私の荒んだ青春とジャニス
text:高良俊礼(Sounds Pal)
ジャニス・ジョプリン
私は「遅れて来たロック少年」である。
80年代後半から音楽を本気で聴きはじめ、当たり前に当時の最先端のサウンドがカッコイイと思って聴いていた。
「洋楽好きを自認するならば、一通りは聴いておかねばならない」として、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズなど、一応背伸びして聴いてはいたが、知識も経験もない、感受性もまだまだ未熟な10代前半の少年には、それら「昔のロック」が、どうも退屈なものに聞こえてしょうがなかった。
ジャニス・ジョプリンは、音楽番組で映像を観て「カッコイイかも」と思い、その映像は心に何となく焼き付いていた。
その後十代の私は「音の寄り道」に明け暮れる。
それは「もっと過激な音、もっとイカレた音、もっとメチャクチャな音」を求める欲求と、自分自身をメチャクチャにブチ壊してやりたい衝動とに突き動かされた、激しく危険な道のりだった。
ジャニス アルバム
そんな日々の中、何気に入った喫茶店で突然ジャニスの声を耳にした。
その時、私は「コレだ!」と思った。
いや、正確にはその時の私の内側にたぎっていた危険な衝動とトンガった行動を司る内なる何かが、彼女の強烈に擦り切れた声と捨て身の唄い方に一気に全力で反応をしたのかも知れない。
その日は別の用事があった。が、私はそれをすっぽかして家に帰った。
ジャニス メルセデス・ベンツ
全力で走ってアパートに戻り、高校時代に買ったジャニス・ジョプリンのアルバムを、ゴミ山のようなCDの中から取り出した。
CDのタイトルは『ジャニス』。
そう、2枚組のこのアルバムは、同名のドキュメンタリー映画のサントラ盤であり、彼女のライヴやインタビュー、そしてデビュー前に録音されたアコースティック形式の古いブルースやフォークのカヴァーが収録された作品だが、そんなことは露知らず、タイトルとCDの厚さからベスト盤だと思って買い、「何か音悪いなぁ・・」と、数回聴いて放置していた。
さて、狭くて汚い自室にて『ジャニス』を聴いた。
アカペラの《メルセデス・ベンツ》がまず真っ先に胸を焦がした。
そしてバンドの演奏が始まる。その音はその時聴いていたどのロックよりも熱かった。
もちろん演奏そのもののタフでラフで荒削りなカッコ良さも、暴力的なサウンドの響きもそうであるが、ライヴならではの音の粗さも、何もかも、そう、全てが生々しくて私とその衝動を、熱狂の渦中にあっという間に引きずり込んだ。
ジャニス ブルース
2枚目のアコースティック・セッションも、ジャニスが本当に“好き”で古いブルースを唄っているのが、すごくリアルに伝わってきた。
こちらの方は何だろう?
衝動や熱狂とはまた違う、それまで音楽に求めたことのなかった「優しさ」を感じた。
本物の音楽
ジャニスとは、出会って10年、アルバムを購入して8年の歳月が経っていた。
私が何故突然彼女の歌に激しく心打たれたかは、実は今もって分からない。
ただ、本物の音楽(つまりアーティストが命を削って生み出した音楽)は、時がどれだけ移り変わろうが、時代がどのように変化しようが、そんなものは関係なく、聴く人の人生経験とリンクして共鳴する。
もしもこの文章を読まれている方で「昔買って良さが今ひとつ分からなかった音盤」をお持ちの方がいたら、ぜひ数年置かれてでもいいから聴いてみて欲しい。
その音盤と出会ってからアナタが経験した人生でのあれこれが、中身の濃いものであったとすれば、その音楽はきっとアナタの心に届くだろう。
記:2014/09/24
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)