ジェリー・マリガン・カルテット/ジェリー・マリガン

   

きっかけは「女の子」

リチャード・ボックといえば、ウェストコースト・ジャズの代表的レーベル「パシフィック・ジャズ」の創立者として有名だ。

しかし、UCLAに在学中の彼は、レコード会社を立ち上げることなど、当初はまったく考えていなかったようだ。

パシフィックジャズが誕生したキッカケのひとつは「女の子」だった。

ボックは、ジェリー・マリガンのファンで、ライブハウスに通ううちにマリガンと親しくなった。

また、ボックはライブハウスの「ヘイグ」の常連でもあった。

この店では、毎週水曜日の夜にジャムセッションが行われていた。

ボックは店のオーナーから「日曜日もジャムセッションの日にしたいのだが、誰かいい出演者いない?」と相談された際に、ジェリー・マリガンを呼んでセッションリーダーに仕立て上げようと考えた。

バリトンサックス奏者のジェリー・マリガンは、マイルスの『クールの誕生』にも参加していた経歴からも分かるとおり、活動の拠点はニューヨークだったが、このときは映画音楽の編曲の仕事のために西海岸に移住していたのだ。

ロスを拠点に映画音楽中心のジェリー・マリガンと仲良くなり、なおかつジャズクラブにレギュラーでマリガンを出演させるために仕向けたボックの本音は、ちょっとした「下心」だったようだ。

映画音楽の仕事をしているマリガンだったら、女優の卵を連れてくるに違いない。

そう、ボックがマリガンを誘ったのは「女の子目的」だったのだ。

ボックとマリガン

もちろんそれだけが目的ではなかったのだろう。

映画音楽の仕事をしているマリガンを店のレギュラー出演者にすれば、映画関係者も来店し、客の入りも増えるという算段もあったに違いない。

実際、マリガンが女優の卵の女の子をたくさん「ヘイグ」に連れてきたのかは謎だが、店でのマリガンの演奏は、とても素晴らしかったようだ。

マリガンの演奏に感銘を受けたボックは、レコードを作ろうと話を持ちかけた。

ほんの思いつきだったため、特にレコード会社を設立して、西海岸のジャズを盛り上げようなどというような大それた野望は抱いておらず、「せっかくだから記念に1枚」ぐらいの気持ちだったようだ。

だから、店のライヴを録音してレコードを作ればいい。

ところがマリガンは、どうせレコーディングをするのであれば、きちんとスタジオでレコーディングをしたいと主張したようだ。

きちんとした演奏をするために声がかかったのがトランペットのチェット・ベイカーだった。

ピアノレス・カルテットの誕生

マリガンとベイカーといえば、有名な「ピアノレス・カルテット」が、すぐに頭に浮かぶジャズファンも多いことだろう。

2管のフロントに、ベースとドラムのリズムセクション、コード楽器のピアノやギターが不在の編成のピアノレスカルテットだ。

この編成が生まれたのは、ほんの偶然だった。

キッカケは、またもや「女の子」だった。

当初のマリガンのグループは、ピアニストのジミー・ロウルズも参加していた「ピアノ付き・クインテット」だったのだ。

ところが、ジミーがリハーサルに連れてくるガールフレンドは、ちょっとクレイジーなところがある子だったようで、リハーサル中にもマラカスをシャカシャカ振ってうるさかった。

ジミーを呼べば、自動的に女の子がついてくる。

女の子がリハーサルに立ち会えば、またマラカスをシャカシャカ鳴らすに違いない。

これでは、うるさくて練習にならない。

では、ジミーを呼ばなければ「マラカス女」もついてこない。

だから、ピアニストのジミー抜きでリハをしてみた。

ピアノが抜けたスッキリサウンドは、思ったより良い感じ。

ピアノ、無くてもいいんじゃないの?

マリガンとチェットの有名な「ピアノレス・カルテット」が誕生した背景は、音楽的な理由ではなく、鬱陶しい女の子を遠ざけるためという理由だったところが面白い。

もちろん、マリガンのアレンジ、伸びやかでスウィートなチェットのトランペットによるサウンドのブレンドは東海岸にはない軽やかさとスマートさが漂い、やがて、このアルバムが一斉を風靡するには時間がかからなかった。

パシフィックジャズの誕生

リチャード・ボックのちょっとした思いつきと、マリガンらバンドメンバーのちょっとした試みで、完成したアルバム、『ジェリー・マリガン・カルテット』。

先述したとおり、リチャード・ボックは、この1枚だけを作れればいいやと思っていたため、このアルバムの制作のために貯金をほとんど使い果たしてしまったようだ。

ところが、『ジェリー・マリガン・カルテット』は、彼らの予想を裏切り、けっこう話題になり、そして売れた。

そこそこのお金がはいってきた。

このお金があれば、次のレコードも作れるじゃないか。

こうして、西海岸を代表するウェストコースト・ジャズの代名詞でもあるパシフィックジャズがスタートしたのだった。

ウィリアム・クラクストン

全員が上を向いている印象的なジャケット。

この写真を撮影したカメラマンの青年はウィリアム・クラクストン。

彼は後にパシフィックジャズ専門のカメラマンとなるが、最初は駆け出しの学生カメラマンだった。

ジャズクラブの「ヘイグ」にジャズマンたちの写真を撮影しに出かけた彼は、店内にいた初対面のジェリー・マリガンに「写真撮ってもいい?」と申し出た。

マリガンからOKをもらったクラクストンは、店内のジャズマンたちをパシャパシャ撮影しまくっていたようだ。

そのクラクストンに「君が撮った写真をアルバムのジャケットに使わせてくれないかな?」と話しかけてきた青年が、リチャード・ボックだった。

リチャード・ボックも学生で、貯金をはたいてレコードを作ろうとしていたこともあり、クラクストンが受け取ったギャラは大したことは無かったようだが、それでも当時は学生の小遣いにしては上々と嬉しかったようだ。

そして、ボックと意気投合したクラクストンは、パシフィックジャズの専属カメラマンとして仕事をするようになった。

ブルーノートのライオンとウルフ(アルフレッド・ライオンと、フランシス・ウルフ)ほどのインパクトはないにせよ、ボックとクラクストンの関係も、ジャズレーベルの名コンビだと個人的には思っている。

何より、オーナーの意向や趣味を理解したカメラマンがレーベルにいるということは素晴らしいことだ。

音のみならず、ジャケットも、そのアルバムの中身を決定してしまうほど、重要な要素だからだ。

『ジェリー・マリガン・カルテット』のジャケ写は、なかなか印象に残るビジュアルだが、ボックがパシフィックジャズを立ち上げるまでの逸話を知った後に改めて眺めてみると、西海岸の学生たちが発する若々しい息吹のようなものもが伝わってくる。

そして、ジェリーとチェットが奏でる滑らかなサウンドも、よりいっそうスイートに響いてくるから不思議だ。

記:2015/08/20

album data

GERRY MULLIGAN QUARTET (Pacific Jazz)
- Gerry Mulligan

1. Bernie's Tune
2. Walkin' Shoes
3. Nights At The Turntable
4. Lullaby Of The Leaves
5. Frenesi
6. Freeway
7. Soft Shoe
8. Aren't You Grad You're You
9. I May Be Wrong
10. I'm Begginning To See The Light
11. The Nearness Of You
12. Tea For Two
13. Utter Chaos #1
14. Love Me Or Leave Me
15. Jeru
16. Darn That Dream
17. Swinghouse
18. Utter Chaos #2

Gerry Mulligan(bs)
Chet Baker (tp)
Bob Whitlock (b)
Carson Smith (b)
Chico Hamilton (ds)
Larry Bunker (ds)

1958/08/16
1956/10/15,16

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