ユニット・ストラクチャーズ/セシル・テイラー
ブルーノートの2枚
セシル・テイラーはブルーノートに2枚作品を残している。
『ユニット・ストラクチャーズ』が1枚目、2枚目が『コンキスタドール』だ。
私はわかりやすい『コンキスタドール』のおかげでセシルを好きになったクチだが、1枚目の『ユニット・ストラクチャーズ』の良さになかなか気付くことができなかった。
このアルバムの良さが分かりにくい最大の理由は、掴みやすい「メロディ」が希薄であること。
いや、逆に『コンキスタドール』がメロディアスだったからこそ、『ユニット・ストラクチャーズ』にもメロディアスな要素を求めてしまったために、このアルバムでセシル・テイラーが表現したかったことに気がつくのに時間がかかってしまったのかもしれない。
《ステップス》のアンサンブル
『ユニット・ストラクチャーズ』にメロディアスな要素を求めること自体おかしなことなのかもしれないが、それでも私がこのアルバムの「良さ」に気がついたキッカケは、やはり「メロディ」だった。
1曲目の《ステップス》。
ジミー・ライオンズとケン・マッキンタイヤーのアルトサックスが奏でる旋律、というよりも「音形」は、なんだかよくわからない抽象的なものに長らく感じていた。
しかし、リー・コニッツの《サブコンシャス・リー》の少々複雑なテーマのメロディを口ずさめるぐらいになってきた頃、《ステップス》のテーマの「旋律」が頭の中にスッと入ってきたのだ。
たしかに、とりとめもない音の一筆書きのようなメロディではあるが、その場の思いつきで奏でられたメロディではなく、あらかじめフレーズの断片は作曲されたものに違いないと感じた。
ただ、定型を持たない複雑なリズムの上にこれらの「音形」を規則的に配列してゆくのではなく、フレーズを発するタイミングは、ホーン奏者任せだったのかもしれない。
それが証拠に、ジミー・ライオンズとマッキンタイヤーのアルトサックスのフレーズは、ピタリと一致していない。
いや、意図的に一致させていないのだろう。
ここではジミー・ライオンズが主導する形で先にフレーズを奏でると、それに追従するようにマッキンタイヤーが0.5秒か1秒遅れて同じフレーズを繰り出す。
キャノンボール・アダレイの『サムシン・エルス』のタイトルナンバーでは、マイルスがトランペットで吹いたフレーズと同内容のフレーズを1小節後にキャノンボールが繰り返していたが、このような、定型リズム(4ビート)に規則正しく乗っかった上でのフレーズの追従ではない(いわゆる、分かりやすいコール・アンド・レスポンス的な繰り返しではない)。
ライオンズとマッキンタイヤーのアルトは、時間軸に対して意図的に定型を持つことを放棄したかのようにフレーズを繰り出すため、ライオンズが奏でたフレーズをマッキンタイヤーが規則正しく追いかけるというわけではなく、時としてキメに近いフレーズになると突如ユニゾンになったりする。
このコンマ数秒遅れて同じアルトで奏でられるフレーズがかぶさると、まるでギターやキーボードにアナログ・ディレイをかけたような、揺れと軽い幻覚的な効果が生まれるが、おそらく《ステップス》という曲のテーマの狙いは、アルトサックス2台のズラシ効果から生み出される「幻覚効果」もあったのではないかと思われる。
これに気がついてしまえば、あとは、長めの「幻覚テーマ」の終了後は、いつものごとく各人のソロに突入するわけで、リズムに定型は持たぬものの、他のセシル・テイラーの演奏に耳慣れていれば、むしろ親しみやすい内容ですらある。
《エンター、イヴニング》のアンサンブル
次曲の《エンター、イヴニング》も、ベルが鳴ったり、マッキンタイヤーがオーボエを吹いたり、エディ・ゲイルがミュートを取り付けたトランペットを吹いたりと、比較的、高音域が強調されたアンサンブルが繰り出す奇妙に気だるい音空間が、なかなかとっつきにくく感じるのだが、よく耳をこらして聴いてみると、これもなかなか空間配列に凝ったアンサンブルだということが分かる。
オーボエとトランペットが怪しく交錯する幻覚空間の中、セシルの音数少ないピアノのバッキングが聴きどころで、これもフリーな演奏のようでありながらも、作りこまれたアンサンブルだということがわかる。
このように、滅茶苦茶なようでいながらも、わかりにくいフレーズを重ね合わせて一種独特の空気感が作り出された演奏は、確実に「即興一発」に依存した刹那的な演奏ではなく、アンサンブルとして聴き応えのある内容を生み出そうとする姿勢は、さすがブルーノートならではの作品だと感じる。
《テイルズ》で感じるセシルの美学
『ユニット・ストラクチャーズ』が難解だと感じる方には、まずは、ラストナンバーの《テイルズ》から聴いてみることをオススメしたい。
基本、ドラムとセシルのデュオなので、セシル・テイラーというピアニストが持つ表現内容がよく分かることだろう。
驚異的なスピード感や集中力、そして表面的には山下洋輔に似ていながらも、勢いとインパクト一発な山下ピアノとは明らかに異なる緻密かつ繊細で、大事なことをあからさまに曝け出すことを潔しとしないセシル独特の美学(要するにわざと分かりにくくしているとも言える)を感じ取ることが出来ればしめたもの。
この表現の上に、一聴複雑そうでいながらも、その実、よく聴けば明確な構造と設計図の上で構築された1~3曲目のアンサンブルも、身体の中にスッと入り込んでくるのには時間がかからないだろうと思う。
同じブルーノートでも『コンキスタドール』は分かりやすいセシルの筆頭だが、『ユニット・ストラクチャーズ』は、分かりにくい、というよりも、良さがオブラートにくるまれて分かりにくいアルバムの筆頭かもしれない。
しかし、その良さにいったん気が付くと、一気に狭く小さな穴が瓦解して、突如として広がりが生まれ、そこから無数の光が差し込んでくるかのようにセシル・テイラーの表現の奥深さが一気に分かってくるのだから面白い。
謎が多いようでいて、謎の仕組みがあるとき「ハッ!」と気がつくと、面白いように『ユニット・ストラクチャーズ』の中の音が脳と身体に染み込んでくるのだから面白い。
記:2015/09/11
album data
UNIT STRUCTURES (Blue Note)
- Cecil Taylor
1.Steps
2.Enter, Evening
3.Enter, Evening (alternate take)
4.Unit Structure/As of a Now/Section
5.Tales (8 Whisps)
Cecil Taylor (p,bells)
Eddie Gale (tp)
Jimmy Lyons (as)
Ken McIntyre (as,oboe,bcl)
Henry Grimes (b)
Alan Silva (b)
Andrew Cyrille (ds)
1966/05/19