サンフランシスコ組曲/フレディ・レッド
ドドとレッド
温帯モンスーンに位置する日本国の住人である私は、梅雨のシーズンになると、「ああ、湿気が多い、イヤだ、イヤだ」といいつつも、それでもやっぱり音楽には無意識に微量の「湿り気」を求めてしまう傾向がある。
過度ではなく、微量の湿り気。
心地よい湿り気。
たとえば、パウエルテイストの乾いた叙情の中に、さらりと湿り気が混入されたドド・マーマローサの《メロウ・ムード》や、《コテッジ・フォー・セール》にクラリとなる私(いずれも『ドドズ・バック!』収録曲)。
さらに、カラッとした西海岸の気候に、ほんのりと湿り気がブレンドされたフレディ・レッドの『サンフランシスコ組曲』。
これいい。
すごくいい。
フレディ・レッドの『サンフランシスコ組曲』を聴くと、ドド・マーマローサを思い出す。
タッチと湿り気具合が似ているのだ。
だから、というわけでもないが、今回は私が大好きなピアニスト、ドド・マーマロサを引き合いに出して、フレディ・レッドを考察してみよう。
「揺らぎ」を持つピアノ
確かに、二人のピアノは似ているところが多い。
しかし、聴き比べると、ドドのほうがピアニストとしては一枚上手かな?と感じる。
ドドは、クラシック畑出身ということもあり、ビートに乗るというよりは、「自分リズム」ともいえる揺らぎを持ったピアニストだ。
ベース、ドラムスを聴かないで弾く、というと言いすぎだが、バド・パウエルのピアノ奏法と同じく、ピアノが、ベースとドラムが作り出したリズムの上に気持ちよく乗って音を配列するというよりは、ベース、ドラムは、ピアノの「揺らぎ」に合わせて、ビートを微調整するといった趣き。
この揺らぎと、乾いたタッチ、時折みせるセンチメンタルさと、微妙な湿度が心地よく、だからこそ私はドド・マーマロサが好きなのだが、フレディ・レッドのピアノにも同種の趣を感じる。
二人とも、かなり「揺らぎ」に振幅のあるピアニストなのだ。
ただ、いちピアニストとしてみれば、レッドのピアノは、特にブロックコードにおける音のキレの悪さが気になる。
マーマロサにしろレッドにしろ、ブロックコードの音の選択には独特なものがある。
そして、両者ともに共通するのは、ブロックコードの情緒的な響きだ。
しかし、歯切れのよさ、音がダンゴにならずに、重なった一音一音が機能的に作用しているのは、両者を比較した場合は、ドドのほうに軍配が上がる。
レッドのブロックコードには濁りがある。
団子になった音は、ビル・エヴァンスのような繊細さはない。
不協和音ではないが、音と音がぶつかりあった独特の響きがあり、この響きを形容するとすると、やはり「濁り」という言葉が一番シックリとくる。
さらに、「濁り」は、和音のみならず、早いパッセージ を弾いたときにも現れる。
フレディ・レッドのシングルトーンは、音価が均等ではない。
同じ長さの16分音符をダダダダダダダダ…と弾いたときも、最初の“ダ”と、次の“ダ”の長さが微妙に違う。
だから、細かい符割のフレーズを弾いたときには、時として、隣り合った音同士が団子のように固まって聴こえることもしばし。
良くも悪くも、かなりの「揺らぎ」を持ったピアニストなのだ。
しかし、フレディ・レッドのブロックコードの濁りや、シングルトーンの音のカタマリが、音楽的にダメなのかというと、必ずしもそうではない。
特に、オリジナルの演奏においては、予め自分の和音の濁りまでをも計算に入れておいたかのごとくの効果を発揮する。
ピアニストとしての技量として、「音価に対して正確か、正確ではないか」という極端な二者択一を迫られれば、どちらかというと不正確な部類に分類されるだろう。
しかし、音楽は、正確か、正確じゃないかで聴くべきものでもない。
彼の不正確な揺らぎは、ピアニストとしては、お世辞にも器用なピアノとは言えない。
しかし、彼の器用ではないピアノは、機械でもロボットでもない我々人間の情感に訴えかけるに十分な「味」を持っている。
そして、それは、オリジナル曲の演奏において、もっとも効果が発揮される。
哀感とぬくもり
先述したように、まるで自分の不器用さまでを念頭に入れているかのような曲作り。
ピアニストとしては一流ではないかもしれないが、彼は一流の「自作自演屋」なのだ。
『サンフランシスコ組曲』の長いタイトル曲は、「自作自演屋」である彼の真骨頂。
快活さと、ほろ苦さ、陽光さんざめくカラリとした街の描写とともに、適度な湿り気。
陽気で躍動的な都市を過不足なく描写しつつも、ハイビジョンで撮影したような輝度の高いパキパキとした画面ではなく、アナログの温もりを十分に感じさせるのは、そこかしこに散りばめられたレッド一流の哀感のお陰だろう。
とかく初心者や楽器屋は、演奏者のテクニック的なところに関心が偏りがちかもしれないが、「楽器操作に長けている」という物理的な肉体運動のみの「狭義のテクニック」を超えた、人を感動させるサムシングは何なのかを今一度考えてみる必要があるだろう。
そのヒントとなるのが、フレディ・レッドのピアノなのだ。
1957年、秋のニューヨークで録音されたにもかかわらず、西海岸の陽光たっぷりと、日向の匂いすらもリアルに漂ってくる、楽しく微妙に切ないピアノ。
金門橋からチャイナタウン、バーバリー・コースとからカズン・ジンボ、夜明けの街の描写まで、13分間でサンフランシスコ一周!
めくるめく風景の移り変わりが快適な速度で描写される、音のサンフランシスコ観光。
ツアーコンダクター、フレディ・レッドのガイドに身を任せ、爽やかに晴れ渡ったサンフランシスコを音で楽しもう。
記:2007/07/28
album data
SANFRANCISCO SUITE (Riverside)
- Freddie Redd
1.San Francisco Suite
View of the Golden Gate Bridge from Sausalito
Grant Street (Chinatown)
Barbary Coast
Cousin Jimbo's Between 3 & 7 A.M.
Dawn In The City
2.Blue Hour
3.By Myself
4.Ol' Man River
5.Minor Interlude
6.This Is New
7.Nica Steps Out
Freddie Redd (p)
George Tucker (b)
Al Dreares (ds)
1957/10/02