「ガーランド圏」内に止まり、名演繰り広げるコルトレーンのアルバム

      2018/09/06

ジャズ喫茶は猛者が集まる村はずれの剣道場

早いもので、ジャズ喫茶「いーぐる」で行った講演「バド・パウエル特集」から一週間経った。

早いねぇ。

いろいろな感想をあれから頂戴したけれども、その中の多くが「自分なりの鑑賞ポイントがつかめたような気がする」というコメントが多かったので、まずは一安心。

面白かったのが、メディア・アナリストの石井信平氏からの感想だ。

まず、ジャズ喫茶「いーぐる」が持つ独特な雰囲気と、そこに集うお客、そして真剣にジャズに耳を傾けている様子を、こうコメントされていました。

世の中がダレ切っている時代に、村はずれの剣道場では、ものすごい真剣な試合や、素振りをやっているような感じですね。

この「いーぐる」特集の、「音をかけ、自分の言葉で説明する」というルールを教えたら、

言葉は真剣な場を求めているわけです。ジャーナリズムであれ、恋愛であれ、ジャズであれ

とのことでした。

そうなんです、言葉って大事なんです。

そもそも、口下手でアガリ症で、はにかみ屋な私が、人前で何か喋ろう、喋らなアカン!と思うようになったのは、その思いが強かったからなのです。

パウエルの素晴らしさを「伝えたい!」っていう内面からの欲求がね。

ガーランドの枠内での最上表現

それはそうと、話はまったく変わるが、今日は、コルトレーンの『セティン・ザ・スペース』を「聴かなかった」。

なぜかというと、なかったのよ、どんなに探しても。

どこ行っちゃったんだろ?
おかしいなぁ。

この『セティン・ザ・スペース』は、名盤『ソウルトレーン』を吹き込んだ1ヶ月半後にレコーディングされた作品で、この時期のコルトレーンって、レッド・ガーランドとの相性がバッチリなのよね。

次第に、トレーンは「ガーランド圏」を逸脱して、もっとヘヴィな音空間に突入してゆくが、「ガーランド圏」の重力を振り切る推進力を得つつも、まだ「ガーランド圏」内にとどまっている本作は、それはそれで聴き応えがある。

ジャッキー・マクリーンの《リトル・メロネー》をやっているのも面白いね。

ああ、聴きたくなっちゃったじゃないかぁ!

「BIG BOY」にはあったような気がしたから、聴きに行こうかな、あ、もうこの時間の土曜日は閉店している!というより、今日は月アタマの定休日だ!

明日、も休みだ、ね。

たしかコレ、1100円シリーズで出ているのを先日、タワーレコードで発見したから、もう一枚買っちゃおうかなぁ、なんてしているうちに、また同じアルバムが増えてしまうではないか。

聴きたくなった時に、手元にないCDほど、無性に聴きたくなってしまうもの。

日ごろから、整理整頓を心がけよう!と自分に言い聞かせる私であった。

記:2007/07/07

 - ジャズ