ニッキ・パロットとキャンディ・ダルファー
2018/09/06
2時間になったPCMジャズ喫茶
放送曜日が、毎週土曜日になり、放送時間も、1時間から倍の2時間になった「PCMジャズ喫茶」。
第一弾は、先日の土曜日、2008年4月5日に放送された。
今までの1時間でもちょっと長いと感じていたのだが(失礼!)、一気にその倍になるのだから、正直に言ってしまえば、ちと辛いと感じた。
なにが辛いって、番組中、トイレに行けないじゃないの。
ほら、私、トイレ近いんですよ。
ま、それだけトイレ行くのが勿体ないぐらい面白いということの裏返しでもあるのだが、どうしても、トイレに行くタイミングがジャズが流れている間になってしまうのだから、やはりこの番組の魅力は、店主・寺島さんのトーク、ということになるのだろう。
テレビのCMの間にトイレに行くのと同じだ。
メインじゃない場面がトイレタイム。
ということは、ジャズの番組のはずなのに、肝心のジャズがかかっている間にトイレに立つということは、なんだか本末転倒のような気もしないでもないが……。
オーディオ好きにはたまらない「トーク」番組
多くのリスナーにとって、この番組を聞く目的は、自分好みのジャズを発見しようという意識もあるのだろうが、それ以上に、「今回は寺島さんは何を話すのだろう」「どこか突っ込みどころないかなぁ」なんて思いながら、なんだかんだいいながらも寺島トークに耳を傾けてしまうという、やっぱり、これはトーク番組なのだ。
今回は、オーディオに関しての自説展開が番組冒頭に長々とあったが、オーディオに関心のない私としては、どうでもいい話ではある。
しかし、オーディオの知識がないが、ベースに関してのウンチクだったら色々とある私のこと、きっと、ベースのいい音とは? みたいな話題になったら、きっと寺島さん以上に熱く語りだすかもしれない。
そんなことを考えながら、オーディオをベースに当てはめながら話を聞いていくと、なんとなくおっしゃることわからないでもない。
結局、オーディオもベースも音で始まり音で終わる単純だが奥深い世界、「いい音とは?」の定義からして、個人個人がバラバラなわけだから、そこらへんのことを語りだすと、もういくら時間があっても足りないことになってしまうのは、目に見えている。
だから、2時間枠になったことにより、今後はオーディオ話の枠が長くなることが今後は予想される。
オーディオ好きにはたまらないことなのではないでしょうか?
ニッキ・パロット
さて、今回、へ~、思ったよりもいいじゃないと思ったのが、岩浪洋三先生ご推薦の、ニッキ・パロット。
例によって、ヴィーナスレコードの色っぽいジャケット路線のアルバムの中の1枚で、古いウッドベースが横たわっているところに、ニッキ・パロットが艶っぽくしなだれかかっているジャケットのアルバムの中から、《ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ》がかかった。
思ったよりも悪くない。
というより、私はこのアルバム、男性のベーシストがリーダーのアルバムだと思っていた。
だってヴィーナスのジャケットって、ミュージシャン本人とは直接関係ない女性の裸とかの写真をもってくるでしょ?
でも、今回は、ジャケットの女性が実際に演奏に登場するアルバムだったのね。
というか、その女性がニッキ・パロットさんです。
ウッド・ベーシストです。
ベースのみならず、ウッドベースを弾きながらのヴォーカルです。
そこが珍しいんで……といった紹介のされ方でかかったのが、《ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ》だったわけだが、安定したベースワークと、リラックスして肩の力の抜けた歌声は、非常になごむ。
ホテルのバーや、ちょっと高級なバーのステージなどで、ブランデーをころがしながら(笑)聞くと気持ちがいいだろうなぁと思わせる演奏内容。
つまりショーとして、あるいは、ちょっと高級なポップスとして聴くぶんには、申し分のない贅沢ミュージックなことは確かで、なかなか面白い音源だとは思った。
回春剤としてのヴィーナスジャケット
しかし、どうも、あのジャケットの古いベースにしなだれかかる構図は、立(勃)たなくなった中年or老人に、セクシーな若い姉ちゃんが、「おじさん、がんばって!」と色仕掛けをしている、セクシーマッサージ(って言葉はあるかどうかはしらんが)の姉ちゃんに見えて仕方がない。
というか、そういう隠れた見立てもあるに違いない(笑)。
なーんてことを思っている私は、私が学生時代に流行った『メディアセックス』や『メディア・レイプ』の内容を鵜呑みにしすぎなのかな?
でも、ヴィーナスのジャケットは、きっと中年以降のジャズファンの「回春剤」的効果を狙っていることは確かだと思う。
じゃなきゃ、あんなにミュージシャンと関係ない裸ださないし、日本人を使わず、ブロンドなどの外国人美女を使い、ゲージツっぽい写真をもってきているのは、きっと「奥さんor娘へのお父さんの言い訳対策」に違いない(笑)。
しかし、実際、ニューヨークでニッキ・パロットのライブを見たことのある友人の話によると、実際の彼女はセクシーというよりも、非常にクレバーなイメージの美人で、そのときはチャイナ服を着ていたそうな。
金髪美女のチャイナ服というのも、なかなか面白い組み合わせではあるが、少なくとも、あのジャケットのようなセクシーさとは正反対なイメージの知的美人だったとのこと。
キャンディ・ダルファー
キャンディ・ダルファーも、ファーストアルバムのジャケット撮影のときの服装は、自分が望まない、女であることを強調するようなコーディネイトだったという話を中川ヨウの近著で読んだ記憶があるが、やはりニッキさんも、売り出しのためには、まずは、「女であること」を強く前面に押し出すビジュアル戦略に従わざるをえなかったのかな?
1枚目の『サクシャリティ』と、2枚目の『サックス・ア・ゴー・ゴー』のジャケ写をご覧ください。
実力はあるにもかかわらず、売り出し、知名度を上げるためには自身のビジュアルイメージに関しては、プロデューサーなど売り出す側の指示に従わざるを得ないというのは、ジャズに限らず、いや、ジャズ以上にポップスにもよくある話。
有名な例だとビートルズがぱっと思い浮かびますね。
日本だと暴威⇒BOOWYかな?
ちなみに、ニッキ・パロットもキャンディ・ダルファーもオランダ人だということに、今、書きながら気が付いた。
最初は目を惹くなビジュアルイメージ、しかし認知度が上がり、実力が認められたら、ビジュアルに頼らず、音そのもので勝負したいと、ヴィジュアルを「売り」にしているのならともかく、きっとどんな音楽家も思っていることでしょう。
実力以外のところで評価されることって、きっと真剣に音楽している人にとってみれば不本意なことに違いないのだから。
記:2008/04/06