音は最凶、なれども不思議に心地よき『彗星パルティータ』
2022/08/15
エリック・ドルフィーのように
阿部薫の『彗星パルティータ』。
このアルバムの特に《γ》を愛聴する私。
凄まじい音圧、ものすごいスピード感だ。
搾り出すスピード感は、まさに身を削るよう。
無駄な贅肉を完璧なまでにそぎ落とし、砥ぎすまされたシャープな音の配列には、無駄な音は一音たりともない。
しかも、見事な構成力。
彼からしてみれば、その瞬間瞬間に搾り出した音がすべてなのだろうが、私にとっては、瞬間瞬間に発した音のつながりが、とても美しく感じる。
いや、感じる日もあるし、感じない日もあるので、きわめてデリケート、というか、意識にシンクロする日としない日がある音なのだろう。
これらの演奏のすべてが即興なのだが、出てくるフリーキーなトーンのすべてが出すべくして出された音、このタイミングにどうしても必要な音だと感じるのはどうしてなのだろう?
彼の遺された作品の中では、最凶と言ってもよいぐらい、凶暴で過激な音なはずなのに、なぜか、こちらの意識速度を見透かしたかのごとく、まるでパズルのようにぴたり、ぴたりと中空にサウンドを配してゆく阿部のアルトに私はいつも不思議な心地よさを感じるのだ。
阿部薫はエリック・ドルフィーの“速度”を目指し、日夜、アルトサックスを吹き続けた。
正直、阿部薫のアルトは、ドルフィーの足元にも及ばないと思っていた私だが、『彗星パルティータ』に限っていえば、その限りではないかもしれない。
物凄い音、光彩すら放つスピード感が感じられる瞬間がいくつもある。
阿部は、アルトサックスという楽器の性能の限界を搾り出してしまっているのだ。
これに比肩する演奏は、現在発表されている阿部薫の他の音源からは今のところ認められない。
そのようなことからも、私は『彗星パルティータ』は阿部薫の最高傑作だと信じて疑わない。
記:2009/02/09