わがままジャズおっさんに注意!「好き嫌い批評」の面白さと弊害
評論とエッセイ
音楽にしろ、絵画にしろ、映画にしろ、芸術作品の批評を行う上で、書き手には作品への最低限の知識が必要不可欠であることは言うまでもない。
しかし、知識のみを羅列するだけの批評は、つまらない内容になりがちなことも事実。
もちろん、批評の主眼はエンターテインメント性ではないのだから、面白くなくても構わないと思う。
しかし、文章の中にツカミがなく、無味乾燥なデータばかりが羅列された批評文は、やはり読みにくいし、なにより情報が頭の中にスムースに入ってこない。
私は、文章にダイナミズムを生み出すためにも、批評文にも多少の砂糖(エンターテイメント性)を盛り込むことはアリだと思っている。
批評の役割は、単に作品を論ずるのみならず、作品を広く世に知れ渡らせることもあるからだ。読みやすいにこしたことはない。
ただし、文章の面白さのみに心砕き、肝心な批評対象への理解や分析の視点の欠いた論評は、主客転倒したエッセイでしかない。
寺島エッセイ
たとえば「ジャズの批評」を例にとってみよう。
ジャズの批評において、大きな転機が訪れたのは、おそらくは80年代末に出版された寺島靖国氏の『辛口ジャズノート』の登場だろう。
吉祥寺のジャズ喫茶「メグ」のマスターが書いたこの本をひも解くと、とにもかくにも氏の勢い溢れる文体に引き込まれてしまうことだろう。
しかし、なぜ引き込まれてしまうのかを冷静に考えてみると、テキストの勢いの源泉をなしているものは氏の「好き・嫌い」が常にあるからだ。
と同時に、「嫌いなものを嫌いといって何が悪い?」という、従来のジャズ評論を形成していた暗黙の通念めいたもの(いわゆる油井史観)に反旗を翻した新鮮さも手伝っていることが、時代の気分に合致した点も見逃せない。
「好き・嫌い」は、鑑賞者の生理的な本音なので説得力がある。
また、「好きなものは好き・嫌いなものは嫌い」というある種の開き直りにも近いマインドは、文章に勢いと説得力を生み出す推進力にもなるということを、寺島氏の『辛口ジャズノート』は示してくれた。
批評なのか非批評なのかはさておき、とにもかくにも寺島氏のテキストは「面白い」し「読める」ことは確かで、これが「ジャズ本」の中では異例のベストセラーを放った大きな要因であることは疑いない。
もちろん、私も面白く読み、面白く再読を重ねている。また、氏の他の著作もほぼ全てに目を通しているが、「好きなものは好き・嫌いなものは嫌い」なスタンスは基本的には変わらない。
しかし、ひとたび「これは批評なのだろうか?」という眼差しで氏のテキストを読み返すと、これはまぎれもなく、批評ではない。
ジャズをたたき台としたエッセイだ。
もちろん、このようなスタイルのエッセイも「あり」だと思うし、実際面白いのだから、氏の「エッセイ」をキッカケにジャズに興味を持つ読者がいれば、それは素晴らしいことだと思う。
寺島氏の影響
しかし、演奏者の表現意図を汲み取ろうとせずに、単に「音色」や「旋律」が好みではないからという個人的な好みを旗印に、時にジャズマン渾身の演奏を斬ることもあり、それが読者の好みやジャズ観とシンクロすれば「よくぞ言ってくれた!」と溜飲が下がるのかもしれないが、あまりに音楽家本来の個性や表現の方向とかけはなれた角度からの批評は、それはすでに批評ではなく「ワガママな戯言」でしかない。
もちろん、これは寺島氏だけに限ったことだけではなく、私の周囲にも氏の論評スタイルを踏襲した「俄かジャズ評論家」は数多く存在する。
たまたま、知名度の高い寺島氏を引き合いに出させていただいているだけで、私も含め、ブログやホームページなどの個人メディアを持つジャズファンたちの中にも、それに類する人たちが少なからず存在することは御存知の方も多いことだろう。
『辛口ジャズノート』以降、急速に普及したインターネットの普及により、ホームページやブログなど、書籍や雑誌のようなメディアを介さずとも、誰もが手軽に自分の意見をアップロード出来るようになった。
これにより、一部の批評家のみならず、多くのリスナーたちの多様な意見を気軽に閲覧することが可能になったネットの恩恵は計り知れない。
しかしその反面、作品の理解は二の次で、個人の好き嫌いを優先させた文章が散見されることも否めない。
個人のツボ優先、演奏者の表現意図は無視
たとえば、「黒っぽくない演奏」を良しとしないファンは、それ以外の演奏にはダメ出しをしてしまう傾向がある。
たとえ、演奏者の表現における力点がハーモニーやアレンジだったとしても、自分好みの「黒い」演奏でない限り、その演奏には「ダメ」烙印を押してしまうのだ。
また「美メロ、美旋律」のみに耽溺する“美メロおやじ”は、メロディよりも演奏の熱気や、リズムの躍動感を前面に出すことが主眼の演奏の場合でも、「美メロではないのでダメ」という烙印を押してしまう。
自然、演奏者は、この演奏で何を表現したいのか、何を感じとって欲しいのかを汲み取ろうとする視線が最初から欠落した批評になってしまう。
個人の好みで聴くだけならば、このような鑑賞姿勢は、それこそ個人の勝手で、未聴リスナーにヘンな誤解を与えることもないのだが(もっとも偏った上に広がりのない鑑賞法だとは思うが)、公に公開する批評に、「この演奏はダメだ。なぜなら美メロではないから」というような論旨で批評が展開されれば、演奏者としてはたまったものではないだろうし、これから興味を持って買おうと、レビューを参考にしようとするリスナーにも誤解と偏見を与えかねない。
そして、これは鑑賞者としての資質も問われるトンデモないことでもあるのだ。
ワガママ、ゴーマン、あんたナニサマ?
これを分かりやすく、料理に喩えてみよう。
ある料理評論家が「懐石料理屋」で食事をした。この料理屋は、主人が食材を厳選し、丁寧な仕込みと、あっさりとしながらも奥行きのある味わいが魅力の料理を出すことが魅力の店だ。
しかし、客はこの店で食事をした後、下記のような趣旨の批評を書いた。
「この店はダメです。なぜなら、ソース味の味つけではないからです。ボクはソース味が好きです。だけど、この店の味付けにはソース味がひとつもありませんでした。だから、どんなに調理人の腕が一流でも、ソース味がない限り、この店はダメなのです」
「なんじゃそりゃ?」だよね。
相手の表現(料理)を自分の好みだけに引き寄せてモノ言ってるだけのワガママ野郎だと思うよね。
料理だとイメージしやすいので、極端な例をデッチあげてみたけれども、音楽の批評にも、まったく同じことがいえる。
エリック・ドルフィーのアドリブの斬れ味は素晴らしい。
しかし、そこのところを汲み取らずに「ボク、わかりにくいメロディって嫌いなんだよね」では、ドルフィー表現の醍醐味をまるで受け取っていないに等しい。
ビル・エヴァンスのピアノが生み出す奥行きのあるハーモニーを聴かずして、「このピアノトリオって白人ばかりで、ノリが黒くないから嫌いなんだよね」では、お前はビル・エヴァンスの何を聴いてるんだ、求めるものが違うだろ?と突っ込まざるを得ない。
「女性なのにガンガン弾くピアノは嫌いだ」という発言にいたっては、アナタの求める女性像をミュージシャンに求めないでくれ、だ。
おしとやかな女性像が欲しければ、なにもわざわざ女性のジャズピアニストに理想の女性像を投影するなどといった七面倒臭いことなどせずに、奥さんか彼女か娘か愛人など、てめぇの身内に求めてくれよ、と言いたくなる。
このような人たちは、自分が欲しいもの、求めるもの、聴きたいものを自動的にジャズマンが提供してくれるとでも思っているのだろうか?
だとすると、それは勘違いと思い上がりもはなはだしい。
宮廷音楽家を囲うパトロンならばまだしも、自分好みの音楽以外を認めない排他的な姿勢は、音楽家のことを自分好みの演奏をしてくれる「演奏マシーン」としての視点でしか見ていない証拠。そこにミュージシャンへのリスペクトは存在しない。
あるのは、ただただ「俺好みを演奏しろ」という傲慢な精神のみ。
相手はオーディオ機器ではないのだ。生身の人間なんだよ。
それも感性をフル稼働させ、時には身を削りながら芸術表現をしている人たちなのだ。
オーディオ機器は自分好みの音にカスタマイズできるのかもしれないが、生身の人間を自分好みの音を求めるのは、相手を「人」として見ていない証拠だよね。
そういう輩には、「だったらアンタが自分で自分好みの演奏をしたほうが手っとり早いでしょうが?」と憎まれ口の一つもたたきたくなる。
女性ピアニストに信じられぬ暴言
かつて私の周囲にも、この手のジャズおっさんがいた。
若手の女性ピアニストの演奏を聞こうともせず、面と向かって「君は顔が可愛いんだからグランドピアノよりも、エレピを弾いたほうがいいよ。グランドピアノは客席から見ると横顔しか見えないけど、エレピだったら、客は顔を正面から見れるだろ?」などと失礼千万なことを言い放った。
あまりの無神経さと傲慢さにほとほと愛想が尽き、現在では袂を分かつているが、正しい選択だと思っている。
このようなマインドが根底にある「好き・嫌い」を主軸にした論評は、たしかに書き手の自我や本音がモロに前面に出るだけに、読み物としては面白いものだが、あまりに自分の好みばかりを優先させてしまった結果、肝心な音楽の内容や、アーティストの表現意図を汲み取ろうという眼差しの欠落した批評ばかりを読むだけでは、結局は書き手のワガママと偏見に振り回され、自身の音楽鑑賞の広がりにはつながらない。
注意が必要だ。
記:2010/08/31
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