わたしはマット・デニスになりたい
先日、友人とあるバーに行った。
店にはエレピが置いてある。
マスターは、時々、バッハをジャズにアレンジした譜面集の中から、あるいは、ジャズのスタンダードをピアノ中級ぐらいの人がカンタンに弾けるようにアレンジした譜面集の中から、有名な曲を弾いてくれるので、ちょっと前はよく通ったものだが、最近はマスター、網膜はく離のため、譜面が読めなくなり、また鍵盤との距離感がつかめなくなり、突然ピアノをやめてしまった。
今では、酔った客の余興用として、ポツンと置いてあるだけだ。
先日の私は、まさに酔った余興をやりたい客になっていたわけで、なんだか、指がワサワサしてきたので、気がついていたらピアノの前に座って、《枯葉》なんぞを弾いていた(笑)。
韓流ブームの名残りか、「冬のソナタ」の譜面もこの店に置いてあり、よく見ると、「冬ソナ」のテーマ曲のコード進行が、もろ《枯葉》なので、面白がって、冬ソナのメロディと《枯葉》のメロディを行き来しながら、バカみたいなピアノを弾いていた。
酒が恋しくなったのでカウンターに戻ると、一緒にバーに来ていた友人が、「雲さん、ベースはもういいからピアノをやれば?」と言った。
「そうなんだよねー、ピアノも好きだから、時間とお金があればジャズピアノ習おうと思ってはいるんですよねー」と応えたら、「いや、ピアノだけじゃなくて歌も歌うんだよ、弾き語り。うん、それで決定ね。だってさぁ、こういう場所で、いくらジャズピアノ練習して、ビル・エヴァンスやバド・パウエルばりな凄いピアノ弾いたところで、誰もその良さなんて分からないんだよ。それに比べて、歌はやっぱり人をひきつけるでしょ? ピアノは滅茶苦茶上手くなる必要なんてないの。そのぶん、歌にエネルギーを注ごうよ。目立つよー、かっこいいよー」
すっかり、彼は私が弾き語りシンガーになるものだと思って熱弁をふるう(笑)。
「そうだ、ナット・キング・コールがいいよ。よし、決定ね! 雲さん、ナットだよ、ナット、もてるぜー」
いや、モテなくてもいいんだけど、どうせやるなら目立ちたい(笑)。
目立つんであれば、歌も辞しませんよ、俺は。
でも、私の歌はジャイアンなのさ。
そう、音痴なの。
ピアノの練習よりも、ヴォイトレ、コールユーブンゲンなんかで8年ぐらいはかかりそうだ。
でも、確かに彼の言うことには一理ある。
ジャズバーでもない、単に会話を楽しみたい客がやってくる酒場で、ピアノを「どうだ!」とばかりに弾くのってどうかな?って思う。
なんかものすごく野暮な行為かもしれない。
テクニックを駆使して、華麗に鍵盤を上下させたところで、客はリラックス出来るどころか、客の時間をピアノ弾きが持って行ってしまう。目線を自分の背中にクギづけにさせることって果たして良いことなのか。
もちろん、歌を歌って注目を浴びることも、客の時間を持ってゆくことに他ならないが、なんとなく、場の空気の作り方の質が違うように思う。
サラリと小粋な歌を歌えば、楽しい時間をお客さんと共有できそうな気がするのだ。
そんな私は、もし歌を歌うんだったら(歌わないけどさ)、ナット・キング・コールよりも、マット・デニスがいいな、と思った。
『プレイズ・アンド・シングズ』のように、小粋にさらりと、人生にとって大事なことを軽妙に歌いたい。
楽しい空気を作り出し、客席から、心温まる拍手をもらいたい。そして、思う存分お客さんにはくつろいでもらいたい。
ナットもいいけど、俺はマットがいい。
そういったら、友人も、「うん、デニスもいいねぇ」とうなずいた。
「じゃ、デニスってことで。ひとつヨロシク!」と友人は、もう私が弾き語りを目指すもんだと思っている。
……やりませんってば(笑)。