サックス・ホリック/本多俊之

      2021/12/31

実際、本人はどういう方なのかは分からないけれども、本多俊之は、ものすごく頭の回転の速い人だと思う。

ゆえに、一般大衆が喜ぶ傾向のものを捉える目線と、モノを箸っかい見る視線の両方をも持ち合わせていて、ストレートかつ単刀直入な物言いの中には、分かる人には分かる「毒」を混ぜるのもお手のものだ。

それも、露骨にではなくサラリとね。
気づかれない程度に。

こういうスマートな立ち居振る舞い(もちろん音楽でだけど)が出来る人って、いそうでいない。

同じサックス奏者で、先鋭的なスタンスを取るミュージシャンとしては、菊地成孔の名前も浮かんでくるが、彼の場合は、もうちょい病的で、湿度を感じる。

本多俊之の曲には、不思議なほど湿度を感じない。
徹頭徹尾クールだ。

情緒を廃しているというか、最初から情緒を盛り込まない。

だからこそ、情緒という砂糖(毒)を、サウンドの中にまぶす匙加減が絶妙なのだ。
まるで、手馴れたシェフが客の味覚に合わせて料理の味付けをするかのように、本多は、甘いメロディや、人を小馬鹿にしているんじゃないかと思うぐらい、底抜けにキャッチーなメロディを臆面もなく作り演奏をするが、どこか必ず乾いている。

『マルサの女』、『ミンボーの女』、『ガンヘッド』などの映画のサウンドトラックは、どれもが印象に残る旋律にもかかわらず、どこか必ずそっけない。

ラテンタッチで能天気な「ミンボーの女」も? と思われる方もいるかもしれないが、あの能天気さこそが、シンプルな分かりやすさのウラに、「それだけじゃないんだよ」と思わせる何かがあるというか、シニカルな「含み」のようなものがあるような気がするのだ。

難解な言葉を自在に駆使する哲学者が、子供相手に気持ち悪いくらい流暢な幼児言葉を話しているような。

そんな座りの悪さと、どうしても行間を深読みしたくなってしまうサウンドが、逆に気持ち良い。

だから、明るい曲調のものでも、あまり能天気な気分では聴けないところが、彼の音楽のミソ。

そこがカッコイイ。

そこが分からない人には、TVでよく流れている単なるBGM。

聴き手を選ぶ音なんだ。彼の音楽は。

そんな本多俊之の魅力が満載のアルバムがコレ『サックス・ホリック』だ。

今でもワイドショーやラジオのバックに使われている音源も多いので、単なるBGM向けの当たり障りの無い音楽かと一瞬思うかもしれないが、1曲1曲をよく聴くと、すごくシニカルなアイロニーを含んでいるような気がするのは、ワタシの深読みのし過ぎ?

記:2009/11/21

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