ほいほい読書術・その2(速読は必要ない)
前回の記事⇒ほいほい読書術・その1(イントロ)
速読は、しない、できない
まず、大前提として、私は速読はできません。
もちろん、一時期は速読をしたいという憧れはありました。
そこで手当たり次第、速読のコツのような本を読みました。
速読のみならずフォトリーディングの本も読みましたし、フォトリーディングを学ぼうかと考えたこともあります。
でも、やめました。
なぜかというと、よくよく考えてみれば、今現在の私にとっては必要のないことだからです。
なぜ必要がないのかというと、必要に迫られて多読する状況にあるわけでもなく、何かをマスターしようと思ってたくさんの本を読む必要性も私にはないからです。
あくまで趣味なので。
仕事じゃなくて。
あくまで趣味以上の何ものでもない
そう、読書は私にとって趣味なのです。
私にとっての趣味と仕事の大雑把な分類は、
仕事⇒義務
趣味⇒義務じゃない
……と認識しています。
仕事は、金銭をいただく関係上、きっちりプロとして納期を守り、相手が望むクオリティ(願わくば相手が望む以上のクオリティ)を提供しなければいけません。
そして、好きであろうが嫌いであろうが、引き受けた以上は全力で取り組むべきものだと私は認識しています。
途中で放り出すなどもってのほかです。
それに比べて、趣味というものは仕事じゃありませんので、途中で放り投げてもオッケー。
したくても、したくなくても、やらなければならないことが仕事だとすると、私にとっての読書は、つまらなければ途中で投げ出す自由がある行為なのです。
だって趣味ですから。
無責任に楽しめるのが趣味。
だから読書も無責任に楽しんでいます。
このサイトの「三文日記」に記している書名は、とりあえず最後まで読み終えた本のみを記録していますが、じつはそれ以外にも同時並行で読んでいて読むのをやめた本もたくさんあるのです。
これら未読の本の屍(?!)があるからこそ、最後まで読み通せる本も出てくるというわけですね。
それぐらい私は本に対してはいい加減な気持ちで接しています。
つまらなかったら、いつでも読むのやめてもいいや。
そんな気軽な気持ち、いや、それすらも考えたこともないくらい(今、文字にしてみて初めて自分ってそう思っていたんだと驚いたくらいですから)、それこそ空気に接するかのような気持ちだったんですね。
ほら、空気って、ヨガや座禅などの呼吸法にこだわっている方は別ですが、ふつう呼吸していることって意識しませんよね?
空気は貴重だから、ありがたい気持ちで吸わなければいけない。
そんなことを考えて呼吸している人に出会ったことはありません。
皆さんも、そんなことを考えながら呼吸しているわけではないですよね?
それなのに、こと読書に対しては、「本はありがたいものだから、じっくり腰を据えて読まなければならない」という意識を持っている人が多いような気がします。
そういう畏まった気持ちが、じつは多くの人を読書から遠ざけているような気がするんですね。
もっとカジュアルな気持ちで本に接しても良いのではないかと思うのです、あくまで私の考えですが。
というわけで、次回は「カジュアル感覚」で読書に愉しむ方法について書いてみたいと思います。
記:2011/12/08