Doing Wonders/原田真二
話題づくりのために事務所が仕掛けた説が濃厚だが、近頃は松田聖子との仲が噂されたりしている原田真二。
原田真二、なんだか懐かしい名前だなぁ。まだいたんだ(失礼)。
私は彼についての多くは知らないが、なんでもデビューしたての頃は、天才少年と随分マスコミに騒がれていたようで。
で、本人も自称「昭和のベートーベン」だったそうで(笑)。
うーん、なんだかそれだけでも胡散臭さい感じがしてイイぞ。
そんな原田真二だが、昔はとてつもなくカッコイイアルバムを出していた。
というか、私はこの一枚しか持っていないし聴いたことがないのだけど、それは『Doing Wonders(ドゥーイング・ワンダーズ)』。
かれこれ15~6年以上前によく聴いていたアルバムだ。
リズムやアレンジがプリンスの『パレード』や『ダーティ・マインド』の一部の曲にそっくり。
ヌメッたくて気色悪ヴォーカルが逆にクセになってカラダ中に張り付いてくる様もプリンスみたい。
出典が分かっていたとしても、そして明らかにパクリと分かっていても、このアルバムのジャケットといい、アルバム全体のトータルなトーンといい、B級臭さが プンプン漂ってきて、それはそれでニクめない愛すべきアルバムだ。
このアルバムが出た当時は、久保田利伸がデビューしたての頃だったと思った。
久保田利伸に関しては、世間や本人が「ブラック・ミュージック」がどうたらこうたらとしきりに話題になっていた記憶があるが、近藤真彦がギンギラギンにさりげなく歌っても何となくサマになりそうな歌謡曲然とした《流星のサドル》のどこがブラック、ましてやファンクやねんなどと呆れていた私からしてみれば、原田真二のこのアルバムの方が100倍ブラックだったのだ。
また、久保田のデビューアルバムの曲群よりも、本人自身はブラックを意識していたかどうかは定かではないが、大沢誉志幸の《まずいリズムでベルが鳴る》における彼のかすれた声と無機質な打ち込みの方がそこはかとない「黒さ」を感じていた。
この原田真二の『Doing Wonders』は、余分な音の贅肉はすべて削いだスカスカな音づくりだが、リズムはかなり凝っていて、細かく複雑なパーカッションの譜割り、ことに《セクシャル・セレクション》におけるカウベルの使い方はカラダの内側がひっくり返るようなノリと鼓動を感じさせ、プリンスの『パレード』にそっくりな気持ちの良いノリを感じることが出来る。
もっともプリンスのノリの方がさすがに本家だけあってか、猥雑で雑然としてもう少し広がりのあるノリで、それに比べると原田真二の方ノリはちょっと整理されすぎたストイックな感じを受けなくもないが…。そして、プリンスとの最大の違いはギターのカッティングの有無なのかもしれない。
それでも、《見つめてCarry On》のスコン!と抜けるスネアのチューニング、《Doing Wonders》の腰の効いたシンセ・ベースの音と16刻みのハットの後半を「抜く」プログラミング、《夏のDelay》のサビから絡んでくるちょっとだけチューニングを調子っぱずれにしたオルガン風のシンセ、《Slender Girl》のTRー808っぽいチープで抜けの良いスネアの音と、ゲートエコーをかけた重量感のあるスネアの音の対比など、なかなかにファンクな黒さを感じる仕掛けがアルバムのいたるところに施されていて、聴き手(といっても私だけかもしれないが)のツボを刺激しまくりだ。
シングル化もされたようだが、《風を探した午後》なんかも単調なフレーズの繰り返しのAメロには違いはないが、バックのリズムが細かく凝っているので(ことにオープン・ハイハットのクリアな音といったら!)聴いていても全く飽きがこない。
バラードの《悲しきジョーク》の振り絞るように切なく、時おりかすれる声は甘くセクシーだし、歌詞も良い。
原田真二の『Doing Wonders』は、なかなかブラック・ミュージックのオイシいツボを小気味良く押さえた秀逸なアレンジが凝縮されていて、当時の日本の音楽シーンからしてみれば何の脈絡もなく突然変異的、かつ突拍子もなく現れたこのアルバムを私は愛してやまない。
記:2001/04/29