追悼ジャッキー・マクリーン
まさかの訃報
ジャッキー・マクリーンが亡くなった。
ご冥福をお祈りいたします。
また一人、ジャズの歴史の生き証人が亡くなってしまったことは悲しい。
マクリーンらしい一枚
というわけで、先日は、これを聴いていた。
私が好きな、もっともマクリーンのマクリーンらしい一枚。
チャーリー・パーカーに憧れ、パーカーのように吹きたい!という熱気がほとばしるプレイ。
しかし、パーカーのようには決して吹けないもどかしさ。
しかし、オレはいこれだけは吹いておかないとダメなんだ!という意気込みが伝わってきて、いとおしく感じてしまうのだ。
パーカーにはなれなかったかもしれないけれども、マクリーンはマクリーンになれたのだ。
つまり、自分の声をきちんとこの段階から獲得しており、アプローチはパーカー的かもしれないが、もうこの段階よりマクリーンはマクリーンにしか出せない音を獲得している。
ちょっと詰まった感じ。微妙にリズムに乗り遅れる箇所。怪しい音程。
それらすべてがプラスとして作用しており、非常にジャズ的に聴こえてしまうのだ。
デックスとの共演盤
それともう一枚。
デクスター・ゴードンとの『ザ・ミーティング』。
これも大好きな一枚だ。
カフェ・モンマルトルでのライブ盤。
レーベルはスティープル・チェイス。
とくに凝ったアレンジやキメが施されているわけではない。
普通のジャムセッションに近い長尺演奏。
彼らにとっては、毎晩ライブハウスで演奏している、いつものお仕事の一コマに過ぎなかったのかもしれない。
しかし、身体全体からジャズのほとばしっている両人の演奏は、“そこで、ただ普通に吹いている”という、それだけの事実が、ジャズ的な出来事として、どこをどう切ってもジャズとしかいえない空気を醸し出している。
このアルバムも、マクリーンのマクリーンらしい一枚。
長らくの私の愛聴盤。
もちろん、《レフト・アローン》や《センチメンタル・ジャーニー》、それに《スイート・ラヴ・オブ・マイン》といった“名曲”を演奏するマクリーンも良いが、どんな曲を演奏しても、フッとさりげなく出てくるマクリーンとしか言いようのない雰囲気、熱気が私は好きだ。
とにもかくにも、しばらくマクリーン三昧な日が続くだろうな……。
記:2006/04/03