赤瀬川原平『散歩の収穫』
久々に赤瀬川原平の『散歩の収獲』をパラパラとめくってみた。
やっぱり「散歩のプロ」というか「散歩の達人」は違いますね。
私も散歩は好きなんだけど、なんだかボンヤリしているんですよね。
と、この本を眺めて感じました。
いや、下駄をカランコロンさせながら、ただボンヤリ歩くことが好きなので、べつに何かを得ようとか、ネタを探そうとか、そういった目線で散歩をしているわけではないので、べつに良いのですが、……と言い訳。
それにしても、こういうトンチの効いた(?)散歩写真を眺めていると、何気ない日常に潜む1万に対して、ボンクラな俺は、たったの1すらも見ていない、気付けていないんだなということを思い知らされますね。
私の場合、主に散歩中にビビッとくるのは、クレーンに電信柱、それとブルドーザーのような建機車輌ばかりですからね。
私がこのような量産品のようでいて、ひとつひとつに激しい個体差(と物語)があるに違いない物体に興味を示すかのように、赤瀬川氏は、町中のちょっとした物体や、その配列、そこから偶然生ずることもある「おかしな文脈」を目ざとく発見し、含蓄、あるいはスパイスの効いた言葉を紡ぎだしているのです。
それがまた、ニヤリという笑みだったり、ウンウンという頷きであったりと、まあなんというか、写真の1枚1枚が深いのですよ。
何気ないはずの日常的風景に、意味を見出すというと重たくなっちゃいますが、意味とまではいかなくても、軽やかな眼差しを送り、その眼差しを文字に直したら、こんなテキストになっちゃいました的な大らかさもなかなか味わい深いんですよね。
いずれにしても『散歩の収穫』は、秀逸本であることは間違いなし。
やっぱり眼差しが「粋」ですよ。
遊び心を持った軽やかな感性、そしてほんのりと人生に草臥れ、枯れかけている「大人の中年男子」(“大人の中年”というところがポイントね、“コドモな中年”も最近は多いように感じるので)にとっては、格好の脳内知的遊戯空間を提供してくれる本なのであります。
記:2020/03/13