コルトレーンのマイ・フェイヴァリット・シングス
text:高良俊礼(Sounds Pal)
コルトレーン マイ・フェイヴァリット・シングス
コルトレーンがソプラノで演奏する曲の中でも最も有名で、かつ最も多く演奏されている《マイ・フェイヴァリット・シングス》のオリジナル・ヴァージョン収録していることで、ここ日本では彼の全アルバムの中でも再発される度に好調なセールスを誇っている人気の一枚。
《マイ・フェイヴァリット・シングス》の原曲はおなじみのミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の中で歌われる可憐な雰囲気のワルツだが、実はこの曲、発表当時はコルトレーンの曲と思われていた。
『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台公演が始まったのが1959年、更に映画化されたのが65年。コルトレーンがアルバム『マイ・フェイヴァリット・シングス』を録音して発表したのは、映画化の4年前の1960年のことであった。
つまり映画を通じて世界中の人が『マイ・フェイヴァリット・シングス』を知ったのは、コルトレーンが《マイ・フェイヴァリット・シングス》をレコードに吹き込んだかなり後のことだったのである。
コルトレーン ソプラノ・サックス
原曲のカヴァーを聴いて「えぇぇ!あの曲がこんなになるの!?」という仰天の反応はままあるが、この曲に関しては「え?この曲ってコルトレーンの曲じゃなかったの??ミュージカルだったの!?」という声が、60年代半ばの巷ではたくさん聞こえたことだろう。
コルトレーンにとって正に“マイ・フェイヴァリット”なこの曲は、その後何度も録音され、回を重ねる毎にどんどん激しく熱いものになってゆくが、初演の本作では比較的クールに演奏されている。
別世界へと聴き手を誘う、どこか中近東辺りの民俗音楽を思わせるような不思議な音階のアドリブを、一音一音丁寧に紡いでゆくコルトレーンのソプラノ・サックスがとにかく美しいが、そんなコルトレーンのソロを、乾いた哀愁と荘厳さが加味された不思議な響きのピアノ・プレイが上手にコーティングしている。
サマータイム
見過ごされがちな2曲目以降も、《マイ・フェイヴァリット・シングス》同様にスタンダードを「オレ色」に染めたコルトレーンの自信に満ちあふれた演奏が並ぶ。
コール・ポーター作曲で、これまたコルトレーンの生涯を通じての愛奏曲となるバラード《エヴリタイム・ウィ・セイ・グッドバイ》は、原曲のメロディーを力でねじ伏せることなく、テーマをなぞるように穏やかな強弱を付けるのみで優しく優しく吹いているコルトレーンのプレイに心洗われる。
「オレ色」と書いたように、コルトレーンにとってスタンダードは、あくまで自分の演奏スタイルがどのように反映されるかの実験場、言わば演奏の”ネタ”でしかないことが多い。
これがコルトレーン好きとコルトレーン苦手な人をクッキリ色分けする要素のひとつなのだが、この曲に関してはコルトレーンが珍しく原曲のメロディーをいじることなくしっかりと“曲”を聴かせることに専念している。
後発のマッコイのソロも同様に原曲のメロディーをなぞりながら穏やかな展開を見せ、コレがまたロマンチックで美しい。
3曲目はうって変わってとことんドライに疾走する、まるで怒っているかのような《サマータイム》(子守歌じゃね~・笑)。あまりにも明け透けなコルトレーンの吹き出しの「ぱぁーらぱー!」には、原曲の持つ秘めたる憂いとか抒情とか、そういったものを求めてはいけない。
《マイ・フェイヴァリット・シングス》も“オレ色”ではあるが、こっちはもう完全に「サマータイムじゃない何か別の曲」。アドリブパートからもの凄い勢いで展開される怒濤の“シーツ・オブ・サウンド”を聴くための曲なのだ。
《バット・ノット・フォー・ミー》もお馴染みのスタンダードだが、コレもコルトレーンにとってはあくまで素材。コチラでも“シーツ・オブ・サウンド”で吹きまくるコルトレーンのソロが原曲の旋律から浮きまくっているが、テーマ部の構成などがいかにもモードで、近未来的な感じがして悪くない。
《サマータイム》も《バット・ノット・フォー・ミー》も、コルトレーンの怒濤のソロからバトンタッチして懸命にモーダルで行こうとしながらも、どこか胸キュンの美旋律がフレーズの節々に出てしまうマッコイのソロが好印象だ。
なので本作は、マッコイのピアノを中心に聴いても面白い。
『マイ・フェイヴァリット・シングス』は、タイトル曲だけで余りにも有名になってしまったアルバムだが、聴き方によって様々な表情を見せてくれる味わいの深さもある。
記:2014/09/20
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)