中山効果?!「謀反」なイメージが根付いたプラグド・ニッケル/マイルス・デイヴィス
マイルスに謀反?
アマゾンの『プラグド・ニッケル』評を読んでいたら笑ってしまった。
中山康樹氏の『マイルスを聴け!』のモロ受け売りやんか!(笑)
いわく、サイドマンたちは、マイルスに謀反を企てている。
やれ、突っかかるだの、フリーに走るだの、それって、べつにプラグド・ニッケルのライブに始まったことじゃないだろう?
中山さん一流のレトリックだということが分からぬまま、そのまま鵜呑みにして、鵜呑み理解のまま鑑賞しちゃって、感想まで書いちゃったのね……。
ま、そういう聴き方もアリなんだけどさ。
たとえそうじゃなくても、人によっては面白く感じるかもしれないし。
あるいは、もしかしたら、本当に、ショーターたちは、謀反を企てるつもりで挑みかかるようにマイルスに渾身の音をぶつけていたのかもしれないし。
中山流レトリック
でもね、本当のマイルス好きだったら、あるいは、ひととおり、マイルスを聴いている人は、そんなことありえん!とすぐに気づくはず。
いつだって、メンバーには”考えた上での自由”は最大限に与え、と同時に、グループとしてのサウンドの色彩、コンセプトを煮詰めることを常に念頭においていたマイルス番町が、部下の暴走を許すわけないじゃん。
許したとしても、メンバーの暴走はマイルスの想定の範囲内。
お釈迦様ならぬマイルスの手の中に収まる範囲のハプニングや暴走は、すでにマイルス親分のサウンドコンセプションに織り込み済みなんですわ。
だからこそ、音にスピード感と迫力がみなぎるわけで。
と同時に、過激なアプローチを統御できる冷徹なまなざしとリーダーシップがあったからこそ、そんじょそこらのフリーと違って、崩れそうで決して崩れない鉄壁の演奏が「プラグド・ニッケル」で行われたわけです。
で、中山さんは、このときの演奏の凄まじさを、療養生活から復帰したマイルスに対して、ショーター、トニーら4人のメンバーが謀反を企て、過激に暴走、しかし、マイルス登場でシュンとなるというような物語仕立てにして、演奏内容を分かりやすく、聴いたことのない人たちへの興味をかきたてるために翻訳(意訳)しただけ。
しかし、常々思うのだが、分かりやすさには誤解がともないやすいよね。
と、同時に、「鵜呑み」も併発しやすいことも確か。
グリーン・ドルフィン・ストリート
まだ未聴の方は、是非コンプリートボックスを入手して、《グリーン・ドルフィン・ストリート》にも耳を通してほしいです。
過激な演奏というイメージの先立つ『プラグド・ニッケル』だが、このような愛らしい演奏だってしているのだよ、マイルス・クインテットは。
この《グリーン・ドルフィン》の演奏のどこが“謀反”やねん?
一瞬、この曲なんの曲だったっけ?と思わせて、数秒後に「ああ、なるほど」と腑に落とすハンコックのピアノのイントロも秀逸。
イントロの作曲センスも素晴らしいが、聴き手に「ん?」と興味を提供し、「なるほど!」と思わせるまでの時間までもが計算されているような、そんな時間の手綱さばきが見事だと思う。
記:2009/03/14