち合わせているのですよ、じつは。
信じてもらえないけど(笑)。
「滅私」とまではいかないかもしれないけど、でも、常に相手目線でものごとを考えよう、考えようとは考えています。
なかなか思うようにいかないんですけどね。
で、以前、『話ができる男 バカになれる男 男が惚れる男』という本を読んだことがあります。
話ができる男、バカになれる男、男が惚れる男―「人間的魅力」の育て方
この本には「男子の本懐」について、私の「もっと世のため人のためになりたい!」と似たような記述があったので、意を強くした記憶があります。
男子の本懐は、どれだけ人のために尽くし、世の中をよくするかにある。どれだけ人々を幸せにするかであり、それも束の間の幸せと紛うような「まやかし」であってはならない。人の心にしみ入るような幸せでなくてはならない。
山﨑武也『話ができる男 バカになれる男 男が惚れる男』より
そうなんですよ、そうなんですよ。
私は世のため人のために、もっとバカになりたい。
だけどバカになりきれない自分もいる。
プライドが邪魔してるんだよね。
そういう自分が本当にバカだ!です。
首相・浜口雄幸と蔵相・井上準之助。
生い立ちも性格も正反対、水と油といっても過言ではない2人が断行した金解禁。
不況にあえぐ第一次世界大戦後の日本、そしてその時代を生きる人々の生き様が丹念に描かれた力作『男子の本懐』。
男とは?というよりも、いかに生きるべきかという問いを突きつけられる小説ですね。
ダレきった自分をムチ打つために、たまには読み返してみようかな。
さて、あなたの「本懐」はなんでしょう?