ウッドベースを買った。
身体が求めている
ウッドベースを買った。
購入する2~3日前から、どういうわけか指とカラダ全体がウッドベースのことを猛烈に弾きたがっていて、押さえることが出来ないほどの状態になっていたからだ。
このニュアンス、言葉で説明するのはなかなか難しい。
とにかく仕事をしていても、食事中でも、寝ているときも、カラダの状態やカラダの内部の「気持ち」みたいなものがウッドベースを構えたり、弾いている時の姿勢や力の入れ具合になっているのだ。
もちろん実際にはウッドベースを構えたポーズを取っているわけではないのだが、カラダの中がウッドベースを持っているような気分になってしまっているのだ。
椅子に座ってパソコンを打っていながらも、指と腕、そして腰がウッドベースを構えた力の入れ具合にになっている。このギャップは相当に気持ちが悪い。
かつてオールドのジャズベースを購入したときもそうだった。
他のことをしていても、指先が常にベースを「弾いている」のだ。
寝ても覚めても、オールドショップで試奏したベースの弾きやすさ、感触の良さを指が勝手に再現している。
「欲しいけどお金がかかるので買わないほうが良いのだろうけど、でも、欲しい。」
この気持ちを「ベースが俺を呼んでいる・カラダがベースを求めている」→「だから買うしかないのだ」と勝手に自分を納得させて購入してしまったが、今回の症状もこれと似たようなものだ。
「ウッドベースが私に弾かれたがっている、だから買ってあげなきゃ悪い。」
「俺の指がウッドベース禁断症状に陥っている。買わなきゃ治らないに違いない。」
「そう、これは一種の治療なのだ。」
……というワケの分からない納得の仕方をして楽器屋へ向かった。
楽器店にて
その前に、フェンダーのオールドのプレシジョン57年モノ、これを下取りに出してしまった。
ちょっと勿体無い気もしたのだが、家でも外でもほとんど弾くことの無かったベースだったので思い切って処分してしまった。
金銭的なことよりも、「俺はウッドを真剣にやるんだ!」という気持ちの踏ん切りをつける儀式的なニュアンスのほうが強い。
タバコサンバースト塗装にメイプル指板、ボディ全体の塗装が良い具合に剥げていて、非常に味わいのある風合いを醸し出しているプレシジョン。
だが、私のメインベースはあくまで65年のハカランダ指板のフレットレス・ジャズベースだ。
ウッドベースと並行して2本のベースも弾きこなすほど私は器用ではない。
しかも、その2本のベースは、フレッテッドとフレットレスだし、その両方を弾くほどの時間もない(私はフレットレスとフレッテッドは別の楽器だと思っている)。
それに、今までずーっとそうだったのだが、私のキャパで常に構ってあげられるベースの本数は2本が限界。
いままで何本もベースを取り替えてはきたけれども、手の届くところにある本数は常に2本だった。エレキを弾くならジャズベースの1本だけ!と決めてしまったほうが、気が散らずに練習にも集中できる。
というわけで、店の人には「本当に良いんですか? もう、こんなに良いものは二度と手に入りませんよ」と脅されたが、聞く耳持たず。えい!とばかりに売ってしまった。
多少の名残惜しさも感じつつ、プレシジョンを売ったその足で別の楽器屋へ直行。
弦楽器コーナーで、1本のベースに目星をつけた。
ウッドベースというと普通、茶色のボディを思い浮かべるが、私は色が若干黒めのこげ茶色の楽器に目をつけた。
オリエンテという日本のメーカーのものだという。
早速試奏をしてみた。
ボーンと、ゆっくりと空間を揺らし、次いで柔らかく空気を包み込むようなウッドベース特有の低音。
こればっかりは、絶対にエレキベースでは出せない音だ。
クラシックの弓弾き用のかなり高い弦高になっていたので、ハイポジションになればなるほど弦を押さえるのには指の力を要した。
うーむ、手強い。
学生時代に、チャキのウッドベースを安く譲ってもらった折、夢中になって弾きまくったら指に巨大な水脹れが出来て、しばらく弾けなくなったことを思い出した。
それでも弾いてみないことには楽器の善し悪しが分からない。
それに、指とカラダがやっとホンモノを弾けたぜ!と喜んでいるではないか!
ポール・チェンバースの最も有名なリーダーアルバム・『ベース・オン・トップ』の2曲目、《ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ》を弾いてみた。昔ウッドベースで練習した曲だ。
ウッドベースには、もう何年も触っていなかったので、音程があやふやだが、それでもアルバムの通りのイメージ、これぞウッドベースだ!と自分の出す音に浸り、聴き入っていた。
きっと、そんな私を周囲はアホだと思って見ていたに違いない。
10分ぐらいしか試奏していないのだが、購入を決定。
リペアマンと弦のバランスに関しての打ち合わせに入った。
弦の高さ
将来はトライするかもしれないが、今のところクラシックの演奏は考えていない。
ということは、弦高をどうしようか、という話になった。
クラシックでの演奏はアルコ奏法(弓弾き)が主になるので、弦高はかなり高めになり、逆にピチカートが主となるジャズのセッティングは低めの弦高に駒を削るのだそうだ。さらに弦を指板に叩きつけるスラップ奏法が多用されるロカビリーになると、ほとんど指板と弦が接触するぐらいの低い弦高にセッティングされる。
もっとも、どの高さまでがクラシック用で、どの高さ以下がジャズ、といった厳密は境界線は無いのだが、ちょっとした弦高の差が演奏上では大きな差になってしまう。
ジャズ仕様は弦高は低くするというが、昔のジャズベーシストは弦高を高くして弾いていたのだ。
弦高が高いほうが大きな音量が出るからだ。
昔のまだPA技術が発達していない時代のベース弾きは、少しでも音量を確保するために弦高は高めにセッティングしていた。
レイ・ブラウン、オスカー・ペティフォード、ポール・チェンバース、チャールス・ミンガス……。
最近ではロバート・ハーストのベースも、高めにセッティングされた音だと思う。
一音一音、太い音塊を放つ彼らのサウンドは、いかにもアンサンブルの屋台骨を支えるベース!そのもので、とても魅力的だし、大好きだ。
だから弦の高さに関しては、かなり迷った。
一方ではハイポジションでのフレーズも、正確な音程でラクラクと弾きこなすジョージ・ムラーツやニールス・ペデルセンに憧れる自分がいて、もう片方では、寡黙でちょっと鈍重で、必要最低限の音しか弾かないのだけれども演奏の要をしっかりと押さえている武骨で「男」なベーシストに憧れている自分もいる。
もっとも、相当な練習と経験を積まなければ、どちらの域にも達することは出来ないのだが……。
散々悩んだ末、ジャズとクラシックの中間の弦高にしてください、と何ともよく分からない弦高の高さをお願いしている自分がいた。
弦高が高いほうが指の練習になるだろう、という安易な考えでだ。
そして、弦の幅のセッティング。
これもクラシックとジャズでは微妙なセッティングの差があるそうで、弓弾きのクラシックの弦間は広め、ピチカートがメイなのジャズを弾く場合の弦間は、若干狭目になっているのだそうだ。
弦の幅が狭いほうが弾き易いことは確かだが、将来、ウッドベースでジャムセッションに参加して店のベースを使用する際、自分のベースよりも弾きにくいセッティングのベースだとイヤだなと思ったので、弦の幅はそのまま広い状態のままにしてもらった。
余所で弾くベースよりも、家で練習に弾くベースの方が弾きにくいほうがまだ良い。
このようにして、何だかよく分からない仕様の「俺専用」のウッドベースにカスタマイズしてもらっている間、店の譜面コーナーでコントラバス用の教則本を物色した。
教則本
チェロやバイオリンの教則本はたくさん出ているが、コントラバスの教則本の種類は思いのほか少ない。数冊しか無いのには驚いた。
やはり人口の少ない楽器だからだろう。
私が選んだのは、松野茂という人が書いた『コントラバス教則本』。
理由は単純で、最も簡単そうで、ページ数も少なかったからだ。
簡単で基礎的なことを丁寧にこなす。そして自信をつけてゆこう、と思ったからだ。
もう一つの理由は、各ポジションごとのエクササイズが充実している上に、ところどころに無味乾燥な練習にならないための配慮からか、練習曲が挿入されている点だ。
とにかく、この一冊は丁寧に何度も何度も繰り返し練習しようと誓った。
弦楽器売り場のお客さんたち
それにしても、面白かったのは、弦楽器売り場の客層だ。
いかにも語尾に「ざます」をつけて話していそうな、金持ちで教育ママ風な母親が子供にバイオリンを弾きなさいと強要している場面もあれば、初老の上品な真摯がバイオリンの弓を物色していたりする。
また、ブレザーを着た神経質そうで色白だが金持ちのボンボン風学生が、熱心にチェロのコーナーを見ていたり、育ちの良さそうな小学生の女の子がバイオリンの弦を買いにきたのか、店員に「ドミナントの何々線がどうのこうの」と私には理解不能な単語を語りかけていたりする。
なんだか、私とは無縁なアッパーミドルの方々たちがたくさんいらっしゃっているかと思いきや、リーゼントに皮パン姿のロカビリー風の兄ちゃんたちがウッドベースをしげしげと眺めている。
なんだか、あまりにも両極端な世界の住人が、狭いフロアの中で共存しているというギャップに、おかしさがこみ上げてきた。
ケースも購入
ウッドベースを持って帰るため、また将来持ち運びで使用するためのポリウレタンがたっぷりと中に入ったソフトケースも同時に購入。
これでベースを包むのって結構苦労する、というか面倒臭いんだよな。
オプションとして、移動の際に便利そうななテイル・ピンに差し込む車輪も購入しようと思ったが、注文取り寄せになってしまうのだそうだ。
加えて車輪を使用することは店員からは反対された。なぜなら、地面の凸凹による振動や衝撃がダイレクトに楽器に伝わるので、楽器のバランスが崩れる恐れがあるからなのだそうだ。
オーネット・コールマン・トリオのLDで、フランスの街中をベースのデビッド・アイゼンソンが車輪をつけたウッドベースを抱えてコロコロと転がしてゆくシーンを見た時から格好いいな、真似をしたいなと思っていたのだが、それは断念。買って間もない新品の楽器のバランスを崩すのも勿体ないし。
こうして付属品を買いそろえている間に、楽器の調整が完了し試奏してみた。
やはり弦高を若干下げてあるので、出てくる音のボリュームが若干だが小さくなっている。まぁこれはしょうがない。
店員2名に協力してもらいながらベースをソフトケースに包み、よっこらせっと持ち上げて楽器屋を後にした。
ウッドベース in 電車の中
肩にずっしりと食い込むウッドベースは重い重い。
本当は車で家に帰りたかったのだが、ワゴン車ならいざ知らず、普通のタクシーのトランクに入る大きさではない。
とにかくデカイ楽器なのですよ。
幸い帰りの電車は空いていたので良かったが、車両の中ではかなりのスペースを陣取っていたと思う。
しかも、ボーズ頭、骨のシャツを着た上にジージャンを羽織り、迷彩ズボンと下駄を履いたデカイ男が、デカイ楽器を大儀そうに抱えて、「風俗王に学ぶ裏恋愛論」といった本をカバーもかけずに読んでいるのだから、私の周りには人がいなくなってしまっていた。
空席もたくさん出来たが、こんなデカイ楽器を抱えて座席に座るワケにもいかず、なんだか妙に涼しい空間の車両に揺られながら帰宅した。
部屋の壁に立てかけると、楽器屋で見たときよりも一段と巨大に感じてしまう。ほとんど「家具」と呼んでも良いぐらいだ。
ソフトケースから出す様を来月には2歳になる息子が興味津々な顔つきで熱心に眺めている。大学時代の友人の口癖「子供はデカイものとジャンボ・マックスが大好きだ」を思い出した。
ケースから取り出して、4弦をボン!とはじくと、女房は素敵な音色ねと感心し、息子はキャッキャッと大喜びをして、近くにあった子供用のドラムセットを連打し始めた。
これは、もしかしたら将来親子でリズムセクションを組めるかもしれないな、などと楽しい想像をしつつ、一緒に買った『コントラバス教則本』を開き、音程の練習を始める私だった。
とにかく、出来るだけ時間を見つけて練習をして、早く人前で演奏出来るだけのレベルに達したいと思う。
それが今の私にとっての最重要課題だ。
記:2001/04/16(from「ベース馬鹿見参!」)