大好きな『北の国から』について、敢えてイジワルな書き方をしてみた
好き・気になる・下世話な好奇心
『北の国から』は、テレビドラマと、その後に何本か放映されたスペシャル版のすべてに目を通している。
好きだからこそ、全エピソードを見ているわけなんだけれども、では本当に好きなのかというと、手放しに『北の国から』が大好きだとは言いづらいものがある。
もちろん、好きなドラマのひとつには違いないし、大作には違いないのだけれども、そこには「好きだから観る」という気持ちにプラスして、「気になるから観てしまう」というモチベーションもかなり大きくあったりもする。
それも、下世話な好奇心だったりするから、つくづく、そういう自分ってイなヤツだよな~と思ってしまう。
意地悪目線で要約すると……
そこで、以下、あえて、底意地の悪い書き方をしてみるね。
「ワケあり」な人たちばかりが登場する北海道は富良野という土地で、考えようによっては、かなり陰惨な話も、北海道の大自然の美しい景色や、真っ白な雪景色と、さだまさしの「る~る~るるるるる~」な歌で中和させ、願わくば感動にまで昇華させてしまおうという魂胆が透けて見えてしまうのだ。
騙されないぞ、騙されないぞ、と思いながら観ても、いつしか騙されている自分が情けない。
意地悪目線で登場人物を紹介すると……
もう少し、イジワルな書き方を続けるとして、主要な登場人物のプロフィールを簡単に追いかけてみよう。
黒板五郎
妻の浮気で離婚し(その妻も後に死去)、二人の子供を連れ、故郷の富良野の麓郷という土地へ還り、電気も水道も通じていないオンボロ小屋に居を構え、無邪気で遊びたいざかりな子供二人に様々な重労働を強要させ、北海道の厳しい大自然の中、強くたくましく生きる父・黒板五郎(田中邦衛)は、水商売をしている旧友の女性の借金の保証人になったら逃げられたり、火事で家を焼失したりしている。
黒板純
この父の息子・黒板純(吉岡秀隆)くんは、高校時代は東京で過ごすが、東京にいる間、ピザ屋でバイトをしていた女の子を孕ませ、彼女が中絶した結果、体を壊してしまい、彼女の父親にぶん殴られたり、陰湿な嫌がらせをする職場の先輩を工具で殴って怪我を負わせたりもしている。
大里れい
純くんの中学時代の初恋の女の子・れいちゃん(横山めぐみ)は、卒業も間近に迫ったクリスマスの晩に家族ともども夜逃げをしているし、彼の友人は農薬を使わない有機農法を始めたはいいが、害虫が大量発生して、農作物が全滅。結果、借金が払えず、農薬を飲んで自殺未遂をしている。
小沼シュウ
純くんが現在つきあっている彼女・小沼シュウ(宮沢りえ)は、AV女優だったという過去を持ち、そのことをめぐってかなり葛藤し、気まずい雰囲気になったこともある。
黒板蛍
純くんの妹・黒板蛍(中嶋朋子)は、小さい頃は真面目でしっかり者な娘だったのだが、看護婦になり札幌の病院に勤務するようになると、母親の浮気の血の遺伝かどうかは知らぬが、看護婦長の旦那の医者と不倫、駆け落ちをした挙げ句、最後は捨てられてしまうのだが、お腹の中には逃げられた男の生命が宿っている。最近は兄の親友・正吉と結婚し、今のところめでたしめでたしな状態。
雪子おばさん
五郎と別れた妻の妹・宮前雪子(竹下景子)は、一時期、色恋絡みの傷心を癒すために富良野に住んでいたが、妻子持ちの男を略奪することに成功し、一時期は東京に住み、子供も産んで幸せな家庭を築き上げるが、自分が奪い取った男、今度はもっと若い女性と浮気をしてしまい、離婚。子供も男の実家に取りあげられてしまい、会いたくてもなかなか子供に会わせてもらえないような状態という、因果応報を絵に描いたようなキャラクター。そして、富良野に還ってくる。
草太兄ちゃん
そんな雪子に若い頃には恋心を抱き、彼女の気を惹くためか、男を上げるためか一時期はボクシングを始めるが、試合ではボコボコにやられてしまう牧場のせがれ・北村草太(岩城滉一)は、純くんが兄のように慕う、ちょっとオッチョコチョイだが人の良いお兄ちゃんだ。
草太兄ちゃんがあまりに雪子おばちゃんに熱をあげていたせいもあり、彼の恋人は、富良野から家出をして札幌で水商売に走る。
お腹の大きくなってきた蛍と結婚しろ、お前はそれでも男か、何のために自衛隊にいたんだと、さんざん正吉を説得し、正吉と蛍がその気になった途端、トラクターの下敷きになって、あっけなく死んでしまう。
「感動」してしまうのが少し悔しい
ああ、なんだか文字にすると、暗い気分になってきたなぁ……。
実際、テレビを見ている分には、文字にしたほどの暗さは感じはしないし、皆、心に傷を持つからか、優しくてイイ人たちばかりなのだが、パーソナルデータを客観的に文字にしてみると、何だか度し難く暗い。
この富良野に住む人々の人間模様を描いたドラマが『北の国から』なのだが、美しい自然をところどころに混ぜりゃいいってもんじゃないぞと思ったり、75%の陰惨な話と25%の心温まる話を大自然の映像とさだまさしの歌で中和させようったって無駄だからな、と構えていつつも、いつのまにか、画面に引き込まれ、物語に同化し、最後には毎回必ずといって良いほどしつこく繰り返される回想シーンでは涙ぐんでしまっている自分がいる。ちょっと悔しい。
物語の作りやストーリーの運びが非常に上手いのだと思う。
「落としドコロ」をわきまえた演出が巧みに「泣け、泣け、泣け」とこちらに訴えかけてくる。
だから、本当な好きなくせに、手放しで好きとは言えないような屈折した思いが「北の国から」に対しては常に持っているのだ。
ニュースによると、つい最近、倉本聰氏は、次の『北の国から』の脚本を完成させたという。
来年の夏あたりには放映されるのだろうか?
絶対ビデオに撮って、テレビの前にかじりつき、泣かないぞ、泣かないぞ、と構えつつも、きっと泣いてしまう自分がいるのだろうな。
記:2001/06/28
追記
『北の国から』の最終話とされる、「遺言」を見たが、正直、期待していたほど、あまり面白くは感じられなかった。
突っ込みどころはいくつもあるのだが、きっと最大の原因は、これが最終作、これで最後だ、だから、人々の心に永遠に残る良い話を作ろうというスタッフ一同の気負いから来る妙な重苦しさが、なんとなく見終わった後の気分の落ち着きのなさにつながっているのだと思う。
プラス、この最終話が二話連続で放映される前に、フジテレビが用意周到に放映した総集編が原因ということもある。
二話連続で、これまでの『北の国から』のおいしい名場面を集めた総集編は、たしかに「ああ、こういうこともあったな」とリアルタイムで見ていた者にとっては懐かしさも感じる内容だ。加えて、当時の感動が懐かしさとともに甦ると同時に、これから初めて『北の国から』を見ようとする視聴者に対しては、とても親切で気配りの効いた企画だということは認めるに吝かではない
しかし、あらかじめ最終話で感動してもらうために周到に用意された“お膳立て”は見事だが、総集編を見終わったあたりから既に気分は『北の国から』の感動で飽和状態。
“おなか一杯”になったタイミングで最終話が放映されたので、感動受信感度が不感症になっていたことも、最終作の『遺言』がより一層つまらなく感じた原因なのかもしれない。
記:2001/11/27