「庶民」にならないための「読書術」本?!
さて、前回の続きです。
え~、また森高の話っすか!?
な方、ご安心ください(笑)。
先日の森高の話は、あくまでイントロです。
長いイントロやなぁ(笑)。
要するに、前回の森高の歌詞の話で、私が書きたかったことは、彼女の歌詞の内容は、きわめて「庶民」的だ、ということ。
《晴れた日曜日》では、
♪夕食は少しだけ贅沢をしたいな
と、店で一番高いお肉を買ったりすることが、ささやかな喜びだったりする。
デートの日、朝から嬉しくて、さつまいものお味噌汁とニラ玉の朝食を作る《ごきげんな朝》。
これらの感覚は、まぎれもなく、「庶民」、です。
そして、この歌や、この時期のほかの森高の歌に共感していた私、そして、もしかしたらアナタも、立派な「庶民」なんです(笑)。
で、私はそういうササヤカなことに喜び、ササヤカなことに一喜一憂する自分のことをけっこうカワイイ奴だと思ったりしています(笑)。
そういう“庶民”な私にとって、庶民になることを嫌悪し、“庶民じゃない人”が書いた、この本は、とても興味深い内容で楽しめました。
もうだいぶ前ですが、1991年に35歳で日本のマイクロソフトの社長に就任し、現在は㈱インスパイア代表の成毛眞の本です。
本を読まない人はサルである!
なかなかインパクトのあるフレーズですが、これは少し前の月刊『宝島』の読書特集で公開された言葉ですね。
なかなかのインパクトだったので、こちらの本にも流用したのでしょう。
著者は、この本で「庶民」から脱するための読書術(p4)を説いています。
読書の大事さ、読書をしない人間の度し難いサルさ加減(サブタイトルが“本を読まない人はサルである!”だからねぇ)を懇々と説き、その執拗かつ粘着質なまでの「庶民」攻撃には、ある種感動すら覚えます(笑)。
ちょっと引用してみましょうか。
▼P4-5
たとえば「趣味は読書。最近読んだ本はハリポタ、セカチュー」という人は、救いようのない低俗な人である。また、ビジネスハウツー書ばかり読む人も、私から見れば信じられない人種である。まず、『金持ち父さん、貧乏父さん』系の本を読んでいる人、こうすれば儲かるという投資本や、年収1500万円を稼げるといった本を読んでいる人は、間違いなく「庶民」のまま終わるだろう。できる社員系の本を読んでいる人も同じである。
あ、それって俺じゃん(笑)。
最近面白かった本って、『ホームレス中学生』や『夢をかなえるゾウ』だもんな(笑)。
▼P5
最初にはっきりといっておこう。みんなと同じような家に住み、みんなと同じ場所に旅行する人は、いつまでたっても「庶民」である。「庶民」と同じことをしていたら「庶民」と同じ給料しかもらえないし、出世もできない。
と、読者に庶民にならないために読書をしろ!と説きます。
ま、正論ではあるんだけれども、このちょっと攻撃的な文体が楽しい。
ムカッとくる人もいれば、ははぁ、おっしゃるとおりでございますぅ、と、ひれ伏す人も出てくるでしょうね。
さらに、本を読んでいない(いなさそうな)人への攻撃も辛辣です。
▼P55
(免許の更新に行くと)鼻ピアスをして下着のような服を着ているような女性や、茶髪でジーパンをずりおろすようにはいている男性など、信じられない光景を目のあたりにし、(中略) こういう人たちは、おそらく本を読んでいない。
▼同上
(読書は)その人の品格に関わってくるのではないかと思う。(中略)本を読んでいる人間が車の中に幼児を置いたままパチンコに興じるとは思えないし、電車の中で化粧をするとも考えづらい。
などなど、本書の様々なところで、「庶民」をこきおろすフレーズが出てきます。
ま、読者に「こんな庶民のままでいいんですか? イヤなら本を読みましょう」と手変え品変え訴えかけることが目的なのでしょうが、それだけではなく、著者の中には、並々ならぬ上昇志向、その反動からくる、庶民への嫌悪があるようです。
いや、
庶民⇔エリート
の二者対立どころか、この人の頭の中の世界は、
支配階級⇔被支配者階級
というヒエラルキーがあります(笑)。
▼P51
支配者階級の人間になりたいなら、支配者階級の人たちが読んでいる本を読むのは当然だということである。女王アリは、支配するための本だけを読めばいい。働きアリが読むような本を読んでいたら、試行が労働者になってしまう。
ま、それは正論だし、産業革命時のイギリスの、資本家⇔労働者のように分かりやすく見えやすい構図ではないにせよ、今の日本の社会も、似たような構図であることは確かだからね。
私にとっては、
働きアリ⇔女王アリ
というたとえが面白く、とにかく、このようなたとえをふんだんに用いているところが、この本の面白さだと感じています。
なぜ面白いのかというと、「勝ち組・負け組」という言葉を使うのが、きっと「庶民」的でイヤだったのでしょうね(笑)。
使われてないのですよ。
だからこそ、「勝ち組・負け組」に代わる言葉をあれこれひねり出しているところが面白いんです。
意味は一緒なんだけどね(笑)。
それでも違う言葉を捻りだしている「庶民が使う流行語を安易に使ってたまるか!」という著者の意地が見え隠れしているところが面白い(笑)。
ま、そんなクダらない読み方しているのは私だけなんだろうけど(笑)、
そういう読み方をしないかぎり、今の私にとっては、それほど得るところが大きい本とは言い難いのですよ。
なぜかというと、肝心の読書術としての本書の内容は、私にとって特に目新しいことや学ぶところがなかったから。
もっとも目新しいことが書いてなくても私は別にいいのです。
実用書を読む楽しみは、ノウハウの摂取とは別に、筆者の文体や表現、さらには、隠された優越感やルサンチマンを読み解くことにもあるのですから。
読書術の内容としては、この本のタイトル通り、興味のある本を片っ端から併読することのススメ、です。
トイレや机やリビングや寝室、テレビのCMの間に読むためにテレビの近くに置く本と、とにかく、いろいろな場所に本を置き、併読する。
それも一冊一冊を丁寧に読まず、さらに、多くの本を最後まで読まず、自分の必要とする情報が書いてあるところを重点的に読むことを勧めています。
そもそも、なぜ、私がこの本を買ったのかというと、私も10冊同時ではないですが、5冊ぐらいは同時に併読する読書スタイルだからです。
似たような読書をしている人の読書法が気になったから、買って読んでみたのよ。
自分が実践している読書法に「お前のやり方は正しい!」
と太鼓判を押してもらいたかったから(笑)。
私の日記をご覧になっている方はご存じのとおり、私の読書記録には波があるでしょ?
読了した本がない日もあれば、3冊同時に読了する日もある。
これって、べつに1日に一気に3冊読み倒しているわけではないのです。
併読している本がたまたま同じ日にゴールインしただけなんですね。
で、本を読んだ記録が載っていない日は、何冊かを同時に併読中の日で、読み終わった本がない日なのです。
私は著者と違って、よっぽどのことがない限り本は最後まで読みますから、著者ほど読書冊数は多くありません。
著者によると、最後まで本を読む人は、
読書が好きで大量の本を読む読書家は、うまく本を読み飛ばしている人が多い(P20)
のだそうですが、あのぉ、私も読書が好きなんですけど……(笑)。
私は、読み飛ばしが下手ってことですね。
さらに、今はスピード勝負の時代だから、遅い読書の人は、時代の波に追い付けず、
気がつけば低所得者の仲間入り、という事態になりかねないだろ(P20)
だそうです(笑)。
おいおい、読むのが遅くて読書冊数が少ないと、低所得者かよ!(笑)
逆に、
(読書をして)頭の中に知識を貯金しておけば、いずれ億単位のお金を稼げるようになる。毎年1億円ずつ貯金するのも夢ではない。知識や教養があれば、5億円や10億円を稼ぐのはそれほどむずかしくないのである。
のだそうです!
きっと、その具体例はオレだ!と言いたいのだろうけれども、読書で知識を増やすと毎年1億円を貯金できるという、その根拠や具体例は明示されてはいません。
ただ、欧米のリーダー層や、日本のトップにいる人たちはたくさん本を読んでいるから、のようなことは書かれていましたけど。
一流リーダーには読書家が多いということは分かりましたが、そのことをもって、読書冊数が少ないことが低所得者になることや、読書冊数の多さが億単位の稼ぎにつながることへの証明にはならないよね。
ちなみに、著者は月50冊読むそうですが、
私が月に50冊読む中で、最後まで読みと通すのは10冊にも満たない(P19)
資料性の高い本はもくじと気になった項目を2、3ページ読んでおしまい(同上)
文章が下手な本は、すぐに読むのをやめてしまう(P19-20)
だそうです。
それだったら、私も100冊ぐらいはいけるかも(笑)。
あとは、まぁ、自分の読書法とからめて、いかに自分は庶民じゃないか、本を読まない人は、いかに庶民か、なことがずらずらと書かれた内容で、著者・成毛眞氏の「庶民嫌い」がよく分かる本ではあります(笑)。
では、どういう人が庶民ではないか。
おそらく、著者は自分のことを庶民だと思っていないでしょうから、著者を非庶民のライフスタイルの典型として、本書からいくつか抜粋すると、
▼P68
私は、普段着はほとんどGAPである。GAPのストレッチパンツにポロシャツを着て、その上にチエスターバーリーの40万円のジャケットを羽織って出かけたりする。靴とジャケットを足すと60万円、ポケットに入っているチーフが2万円。 (この“ギャップ”がいいでしょ?極端なお金の使いかたをしなさい、という主張のところ)
▼P45
マイクロソフト時代は、ほとんど会社に行かなかった。一週間出社しないことなんてことはざらだった。連続して5日出社したら「今週はまじめにきているね」と周囲から驚かれたぐらいである。
その一方で、
▼P100
マイクロソフトの社長だったときは、新人にも「365日、24時間寝ないで働け」といっていた。
▼P70
本がある程度たまったら、4トントラックに積んで別荘に送っている。(中略)そのくらい極端に読んでこそ「その他大勢」から抜け出す生き方ができるのである。
逆にいえば、別荘に本をトラックで送るくらい大量に読まないと庶民のまま、ということ?
▼P115
(大型書店では)「ここの棚の端から端まで全部」という感じで大人買いをしている。たとえば、ジュンク堂では気がついたら100冊以上も買い込み、カートを用意してもらったぐらいだ。
……うーん、なかなか「庶民」には真似ができませんなぁ。
では、このようなライフスタイルの著者・成毛眞が庶民を脱し、いったい読書によってどのようにして、ここまでになれたのか。
そこが書かれていないのが、この本の欠点といえば欠点。
いや、この責任は著者にはないのかもしれない。
編集側のディレクションの問題なのかもしれない。
おそらく多くの読者が抱くのは、「元マイクロソフトの社長・成毛眞という人は、何をどう読み、ここまでビッグ(笑)になったのか?」という実用的な興味でしょう。
しかし、この本には、この部分が欠落している。
「何をどう読み」の「何を」の部分は、最後の章の「私はこんな本を読んできた!」に列記されているのでOK。
では、著者は、この章に列記された本を読んだことによって、それが、どう仕事に生き、どう仕事に生かし、「庶民」じゃなくなったのか。
この読者最大の興味を満たす記述がないのは、記述させるよう著者に踏み込まないのは、完全に編集側の手落ちでしょう。
これがないために実用書の体をなしておらず、受け取りようによっては、著者の自慢本、あるいは、飲み屋で聞く上司の説教に535円(税別)を払うことになりかねない内容になってしまっている。
たとえば、P108では、最近1カ月に読んだ本のタイトルを列記し、
このように、見事にバラバラである。ギャンブルに関する本もあれば、インドのIT産業についての本もあり、写真集や料理の本もある、という具合でそれぞれに関連性はない。仕事に直接関係があるともいえない。
と書いてあります。
仕事には関係ないが血となり肉となっているそうです。
イジワルな突っ込みをすると、血となり肉となったことを、“仕事以外で”どう活用すれば、毎年1億円以上貯金できるようになるのでしょう?
さらに、こう続きます。
今はグローバル化の時代だから、外国人と歌舞伎の話をするときにはマニアックな話を仕込んでおくほうが効果的
とのことです。
そして、「自分は外資系じゃないからといっても、あなたの会社もいつ海外に進出するかわからない」と続き、最後は、「中身がからっぽな人間はいずれ通用しなくなる」と結んでいます。
来るべき外国人とのマニアックな話に備えて、今から本を読んでおいてマニアックな知識を仕入れよう、ということなんでしょうか?(笑)
しかし、本を読まないよりは読んでおいたほうが仕事にメリットがあるよと説いているのはこのあたりで、あとは、具体的な著者自身の仕事に生きたというエピソードがほとんど記載されていないのが不満です。
もっとも、読書は「仕事には直接関係ない」と書いてありますから、具体的に何々の本を読んだために、何の資格を取得し……、といった分かりやすい仕事や収入と直結するようなことは本当にないのかもしれない。
でも、エピソードだったらあるでしょう?
間接的にせよ、あのとき読んだ歌舞伎の本から得た知識のお陰で、歌舞伎マニアの外資系企業の社長との交渉がスムースに運んだとか。
読者は、そういった本人からしてみれば他愛もないかもしれないエピソードを求めているのですよ。
つまり、この本を書いた著者はいったい何者で、何をしてきて、どう成功して、今、この本を書くまでにいたったのか、そして、この本に書いてあることを実践することによって得る「ご利益」「メリット」はいったいなんなの? ということを知りたいわけなんですよ。
1億円、あるいは5億円、10億円を毎年貯金できるようになることが、多読したことによって得る「報酬」なのでしょうか?
と、またまたイジワルなことを書いてますが、もちろん、そうじゃないでしょう。
多読して、知識を仕入れることによって、じゃあ、何がいいのか。
本を読まない人間は、品格のない人間、サルだということはよく分かりました。
そういう人間と付き合いたくないということもよく分かりました。
じゃあ、本を読まないことによるネガティブな要素はたくさん書いてあるのですが、ポジティブな要素ってほとんど書いてないんですよね。
急に、話しがとんでもなく大きくなっている例ばかり。
先の1億円貯金や、支配階級になれるとか、日本や欧米のトップとかリーダーとか、そういう雲を掴むような話ばかりに飛躍してしまっています。
もっと身近な例が欲しいんですよ、読者としては。
そう、著者自身の例が。
35歳でマイクロソフトの社長になれたのは、読書の賜物なのか、それとも単に運が良かっただけなのか、そういうことが記述されていないので分からない。
もっとも、社会人としてのスタートは、ジリ貧生活からはじまり、そんな中でも本のお金だけはねん出して読書に励んでいた、
という記述はあります。
しかし、その若いときの読書体験と、マイクロソフト社長や、現在の投資会社へつながる話がまったくないんですよ。
私が読みたいのはそこのところ。
多少、読書論から離れても、やっぱり、読者としては、著者の姿、つまりエピソードをもう少し知りたいものです。
これを読みながら、この著者の主張は信頼に値することなのか、単なる自分の主張をゴリ押しするだけの鬱陶しいオヤジなのかを判断するわけです。
その読者目線に立つ編集的配慮が、じゃっかん欠如していると私には感じた。
あるいは、そう考えること自体、「庶民」なんですかね?(笑)
でも、読者層、つまり「お客様」の圧倒的多数は「庶民」なわけですからねぇ。
これが、この本に感じた不満といえば不満。
しかし、あとは、わりと面白かったです。
何が面白かったのかというと、「庶民」ではない人の考えを垣間見ることができたから(笑)。
なるほど、「エリート様」はこういうことを考えているのね、と、忌憚のない本音を伺い知ることができた。
それを知るだけでも、読む価値あり。
オススメです。
こんな高慢キチキチな鼻もちならないエリート意識むき出しで、我々を見下したような書き方をする人間の本に金を払えるかよ! という方は、古本屋で買うか、アマゾンのマーケットプレイスで中古を購入しましょう(笑)。
それなら著者に印税はいらないし、この本を「いらない」と判断した人たちにお金がはいるだけだから、文句ないでしょ(笑)?
あ、あと1つ訂正。
この著者自身のいまにつながるエピソードがほとんど書かれていない、と先ほど書いたけれども、
山崎豊子の『華麗なる一族』には、このような記述がありました。
▼P140-141
(中略)この本はインパクトがあった。なぜなら、この本を読んで大企業に勤める気がなくなったからである。(中略)組織の中では人の顔色をうかがってペコペコしなければ生きていけないという現実を描いている。そんな生き方はまっぴらごめんだと思い、最初に入った会社もつぎにはいった会社も大企業を選ばなかったのである。……(後略)
なるほど、今の著者につながる原点を垣間見るエピソードではありますね。
最後に結論。
この本は、著者の主張や文体を楽しみ、VOW的視線であげ足をとるには楽しい本ではあるが、こと本来の「読書術」ということにおいては、ほとんど得ることのない本だと思いました。
特に、何冊の本を同時に併読している私にとっては。
特に併読のテクニックのようなことは書かれていないし、書かれている内容は、精神論と説教……、いや、著者様の「ご高説」ばかり(笑)。
真摯に自分の読書力を高めたいと思っている人や、本から効率よく学びや気づきを得たい、という人は、以下のほうが、参考になるだろうし、
お勧めです。
▼内容を血となり肉にするカンタンだけど効果のある方法
▼「本は10冊同時に読め」とは、正反対の読書法(特に本の選び方)
※この本は、「本を読めば1億円貯金するのも夢ではない」といった漠然として内容ではなく、具体的な年収アップ法の提案が書かれているので、「読書」とそれによる「リターン」を考えたい人は、『10冊同時に読め』よりは参考になるでしょう。
※ちなみに、勝間本は、上記2冊のうちの1冊を読めばok。読書に関しては、書いてある内容はほぼ同じだから。
▼私は身につけていないけれども、出来たらすごいだろうなぁ~ってことで
ちなみに、ここ数年、フォトリーディングを身につけた人がベストセラー著者として、どんどん出てきています。上記、勝間氏もその一人。
▼上記4冊とは対照的な読書法が唱えられているが、文学作品など、本の内容やテーマによっては、こちらの「遅読」という選択肢も知っておいたほうが良いと思う
記:2008/02/13