寺井尚子とロン・カーターとスウィング・ジャーナル
2017/05/20
寺井尚子のヴァイオリンの「音色」に嵌っている。
そこで、彼女のパーソナルなデータを色々と調べてみたのだが、ブルーノート東京のホームページのデータが一番詳しいようだ。以下、一部手を加えた上で抜粋。
1967年、神奈川県生まれ、千葉県育ち。
クラシック音楽好きの両親のもと、4歳でバイオリンを始め、6歳でNHK教育テレビの「バイオリンのおけいこ」に出演。
'79年と'81年には、毎日新聞社主催の「学生音楽コンクール東日本大会」で奨励賞を受賞。
中学校2年生で左手を腱鞘炎で痛め、一時クラシックの道を断念するが、休養中に手にしたビル・エバンスの『ワルツ・フォー・デビー』などのジャズ・レコードで進路を見極めた。
20歳でプロ・デビュー、ジャズ・ピアニストの納屋嘉彦に師事して基礎固めをし、ホテル・ラウンジでの演奏を手はじめに本格的な活動を開始。
'90年代になると、東西のジャズ・クラブにも出演して注目を集め、'94年に来日中のケニー・バロンと共演。
これが縁となって『シングス・アンシーン/ケニー・バロン』(ユニバーサル・ミュージック)へのゲスト参加が実現した。
さらに翌'96年には、マル・ウォルドロンの娘マラ・ウォルドロン(父とそっくりな名前ですね・笑)の『ララバイ』でも好演し、内外に知られるアーティストになった。また、国内での活動も多岐に及び、向井滋春アコースティック・エレガンス、横山達治スペシャル・プロジェクトなどジャズ系のグループでプレイする一方、'97年は西城秀樹リサイタル、'98年には麻美れいリサイタルに特別出演し広い支持を集めた。
'98年12月に初リーダー・アルバム『シンキング・オブ・ユー』でデビュー、瞬く間にジャズ界のヒロインとなった技巧派バイオリン奏者。
底知れない実力は、ケニー・バロンのお墨付き。寺井のプレイに惚れ込んだバロンが、自らのレコーディングに彼女をニューヨークまで呼び寄せたほど。クラシックで鍛え上げた豊かな素養と、ジャズで磨いた抜群の躍動感で、これまでにない表現世界に挑む21世紀型アーティスト。
セカンド・アルバム『ピュア・モーメント』では、チック・コリアやスティングの名曲と共に、宇多田ヒカルのヒット・ソングもカバー、多彩な表現力が高く評価されている。
『シンキング・オブ・ユー』の発表後は、全国20ヵ所を巡るライブ・ツアーを敢行、ジャズ雑誌『スイングジャーナル』の人気投票で1位になるなど大きな反響を巻き起こした。2作目の『ピュア・モーメント』最新作はチック・コリアやスティングのカバーをしている。
「ヴァイオリン人生一直線!」といった感じのそうそうたる経歴だ。
さて、ファーストリーダー作と一緒に購入した2枚目のアルバム『ピュア・モーメント』は、恩師の池田達也師がベースで参加している。
チック・コリア作曲の名曲、《スペイン》は私の大好きな曲だが、これも演奏しているので期待に胸をはずませてCDを再生してみた。
あれ?どの曲も、ベースの音が小っこい。
というか、ほとんど聞こえないではないか!
もっともボリュームをもう少し上げてみたり、私の家のショボいオーディオではなく、それなりのシステムで聴けば、もっとベースの音が浮き上がってくるのだろうが、これは、どう考えてもミックスの段階で極端にベースの音を下げているとしか考えられない。
寺井尚子のヴァイオリンの音色をじっくり聴かせようという配慮した上でのミックスなのだろうが、弦楽器同士の「絡み」を堪能出来ないのが何ともモドカシイ。
せっかく、師匠のプレイを堪能しようと期待していたのに…。
このアルバム、『スイング・ジャーナル』でジャズ・ディスク大賞を取ったのだそうだ。
さすが、広告を出稿をしないと、選考にすらエントリーしてくれない『スイング・ジャーナル』(以下『SJ誌』)の大賞を受賞しただけはありますね(皮肉)。
もっとも、こういったことはギョーカイでは当たり前のことで、たとえば朝日新聞をはじめする全国紙が主催する広告賞も、これと同様に「選考エントリー料」を、向こうが望むスペースの広告(最低3段6分の1スペースとかね)を出広しなければならないので、どこの業界の似たようなものなのだが。
だから私は、このような業界の癒着ベッタリ体質の賞など、爪の垢ほども信用していないし、音楽の良し悪しの判断基準にはまったくしていない。
だって、『SJ誌』にインディーズ・レーベルが見開きカラー数百万の広告を出せますか?無理でしょ?
たとえば、「澤野工房」。
大阪に在住の澤野由明氏が、家族だけで交渉・制作・販売をこなし、少しずつ良質なピアノトリオのアルバムを出している小さなレーベルだが、安原顯の著書によると『SJ誌』は「広告を出せば、紹介してやらぬでもない」と言ったそうではないか。
『SJ誌』に広告を出せるのは大手レコード会社に限られてくるわけだ。
会社の大きな収入源でもある広告を、出広すれば当然誌面での扱い方が変わってくる。
なぜかというと、広告を掲載したらしたで、大切な「お得意さま」の商品なわけだから、たとえ内容が“クソ(まるしー・安原顯)”だとしても、他の新譜よりは広いスペースを割いた提灯記事が掲載されるからだ。
ジャズのCDは、毎月膨大な量が発売されている。
当然、ジャズに詳しくない人は、いや、マニアですら何を買えば良いのか分からないだろうし、迷う人も多いだろう。
そんなときに、ジャズ専門誌の『SJ誌』のお墨付きの記事が載っていれば、買う動機の一つに繋がることは容易に推察出来よう。
だから、つまらないロン・カーターなどのCDが大きく取りあげられたり、時には賞を取ったりもするわけで、何も知らずに「『SJ誌』が良いと言っているんだから買っても損はないだろう」とロン・カーターのアルバムを買ってしまった善男善女は、ロン・カーターのベースを「これがジャズのベースか!」と思い込んでしまう可能性が高いワケ。
仮に、「うーん、そんなにイイのかなぁ?」と感じたとしても、天下の『SJ誌』が良いと言っているわけだから、『SJ誌』よりも自分の耳の方がきっとオカシイんだろうな、ジャズはまだまだ良く分からないし。と納得してしまうのだろう。
ロン・カーターというベーシスト、たしかにマイルス・クインテットに在籍していた頃や、新主流派が台頭してきた一時期、主にブルーノートなどの吹き込みでは斬新なアプローチと個性溢れるベースラインを繰り広げたベースの名手なことには間違いないが(この時期のロンのプレイは私も好きだ)、近年の音程も音質もフニャフニャで、音楽的にも特に新しい試みや、斬新なアイディアの片鱗も見いだすことが出来ない上に、耳ざわりの良いスタンダードやボサノバや、クラシックを聴いている人からは悪い冗談としか受け取られないバッハなどに手を染め、往事の革新的な試みからは信じられないほど後ろ向きな姿勢になってしまったアルバム群の一体どこが良いのやら?
私もベースを弾いているので「ベース耳」になって聴いてみると、たしかに目からウロコが落ちて参考になる箇所も全く無いとわけではないが、もっと凄いベーシストは他にもたくさんいるぞ!と思うわけだ。
だから、ロン・カーターというベーシストは、『SJ誌』の評価ほど大したもんじゃありませんよ、「王様はハダカだ!」と指摘する子供役になったつもりで、このHPを立ち上げてすぐに「そんなにいいのか?ロン・カーター」という文章をアップした。
すごく反響があったコンテンツの一つで、多くの方からたくさんのメールをいただいた。
ほとんどの方が、「やっぱりそうだったのか!」「どうもオカシイと思っていたよ」という内容だったが、中には「どうしてダメなんですか?ボクはイイと思うんですけど」という内容のメールもあったが、まぁそういう人は幸せだったわけだ。
買ったCDがムダな買い物にならなかったわけだから。それはそれでいいんじゃないんですか?
いくら私でも、ロン・カーターをイイと思っている人に、いかにダメなのかを説くようなことはしない。
ただ、もし『SJ誌』の評価を鵜呑みにしているのならば、活字情報だけを信用せずに、もっと自分の耳に素直になった方が良いのでは?と言いたいだけ。
もっとも、ジャズの『SJ誌』に限らず、ゲームやパソコン雑誌もそうなのだから、あまり声高に叫んでもなんだか青臭いし、これはこれで一つの確立された「商売の仕組み」なわけだから、それを揶揄をしてもしょうがない。
そういう「仕組み」を分かった上で自分なりのチョイスの基準を設けた方が賢いと思うので、ベタ誉め記事を見つけたら、その号と前後の号にその商品の広告が載っていないかどうかを探して、ははぁ、やっぱり載ってやがらぁ、とニヤッとする方が面白いと思う。
それでも興味があれば買うし、興味がなければ、話半分と受け止める。
ホンモノとニセモノ、ウソとホント、宝とクズを見分ける良い訓練にもなるかもしれない。
少し話がそれたが、『SJ誌』でディスク大賞を受賞したからといっても、音楽そのものの価値が必ずしも良いとは限らないということです。
なので、1枚目と比較すると、音楽的躍動感の乏しい、このセカンドアルバムの『ピュア・モーメント』が『SJ誌』でディスク大賞を取ったのも、なんだか頷けない話ではないな、と思ったわけ。
私は遅きにやってきたファンなので、このアルバムが出た当時の『SJ誌』は見ていないし、どれぐらいの量の広告が出広されたのかも知らない。
もちろん、その年に発売された国内の新譜が揃いも揃って駄盤ばかりだった、という可能性もある。
それにしてもねぇ。ジャズ的躍動感の少ないこのアルバムでも「ジャズ専門誌」で大賞を取れちゃうんだなぁ、と妙に裏で行われたであろう政治物語を邪推せざるをえない。
……どうでも良いことなんですけどね。
アルバムとしては良く出来ていると思う。
良くまとまっていると思う。
まとまり過ぎてつまらないが。
寺井尚子のヴァイオリンが悪いというわけではないのだ。相変わらず良い。
音色の深さ、柔らかさには舌を巻くし、歌心もある。
この人は本当にウマイ人なんだなぁ、と心底思う。
ウマ過ぎて「破綻」が無さ過ぎるというのは、聴衆の勝手な無いモノねだりというものだろう。しかし、この破綻の無さっぷりを、もっと旨く生かせるようなアレンジなりプロデュースを出来なかったものなのだろうか。
リズム隊よ、もっと暴れろ。バックの演奏、ネコを被っているようではないか。ていうか、エンジニア、それ以前にベースの音をもっと上げろ。師匠のプレイが全然聴こえないではないか!
思うに、このアルバムでのプロデューサーの意図は、寺井尚子のヴァイオリンの音色「だけ」を聴かせたかったのではないか?
そして、ジャズファン以外の層に売りたかったのではないか?
プロデューサーは誰だか知らぬが、このような声が聞こえてきそうだ。
「はい、これが寺井尚子という今イチ押しのヴァイオリニストのアルバムです。彼女、美人でしょ?ホラ、ジャケットの裏も表も、彼女のアップの写真使ってますよ。いいでしょ?演っている曲も、スティングに、宇多田ヒカルでしょ?それにジャズの曲だと、有名なサマー・タイムやスペインも演奏してますね。これは、ジャズを聴いてない人も聴いたことあるハズの有名な曲ですからねぇ。気に入ってもらえること間違い無し!売れますよ、これは!」
つまり、音楽の「アルバム」を作るという発想よりも、寺井尚子というバイオリニストの「宣材」を作るんだという発想。
「ジャズのヴァイオリン」という表看板を打ち立てながらも、その実、ポップスとイージー・リスニングの中庸を行く路線でのアルバム作り。
そのためには、バックのリズム隊は控えめに、大人しく、無難なプレイに徹してもらう。
たしかに出来上がったサウンドは、耳当たりが良く、万人が聴きやすい仕上がりとなった。おまけに『SJ誌』のお墨付き。
多くのファンの獲得には非常に役立ったことだろう。プロデューサーが、もし、このように目論んでいたとしたら、その目論見は成功していると思う。
「売る」ことの関しては非常に優秀な人だ。
しかし、私は躍動感があって音楽的にも面白い1枚目の『シンキング・オブ・ユー』の方を断然支持する。
そういえば、ライブ盤も出ていたようだ。まさか、ライブでは猫を撫でるような大人しくて無難な演奏をしているわけはあるまい。次はライブ盤を買ってチェックしてみることにしよう。
記:2001/08/12
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