ジミ・ヘンドリックスが「分かる」まで
text:高良俊礼(Sounds Pal)
ジミ・ヘンドリックス
ジミ・ヘンドリックスを初めて聴いた時の事を思い出している。
あれは高校1年の時だった。
「正月の“お年玉貯金”で、憧れのエレキギターを買おう!」という夢を膨らませていた頃「エレキギターを弾くならば、やはりジミ・ヘンドリックスは聴かねばならぬ」という純粋な想いから、“エレキギターの神”ジミヘンのベスト・アルバムを買った。
未聴の少年にとって、ジミヘンは「ギターを歯で弾く人」であり「ギターを燃やす人」であった。
その他にも「アメリカ国家をぐっちょんぐっちょんにして弾いた人」であり、「何だかよー分からんが凄い人」であった。
音楽聴く前からそんな話ばかり聞かされて、挙げ句自分が好きで憧れてたミュージシャン達が
「いやぁ~ジミヘンは凄いよ」
「彼のようにギターを弾いた人は、いまだかつていないよね」
なんて言うもんだから、「エレキギターを弾くならば、やはりジミ・ヘンドリックスは聴かねばならぬ」という結論以外には至らぬ道理があったのである。
その凄さ、不可解
果たして私は、はやる気持ちでジミヘンのCDを購入した。
自室にこもって集中的に聴いた。
なるほどこんなギターは、歯で弾いたり、燃やしてしまうぐらいの人でないと出来まいよ。
しかしイングヴェイ・マルムスティーンとかポール・ギルバードとかみたいな「これは凄い技術だ!」と、素人が聴いても分かる超絶早弾きとか、マーシーとかアンガス・ヤングとかメタリカみたいに、聴いた瞬間に興奮のスイッチが入る必殺リフの凄味とはまた別の世界のギター・プレイである。
明らかに「コノ人凄い!」とは思うものの、実際聴けば聴く程「何がどう凄いのか?」という核心がどんどん遠くなってゆく・・・。
衝撃は受けた、間違いなく受けた。
しかし私のジミヘンに対する気持ちは聴く前と大して変わらない「何だかよー分からんが凄い人がいる」であった。
あまりにも不思議に思ったので、同じくロック好きでギター小僧な友人を家に呼んだ。神妙な面持ちでしばらく聴いた後の2人の会話は
「・・・何か、凄いよな」
「だろ?・・・何だろうこれ」
「・・・分からん」
それからしばらく沈黙が流れ、結局ジミヘンともロックとも全く関係のない、他愛もない話になったと思う。
衝撃
ジミヘンのCDは、それから2年ぐらい棚の中に寝かせていた。その間、私の興味は「理解できるもの」を聴くことを軸に推移して行ったが、ある日ふと「ジミヘンでも聴いてみようかな~?」と軽く思い、久々にCDに手を伸ばした。
本当の「衝撃」は、その時に降ってきた。
まるで生き物のような生々しいフレーズ、破壊的なサウンド、それらが緩急とエモーションを巻き込んでうねるその迫力に卒倒され「何で今までこれに気づかなかったんだろう・・」と驚愕した。
興奮しながら件の友人に電話をしたら「お前もか・・・」と、彼は言った。
それからしばらく沈黙が流れ、結局ジミヘンやブルースの話で大いに盛り上がった。
「理解を超えたもの」を切り捨ててはいけない。むしろ大切に寝かせておこう。
それは眠ってる間にあなたの感性を磨き、価値観をより上等なものに変える、必ず変える。
記:2014/10/01
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)
※『奄美新聞』2010年2月12日「音庫知新かわら版」掲載記事を加筆修正