イン・フロレセンス/セシル・テイラー
メジャーレーベルのセシル・テイラー
A&Mといえば、音楽ファンにとってはおなじみのレーベルだろう。
古くはハーブ・アルパート(彼自身の作品を売り出すために設立されたレーベル)や、カーペンターズ、ポリスにスティング、日本ではYMOに松田聖子というポップスの中でも大御所級のミュージシャンが所属していた、いわゆるメジャーレーベルだ。
このようなレーベルから、まさかセシル・テイラーのような前衛ピアニストのアルバムが出るとは夢にも思わなんだ。
……というのがこのアルバムが発売された時の感想。
そして、大手メジャーレーベルだからといって、セシルはいつものセシルなんだろうな、なんて思いながら、発売さ後はすぐに購入したものだ。
変わらぬスタイル
結果は予想通り。
メジャーレーベルだからといって、セシル・テイラーは特にスタイルを極端に変化させているというわけではない。
強いていえば、一曲一曲の時間が短くなり、セシルのエッセンスを上手に切り取った短編集的な趣きが強くなっている。
また、セシル・テイラーのつぶやきや独唱のようなものが演奏のいたるところに挿入されていることもあり、最初にこれを聴く人は、「なんだこれは?!」と驚いてしまうかもしれない。
特に、1曲目《J.》の冒頭から、いきなり酔っ払いのおじさんがクダを巻くような怒鳴り声にも近い声から始まるので、初めて聞く人は弾いてしまう可能性大。
しかし、ピアノの表現はいつもの通りで、メジャーレーベルだからといって、変に分かりやすいことをしているというわけではない。
強いていえば、一曲一時間を越す演奏も平然とやってのけるバイタリティと集中力のあるテイラーが、このアルバムでは短めの演奏が中心ということだろうか。
いつものモチーフ
短い演奏時間の中、彼のソロ作品などに散見される一定のパターンやキメがいたるところに出現しているため、セシル流の「定型パターン」のエッセンスが短くわかりやすい形で抽出されているところが、このアルバムの特徴だ。
このセシル流の定型パターンに、ある曲では彼のつぶやきが乗り、ある曲にはベースやパーカッションが伴走し、時にはピアノのソロのナンバーも挿入されるという、比較的変化に富んだ構成となっている(セシル初心者には、皆同じに聴こえるかもしれないが……)。
セシルの「声」
とはいえ、やはり、彼の独特な声や呟きは、セシルをよく知らずに聴く人に取っては、変人&危ない人だと感じさせてしまうかもしれない。
私自身も、彼のつぶやきは、よ〜わからん上に、別に声を出さなくてもピアノだけでも良いのにと思ってしまう。
ただ、ピアノを弾かず、詩の朗読というか詠唱というか、とにかく声だけのアルバムもレコーディングしているセシルのこと、彼に取っては、「声」というのも表現における重要な一つの要素なのだろう。
低域を徘徊したかと思えば次の瞬間、高域の鍵盤を連打しまくるテイラーのピアノの鋭さはいつもの通り。
さすがメジャーレーベルというべきか、ジャケットの色彩も鮮やかだが(彼が着ている服の色も含めて)、親しみやすさや分かりやすさといった聴衆に媚びる姿勢は皆無。変わることなき唯我独尊の世界がここでも表出されている。
初めて聞く人は要注意な音源であることには変わりはない。
記:2016/10/06
album data
IN FLORESCENCE (A&M)
- Cecil Taylor
1.J.
2.Pethro Visiting the Abyss
3.Saita" - 3:00
4.For Steve McCall
5.In Florescence
6.Ell Moving Track
7.Sirenes 1/3
8.Anast in Crisis Mouthful of Fresh Cut Flowers
9.Charles And Thee
10.Entity
11.Leaf Taken Horn
12.Chal Chuiatlichue Goddess of Green Flowing Waters
13.Morning Of Departure
14.Feng Shui
Cecil Taylor (p,voice)
Gregg Bendian (per) #1,2,3,5,6,7,9,11,14
William Parker(b) #1,2,3,5,6,7,9,11,12,14
1989/06/08