セロニアス・モンクが好きだ。
Thelonious Monk : Original Album Classics
はじめて「動くモンク」を見たのは、渋谷のジャズ喫茶「スイング」だった。ジャズの映像を観賞させてくれる店だ。
この店の常連だった私が、開店と同時に店内に入るとカウンターの中から、くわえ煙草のマスターが、「よう、今日は何がいい?」と聞いてきた。毎朝一番のりでやってくる私へのいつもの挨拶だ。
私は一瞬躊躇して「セロニアス・モンクを…」と言うと同時に、マスターは「モンク?あるよ!!いいねぇ!」と嬉しそうな声で、カウンターの奥から一枚のLDを持ってきた。
『セロニアス・モンク・イン・ジャパン』。
63年の来日時のスタジオでの収録盤だ。
「日本に来たときのやつだ。いい。こいつはいい!」
まるで独り言のように呟きながら、大画面のブラウン管とアンプやLDデッキのセッティングを始めた。期待に胸が弾む。
一曲目の《エヴィデンス》。
弾くというよりはピアノと戯れているかのようなモンク。
そして、チャーリー・ラウズのソロの中盤から、何と彼はピアノの椅子から立ち上がり、踊り出す。というよりはピアノの周りをふらふらと夢遊病者のように漂いだす。
なんじゃこりゃ~!!面白いぜ、このおっさん!!
ユーモラスというよりは、ちょっとイカレたピアニスト。
彼の出で立ちは、帽子をかぶり、スーツの上にコートまで着込んでいる。暑いだろうに、スタジオの中なんだから。案の定、だらだらとかいた汗を一生懸命ポケットから取り出したハンカチで拭っている。だったら最初からコート脱げよ(笑)!
とにかく映像で見る動くモンクはヘンで面白い。
しかし、演奏の方はというと、これが非常に良いのだ。ピリッとした緊張感にあふれている。
映像だけを見ているといい加減なピアノを弾いているように見えるが、よく聴くとツボを押えまくり。タイミングも完璧。キメルときゃキメてくれる。
ドラムのフランキー・ダンロップの小気味良いドラム。
ブッチ・ウォレンの手堅くスナップの効いたべース。
これらの堅実なリズム隊を従えて、あるときは遊び、キメル時にはキメるモンクのピアノ…
一発で虜になってしまった。
この「スイング」でのモンク観賞がきっかけで私の頭の中には常にモンクを占めるようになった。
だからといって、狂ったようにモンクのアルバムを蒐集したわけではない。それなりに気になるジャズマンも他にたくさんいたので、20枚に1枚くらいのスローペースでモンクのアルバムを増やしていった。当時はジャズ喫茶でアルバイトをしたりしていたので、聴きたい時はいつでも聴けたのだ。
モンクのピアノは、終生一貫したスタイルで、ある意味ワンパターンなのかもしれないが、一音を聴いただけで「モンクだ!」と分かる強烈な個性は、やはりワン・アンド・オンリーのものだ。
そして、弾いている内容は同じでも、演奏日時によってピアノの「表情」がまるで違う。
楽し気なモンク、
ちょっと襟を正して緊張しているモンク、
ぶち切れながらも冷静に燃えているモンク、
彼のピアノには本当に様々な「表情」がある。
私の最近のモンクに対する興味は、この「表情の違い」につきる。晩年のライブの録音が数多く出回っていて、重複する収録曲も多いが、それでも「表情」を聴きくらべてみると面白い発見がたくさんある。
モンクは、《ラウンド・ミッドナイト》の作曲者として有名なためか、シリアス&ハードボイルドな作曲者だと思われる方もいるかと思うが、あの曲はむしろ例外だと思う(もちろん名曲だが)。
どちらかというと「真剣にふざけている」曲や「素朴で、口ずさめるJAZZ童謡」がモンクス・ミュージックの真骨頂だと私は思っている。
「笑えるメロディ」、「何じゃこりゃぁメロディ」も多く、私はいつもモンクをかけながら、女房と「ははは、やってくれるぜ」と笑いころげることが多い。
まるでおもちゃ箱をひっくり返したような楽しくもニギヤカな魅力、そして我々聴き手の遊び心と好奇心を常に刺激してやまないピアニスト、それが世間一般の「難しい」という評価とは真っ向から対立する私のモンク感である。
私がこのようなサイトを立ち上げたのは、尽きぬモンクの魅力をもっともっと探っていこうと思ったからだ。
今だに世間一般で言われている「難解」「奇人変人」「テクニック不足」というモンクに対する評価に私は全く与しない。私にとってのモンクは「笑えて楽しい」「素朴で愉快」「そのかわりキメる時はビシっとキメル」だ。
だからといってこのような言説を用いて、一般的な社会通念に対立し疑問を投げかけようとも思ってはいない。自分で聴いて感じたことを正直に素直にこのサイトに書いていければ、と思っている。
記:1999/05/16