ジャズ“ライヴ名盤”入門!/中山康樹

   

変幻自在な中山文体

私はジャズが好きだし、たぶん、それと同じくらい文章を書くのも好きなのだと思う。

だから、ほぼ毎日、このブログに、つらつらと文字を書いているんだろうと思う。

書くのが好きってことは、それと同じぐらい読むのも好きなわけで、手当たり次第に本や週刊誌や、電車の中吊り、街の看板を読んでいる。

素晴らしい文章、ハッとする表現に出くわして、「うーん、いい!」と思うことが、好きなんだろう。

だから、まぁ、以前は広告の仕事をやっていたからということもあるけど、広告コピーも好きだし、僅かな文字数で人の目を挽きつける「東スポ」の見出しや、駅の売店に新聞コーナーに貼り出されるタブロイド紙のヘッドラインを読むのも好きだ。

おそらく、「く~、この表現たまらん!」と思ったり、「く~、この言い回しイタダキ!」と思うのは、私の場合は、ジャズを聴いて「く~、たまらん!」と思うのと同じ種類の感激、感動なのだと思う。

音楽批評の分野において、私にとって「く~!」な人は、なんといっても、中山康樹氏。

もちろん、原田和典氏、後藤雅洋氏、村井康司氏、寺島靖国氏、イントロの茂串氏の文章も「く~っ!」と唸る表現や視点が多い。

ネットだと、takara氏やしおさば氏のような、自虐調クドウダ文体(クドくてウダウダ)が読んでいて楽しいかな。

今回の趣旨は、中山さんの本の紹介なので(笑)、中山康樹的表現について書かせてもらうが、中山氏の視点の鋭さと、巧みな文体の使い分けには、いつも舌を巻いてしまう。

まるで、オープンとミュートを巧みに使い分けるマイルスのラッパのようだ(ちょっとベタですネ…)。

たとえば、代表作『マイルスを聴け!』のヤンチャ文体のみならず、『ジャズマンとの約束』のようにキリッと簡潔、締まった文体も中山氏の持ち味の一つ。

あるいは、『ジャズを聴くバカ、聴かぬバカ』の、「ああ、一体これはどういうことなんでしょう…」みたいな、谷崎潤一郎の『痴人の愛』的ウダウダ文体も見逃せない。

とにかく、多彩。
表現の引き出しの多い方なんだなぁと思う。

だって、『マイルスを聴け!』のバージョン1と、『エヴァンスを聴け!』と、『ジャズマンとの約束』と、『ビッチェズ・ブリュー』を読み比べてごらんなさい。

まるで、『オン・ザ・コーナー』と、『クッキン』と、『1958マイルス』と、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』ぐらいの違いがあるんですわ。

言いえて妙過ぎる!

で、今回発売された、中山氏の新刊『ジャズ“ライヴ名盤”入門!』は、どちらかというと鋭い筆致で、音のニュアンスを描写しているという点では『クッキン』、あるいは『1958マイルス』路線の文体。

ジャズ“ライヴ名盤”入門! (宝島社新書 (226))ジャズ“ライヴ名盤”入門!

悪いけど、この本は、ホントあなどれない。
「く~っ!」な必殺フレーズが多すぎる。

私は、「この表現すげぇ、マトを得すぎ!」と思ったところに付箋を貼りながら読んでいたのだが、読了したら、付箋だらけのゲジゲジ本になってしまった。

たまたま、このゲジゲジ本を神保町の「BIG BOY」のカウンターに置いていたら、この本の担当編集者がそれを見て、「え?そんなに誤植があった?!」と青い顔をしていたが、違うんです、誤植に付箋を貼ったのではなく、「く~っ!」な表現や視点に付箋を貼っていたのですよ~。

たとえば、一例をほんのサワリで紹介。

ウッズが吹き鳴らす過剰なアルト・サックスはエレクトリック・ギターをディストーションさせることと同義であり、轟音もタテノリのリズムもハードロックそのものといえる。

そうそう、私もはじめてウッズ(ヨーロピアン・リズムマシーン)を聴いたときには、ロック的な興奮を覚えましたよ。

>>アライヴ・アンド・ウェル・イン・パリ/フィル・ウッズ&ヨーロピアン・リズム・マシーン

続いて、ガトーについて。

ガトー・バルビエリの場末感が横溢するすさんだサックスの隣にあるのは、桑田佳祐が得意とする昭和ロマン歌謡をサザンオールスターズ的に転化させた架空の場末や裏通りであり、ガトーとサザンの共演がないのはむしろ不思議に思えるほど両者は近接し、似たようなDNAをもっている。

あはは、言えてる、言えてる。
場末感ねぇ。
うまい表現だ。
私が両者に感じている奇妙な胡散臭さを見事に言語化してくれました。

ハードバップのニュアンスをこれほどまで見事に文字で表現した文章はない!とこの本の中で私が一番唸ってしまった表現が、

ケニー・ドーハムの《マイナーズ・ホリデイ》。その旋律のやるせなさと快活ではあるが先端がしおれていく感じの切なさは、まさしくハードバップであり……

のところ。

これは『カフェ・ボヘミアのジャズ・メッセンジャーズ』のレビューからの抜粋だ。

>>アット・ザ・カフェ・ボヘミア vol.1/アート・ブレイキー&ザ・ジャズメッセンジャーズ

先端がしおれていく感じの切なさ…。

そうなんだよ、そうなのよ、そうなんですよ、と頷くこと100回。
頷き過ぎて目の端からはうっすら涙すら浮かんできた(笑)。

続けよう。
言われてみれば、そうだった!な指摘です。

このアルバムには名作曲家シルヴァーのオリジナルが一曲も収録されていない。こあたりに JMがシルヴァーからブレイキーの手に移った裏事情が現れているように思える。しかし皮肉なことにシルヴァーの曲が醸し出す一流の雰囲気よりもドーハムが書く一流半もしくは二流一歩手前の楽曲こそこの時期のJMにはふさわしく、シルヴァーの楽曲であればこうも切ない夜風は吹きつけていなかったろう。

なるほど、たしかに、そのとおり!

……それにしても、切ない夜風(笑&涙)

う~ん、ハードばっぷぅ~!!!!だぜ。

まるでスタン・ゲッツのアドリブのごとし

あとは、キャノンボール・アダレイ、「ファンクにしてファンキーにあらず」な指摘や、ジャコ・パストリアスの悲劇、ミンガス・ジャム・セッション・カーネギー・ホールの実況中継などなど、もういちいち、「そのとおりでございます!!」としか言いようのない見事な指摘と、的確な表現力。

ホント舌を巻くし、プロの仕事を見せつけられました!ってな感じ。

地味で小さいけど、素晴らしい本ですわ。ホント。

これだけ、目からウロコな視点と表現をサラリと書いちゃう中山氏の筆力は、ジャズマンにたとえると、サラリと聴けてハッとするフレーズの多い、スタン・ゲッツのアドリブのよう。

当たり前のようでいて、じつは、深いという。
うん、やっぱゲッツだ。

中山さんが好きなマイルスじゃなくてすいません(笑)。

記:2006/12/30

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