【ブルースの歴史・6】ミシシッピ・デルタ編
>>【ブルースの歴史・5】アトランタ(1)~バーベキュー・ボブ編の続きです。
text:高良俊礼(Sounds Pal)
ミシシッピ・デルタブルース
正確にいえばブルースという音楽がどこで生まれ、誰によってそう名付けられたかは知る由もない。
ただ、1910年頃にはアメリカ南部一帯の黒人音楽家の間で「憂鬱な気分の音楽」としてのブルースが唄われ、それは1920年代の商業用レコードの登場と共に「最新の流行音楽」として広く知られ、また、唄われるようになった。
それでもブルースという音楽に惹かれ、そのルーツを遡って戦前の音源まで手にするような人にとっては
「ブルースはいつどこで生まれたのだろう?」
「誰によって、一番最初のブルースが唄われたのだろう?」
という根源的な問いは、例えそれが永遠に解けないものであったとしても、つい心の中で繰り返してしまうのだ。
そして繰り返しているうちに、多くの人が辿り着く土地がある。
”深南部”と呼ばれるミシシッピ州、そこを流れるミシシッピ川とヤズー川に挟まれた広大な沖積平野であるデルタ地帯。
今でも点在する小さな街以外には耕作地と森林、そして自動車部品メーカーの工場ぐらいしかない土地であるが、かつては更に何もない土地で、ただ大規模な農園で働くための安価な労働力として集められた黒人労働者達が住み込み、コミュニティを形成していた。
およそ100年前にこの地で産声を挙げた音楽として”ミシシッピ・デルタ・ブルース”というのがある。
そう、言わずと知れた”伝説”の権化、ロバート・ジョンソンや、戦後このスタイルをエレキギターを中心としたバンド・サウンドで大いに発展させたマディ・ウォーターズのルーツであり、今もブルースという音楽を本流から遡ってゆくと必ず行き当たる、巨大な源流である。
そして、多くの人が「ブルース生誕の地は定かではないが、最も原初的な衝動に溢れたブルースを聴きたいなら、ミシシッピ・デルタのブルースを聴くべきだ」
という結論に達する。
ディラン、ストーンズの源流
デルタの基本スタイルといえば、“弾く”というより荒々しく叩きながら、ボトルネックをワイルドに滑らせるギター、そしてあらん限りの野太い声を張り上げる、どこまでも初期衝動の塊のようなヴォーカル。それはブルースという、今現在ポピュラー・ミュージックの文脈で語られているはずのブルースが、もっと土着の民俗音楽のように思えてくる。
特にこのスタイルの創始者と呼ばれるチャーリー・パットンとサン・ハウスの演奏は、どれも鬼気迫るものがあり、言葉では語り尽せないリアリティがみなぎっている。
まだ少年だった頃のロバート・ジョンソン、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフが直接演奏を目の当たりにして憧れ、ローリング・ストーンズやボブ・ディランらが、ブルースの真実に少しでも肉薄しようと、彼らの音源を聴きまくっていたと考えたら、胸には自然と熱いものがこみ上げてくる。
伝説のデルタ・ブルース・セッション1930
そんなミシシッピ・デルタ・ブルース、とりわけチャーリー・パットンとサン・ハウスについては、次回以降詳しく紹介するとして、まずは聴いて堪能したいという方には、現在Pヴァインからリリースされている『伝説のデルタ・ブルース・セッション1930』をオススメしたい。
このアルバムは1930年5月に、チャーリー・パットンとサン・ハウス、そして当時デルタ一帯でも名手として評判だったギタリストのウィリー・ブラウン、当時パットンの彼女であり、シンガー/ピアニストとして活躍していたルイーズ・ジョンソンの4人がホテルの一室に集められ、同じ日の同じ空間でレコーディングを行った、正に奇跡のセッションが記録されている。
特に、戦後再発見されて結構な数のレコーディングや映像も残しているサン・ハウスの純粋な戦前の商業用録音が聴けるのはこれしかない上に、何かに取り憑かれたように激しく圧倒的なパフォーマンスが聴ける。
>>【ブルースの歴史・7】に続く
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)
記:2017/04/02