ジャッキー・マクリーンをこよなく愛す。ベタなところも全部含めて
text:高良俊礼(Sounds Pal)
人気のワンホーン作品
マクリーンの数々の作品の中でも、屈指の人気を誇る『スウィング・スワング・スウィンギン』。
人気の理由は「ワンホーンでスタンダードを多く演奏しているから」。
確かにマクリーンのハスキーでちょっとくぐもった音でもって《What's New》とか《I Love
You》みたいな、ちょっと哀愁感漂うスタンダードを気持ち良く吹かれた日にゃ「いいねぇ、たまんないねぇ。もう一杯!」ってなってしまいそうである(注:私はお酒が飲めません)。
マクリーンのカッコ良さ
お店でも「最初に聴くマクリーンはコレだ!」てな感じでお客さんにオススメしてたら、概ね好評を頂いていたし、私自身も好きでよく聴いている。
だが実は私、このアルバムをもちろん「カッコイイ」と思って聴いてはいるのだが、マクリーンの「カッコ良さ」ってものは、テクニカルなカッコ良さ、・・・つまり、単純に「巧い」とか「完璧」という次元とはちょっと別の次元にあるカッコ良さなんじゃないかと思うのだ。
面倒臭いから単刀直入に言ってしまおう。
マクリーンの”良さ”というのは、「完璧でスキのないカッコ良さ」ではない。
「言ってしまえ”ベタでやぼったいところがマクリーンなのだ!」と私は思っている。
マクリーン自身、チャーリー・パーカーの影響を直接受けている。
というよりも、パーカーが「何だかよくわからんがオレに懐いてくる白人の坊や」みたいな感じで、ミュージシャンの後輩というより「友達みたいな感覚」で、マクリーンのことを個人的に可愛がっていたらしい。
マクリーンのフレーズには、師匠パーカーみたいに、スイスイ流れる体感速度のカタルシスはあまりない。
どちらかといえば、もっちゃりした音色で、目一杯情緒に溢れた”じっくり聴かせるフレージング”をマクリーンは得意とする。
サックス吹きのテクニックでいえば、何とか音楽学校とかを出ている現代のミュージシャンの方がはるかに「巧い」だろう。
でも、そういった人達の吹くサックスを聴いても「おぉ、すげーなー!」とは思っても、汗だくになって瞑目して懸命にサックスを吹いている姿を想像できない。
でも、マクリーンの場合は、彼がアルトを鳴らした瞬間に「顔」が浮かぶ。
「オレ、今コレ吹いとかないと死ぬんだよ!」
それぐらいの必死の形相で吹いているウブな顔が、スピーカーから放たれる音を介してありありと浮かぶ。
マクリーンは演歌
そういえば昔、サウンズパルをフラッと訪れたお客さんが、たまたまサックスを吹く人で、その人とマクリーン談義で盛り上がったことがあった。
その人はやや否定的な意見として「”マクリーンは演歌”」と仰っていたが、私はその発言に対して思いっきり
「そうそう演歌!アンタ分かってるねぇ~♪」
と、返したもんだから、白熱の議論一歩手前で場が多いに和んだことがあった。
そうそう演歌。
演歌って、パターンなんてありきたりで、聴いたことない曲でも「あ~、次こう来るんだろうな~・・・」というのが分かってしまう音楽だ。
「予定調和」って言ってしまえばそれまでだが、演歌にはその実予定調和を越えて歌い手が伝えんとする部分が、歌い手の、クセのある”コブシ”に乗ってこうグッと伝わってくるフィーリングというものがある。
あと私は、時代劇とか2時間もののサスペンスドラマなんかが好きでよく観賞しているのだが、マクリーンの魅力は正に”アレ”だ。
つまりマクリーンの魅力っていうのは、演歌とか時代劇とかサスペンスドラマと同じように「もうなんつうかそのベタさがたまんなく好きなんだよぉ!」と、ファンに思わせる、理屈を越えたところでの純粋さ。
不器用なとこもベタなところも全部まとめて武器になり得てるとこなんだなぁ・・・。
きっとイイ奴だったんだ
話はパーカーとツルんでいた1950年代初頭に戻るが、パーカーはクラブや盛り場でマクリーンを見付けると、嬉々としてハグしたり肩に手を回してグルングルンしたり、そういうスキンップでジャレついてきたらしい。
で、散々マクリーンにベタベタした挙句去って行くと、彼のポケットに入っていたお金が無くなっていたという。
「あ、ヤラレた・・・」とマクリーン思ったけど、そこは敬愛する親分のやること。文句も言わずに毎度毎度パーカーにされるがままにされてやってたらしいが、自分のポケットが空っぽの時は、パーカーがクシャクシャのお札を何枚か入れてれることがあったらしい。
マクリーン、きっとイイ奴だったんだ。
もし、マクリーンを未聴の方、或いは「マクリーン何枚か持ってるんだけど今いちピンと来たことないんですが・・・」とお思いの読者の方がいらしたら、そこんとこを踏まえた上で聴いてみて頂きたい。
マクリーンの魅力
さて、マクリーンの音っていうのは、通常のアルトのチューニングより”気持ち低め”で、アルトらしい「透き通った感じ」ではなく、どっちかというとアルトとテナーの中間にあるような不思議な音だ。
音楽理論のアレ風に正しく言えば「ピッチ、合ってないよ」といったところなんだろうが、どっこいそこはジャズの世界。
マクリーンのこの音色は、ちょっとマイナー調の楽曲に、さらにダークな色合いを深め、明るい曲でもどこかぼんやりと霞がかかっているような独特の効果を加味しているのだ。
そして繰り出すフレーズ。
結構ラフに”手クセ”で吹いてるし、一つの曲の中で結構似たようなパターンで、フレーズが「ぱらぱらぽにゃらぁ~」と出てきたりするのもままある。
これも普通なら「おい、やる気はあるのか」とツッコミが入るところだが、しかしこれがまたイイのである。
アドリブがどうとか、ピッチがどうとか、そういう次元で聴くのではなく、大切なのは「彼の演奏を聴いて、どれだけグッときたか」だ。
時間にゆとりのある時に、ゆったりした楽な気持ちで、じっくりと『スウィング・スワング・スウィンギン』を聴こう。
気の合った仲間と、すこぶる上機嫌で楽な気持ちで吹いてるマクリーン、カッコイイでしょう、グッとくるでしょう。
私もジャズに関しては、アレが面白いだのここのフレーズがどうだの、誰々の音色がどうしただの、ダラダラと書き連ねているが、難しい説明とか細かい分析も、本当はどうでもいいんです。
追記
マクリーンはこの後、純粋な演歌。じゃなくて”ハード・バップ・アルト”から段々と飛躍して、大胆にフリー・イディオムまで取り入れた演奏をしたり、表現の幅をものすごい勢いで広げて行きます。
それらの作品での演奏を聴いていると、マクリーンが必死でそれまでの自分の演奏から脱却しようともがきながらも、結果としてマクリーンの表現の核にある”情念”の部分が剥き出しになって表現されているような気がします。
我々リスナーが「マクリーンの素晴らしい個性だ」と思ってる演奏が、もしかしたらマクリーン自身にとってはある時期コンプレックスであったのかも知れませんね。
「スイング・スワング・スインギン」で、初めてマクリーンの魅力に触れた方がもしこの文章をご覧になっていましたら、ぜひ60年代半ば以降のマクリーンのアルバムも、2,3枚程まとめて買って聴いてみてください。
激烈な演奏の中に、『スイング・スワング・スインギン』のような穏やかなアルバムをより深く楽しむためのヒントがたくさん隠されてるかも知れませんよ。
記:2015/02/07
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)