ほいほい読書術・その5(手持ち無沙汰の解消手段)
電車の中では喫煙できない
前回は、私が読書をする場所は電車の中が大半を占めるということを書きました。
煙草を吸う人だったら、この気持ちを分かってもらえると思うのですが、仕事など何か取り掛かっていることがひと段落つくと、一服したくなりますよね?
あるいは、何もすることが無い時。
つまり、手持ち無沙汰な時は、思わず火をつけてしまう。
私の読書は、かなり喫煙に近いものがあると思います。
電車の中は、出来ることが限られています。
つまり退屈。
しかし、だからといって山手線や地下鉄の中で煙草を吸うわけにもいかない。
だったら、電車の中での手持ち無沙汰の解消法は?といえば、やっぱり読書なんですね。
ボーっとして退屈に耐えるよりかは、読書をしているほうが、いくぶんかマシ。
だから、胸ポケットのシガレットケースに手が伸びるかわりに、鞄の中の本に手が伸びる。
そして、手が伸びたら自動的にページをめくり、活字を追いかけている自分がいる。
たったそれだけのことだったりするんですね。
活字を追いかけているときの私は、本から何かを得ようなどという大それた気持ちはありません。
ただ、その瞬間を楽しんでいる。
もちろん、何かが得られれば、それはそれで喜びも大きいのですが、それはクリティカルヒットのようなもので、最初からそのような大きなことは望んでいません。
毎日、マグロの一本釣りを目指すのではなく、日々、定置網にひっかかった小魚をちょこちょこと頂いている。そんな感じです。
第一、マグロは毎日コンスタントに一本釣りできるものではありませんし。
もちろん、たまにそういう大漁の時期もあるかもしれませんが、それが日常ということはあり得ないのと同じように、毎日コンスタントに本から身が震えるほどの感動や目からウロコの新情報が得られるわけではありません。
つまり、それほど大きな期待を本には抱いていないということですね。
あくまで読書は、手持ち無沙汰の解消手段の延長線上にあるものです。私にとっては。
あまり本を読まない人、時々しか本を読まない人の多くは、本に過大な期待を抱きすぎるのではないかと思っています。
なんだか書いているうちに、どんどん夢のない話に突入していっているような今日この頃ですが、次回は、本に過大な期待をしすぎるザンネンな人たちについてを書いてみようと思います。
夢がなくてごめんね。
記:2020/12/11