中期パウエルの音風景
2021/02/10
タイム・ウェイツ
指のもつれと、雑な演奏。
それが妙な殺気を醸し出し、さらには、奇妙な時間の歪みを創出しているバド・パウエルの『タイム・ウェイツ』。
バド・パウエル中期のアルバムで、特に「名盤」として位置づけられている類のアルバムではない。
この中期パウエルが弾くピアノは、プレイ面においては絶頂期の片鱗はどこにも見当たらないが、心と指の折り合いを必死につけようとしているもどかしさが、逆にアルバム全体に独特な雰囲気をもたらしている。
だから、決して傑作とは言えないかもしれないが、不思議な印象をもたらし、そしてそのピアノの音にまとわりつく「余剰物」が頭にこびりついて離れないのだ。
ドライ・ソウル
この『タイム・ウェイツ』の代表曲として、A面の《バスター・ライズ・アゲイン》や《ジョンズ・アビー》が真っ先に浮かぶリスナーも多いと思われるが、私はB面の《ドライ・ソウル》にも注目したい。
何の変哲もないブルースだ。
しかし、冒頭の重く歪んだ和音から、いきなりただとごとではない殺気だった雰囲気を醸し出す。
ひとこと、かなり怖い。
和音がガツンとぶつかって来る。
ズシンと重たいピアノの和音が腹にくる。
「おっかねぇ」雰囲気をたたえた重量級のスローブルースだと感じるかもしれない。
演奏の前半は。
しかし、アドリブ中盤から奇妙に明るく浮き足だつ瞬間があらわれたり、そうかと思えば突然メランコリックなプレイにいつのまにか変異していたりと、まるで天才(そして気まぐれな)バド・パウエルの心の忙しく変わる心の風景がそのまま音となって出ているかのよう。
うつろいゆく音による心象風景。
絶頂期の華麗な指さばきは失ったものの、この時期から、バド・パウエルのピアノは、絶頂期にはない音の佇まい、存在感を放ちはじめた。
そして、この音の佇まいをたたえたまま、さらにメロディアスな《クレオパトラの夢》を筆頭に、どの曲のテーマも口ずさめる「わかりやすさ」と、時間が前後するような不整脈のような「パウエル呼吸」に聴き手の耳を演奏に引きずり込む次のアルバム『ザ・シーン・チェンジズ』に突入していくのだ。
もし、『ザ・シーン・チェンジズ』というアルバムが持つ独特な音の色合い、音の風景に魅せられている方がいらっしゃれば、改めてその一作前の作品『タイム・ウェイツ』にも耳を通して欲しいと思う。
記:1999/03/26