カフェ・モンマルトル

高野雲の雑記帳。音楽・映画・読書・模型。

雑想 2022年6月

      2022/06/27

小田原攻め 兵糧

戦国末期、1590年の秀吉による北条氏への小田原攻め。

秀吉率いる軍勢は、小田原城を囲い、のんびりと優雅に兵糧攻めをしていたというイメージを個人的には抱いていたが、実際はどうもそう簡単なものではなかったらしい。
実際、最近では秀吉側の軍勢は、兵糧がつきかけていたという説も出ているほどだ。

なにしろ20万人の軍勢を維持する食料だけをとっても莫大な量になる。

一説によると、20万人の胃袋を満たすために必要な1日の経費は、現在の相場に直すと、およそ9000万円から1億円にものぼるという試算も出ている。

備中高松城の水攻めの際は、大金を投入し、きわめて短期間で堤防工事を完遂させた秀吉のことだから、それぐらいのことは余裕なのかもしれない。
しかし、仮に潤沢な資金があったとしても、また円滑なロジスティックス(兵站)が整備されていたとしても、天候や裏切りなど想定しえぬ事態により、これまで築き上げた小田原包囲網がいつなんどき瓦解するやもしれぬという不安は常に秀吉の中につきまとっていたのではないだろうか。

秀吉が小田原城を見下ろす石垣山の一夜城に本陣を置き、宴会を催すほどの余裕をみせつけていたことは、退屈だったからではなく、おそらく北条方に余裕を見せつける心理作戦の意図が大きかったと考えられる。
出来るだけ早く小田原城内に厭戦気分のみなぎらせ、早期開城にもっていこうという計算が働いていたに違いない。

また、出来るだけ食料の負担を軽減させようという意図があったとすれば、小田原城を包囲しつつも、秀吉は石田三成や浅野長政、徳川勢などに北条方の支城攻略に向かわせたということも納得できる話ではある。

『のぼうの城』で有名になった「忍(おし)城」攻めもその中の一つだが、これは北条配下の城を徹底的につぶすという意味合いよりも、兵士の口減らしの意図が大きかったのかもしれない。

戦うことなく城を囲み、ぼんやりと何日も費やし、ただ飯を食うだけでは兵糧が底をついてしまう。
だったら、近隣の北条方の城を攻め、その際食料は現地で調達しろ、と。

あくまで推測ではあるが、歴史物語の中では「成金による余裕の城攻め」という文脈で語られることの多い秀吉の小田原征伐だが、その実態は、伝え聞き、イメージしている内容とは、少々異なっていたのではないかと、最近ぼんやりと考えはじめている。

昔のジャズ評論

昔のジャズ雑誌、それも今から50年近く前の『ジャズ批評』や『jazz』、『スイングジャーナル』を読んでいると、もうとにかく評論家の舌鋒鋭いこと、鋭いこと。

いや、「鋭い」というのとはちょっと違うかもしれない。

ネガティヴワードのボキャブラリーの多さには感心するしかなく、これらネガティヴワードが羅列されればされるほど、なんとなく一筋縄ではいかない感や、きちんと物事を考えている感が漂ってくるから不思議なものだ。

もちろん、優れた評論も少なくないのだが、なかにはやたら難しい言葉を並べつつも、結局のところは大したことを言っていない評論も散見される。

どうも難解な言葉は、論旨の脆弱性をカムフラージュする煙幕のような効果があるようだ。
たとえるなら、一見大きく立派に見えるエビフライの厚手の衣を剥いでみると、中から出てくるエビに身は細くてひょろひょろな貧弱だった、みたいな感じかな。

難解な言葉を並べれば、そして批判的な主張を書きつらねたほうが「知的にみられる」というヘンな思い込みが当時はあったのだろうか。
あったんだろうなぁ。

というより、もしかしたら肯定的で平易な文体を読者側が良しとしない風潮があったのかもしれない。

せっかく歌謡曲や演歌とは違う「高級な(?)」ジャズという音楽を聴いているのだから、ジャズの評論もそれに見合う「難解なもの」でなければならないという読み手の自尊心もあったのだろう。

もちろんすべてのジャズファンとまではいわないが、一部のコンプレックスの強いジャズファンは「オレ様は、お前らと違って、難しい音楽を聴いているのだ」と思い込むことによってプライドを維持していた可能性も考えられる。

だからこそ、分かりやすい文章よりも、一癖も二癖もある評論のほうが読者から受けていたのかもしれない。

小学生にも分かるような文章では、きっとコンプレックスが強いジャズファンの自尊心は満たされなかっただろうから。

だから、時には、批判のための批判のような文章もある。
時には、軸足がブレているのか、ジャズ観がきちんと定まらないまま評論を書いているのか、主張の一貫性が感じられないものもある。

そして、こういうものを読むにつれ、良い音楽や、海外の文化をまだ知らぬ人に紹介しようという意図よりも、自らの権威の維持と誇示、そして文化人であることの自己主張を他人のふんどし(レコード)の上で繰り広げているように感じる。

それはそれで、興味深いし、ツッコミどころもあったりして楽しいのだが、筋違いなことを書かれたジャズマンはいい迷惑だろう。

よく「何を根拠に言っているのですか?」というセリフがドラマなどで使われることがあるが、楽器もわからん、ジャズもよく分かってなさそうな評論家先生の場合、それこそ「何を根拠に、そんなに自信たっぷりなんですか?」と問いただしたくなってしまいますね。

マグロ 水銀

最近のキハダマグロに含有されている水銀量がヤバいらしい。

アメリカの研究者の調査によると、なんと毎年4%もアップしているとのこと。

これが本当だったら、マグロ食うの控えないと、と思ってしまう。

まあ、キハダ以外にもクロマグロ(本マグロ)、ミナミマグロ(インドマグロ)、ミナミマグロ(インドマグロ)、メバチマグロ、メバチマグロ、ビンチョウマグロ、コシナガマグロなど色々な種類のマグロがあるので、確認すればいいだけの話ではあるけれども、正直、面倒くさい(汗)。

B-2unit風 サルとユキとゴミのこども

これには中々ツボりひょん!

《thatness and thereness》のようなプロフェットの音色で、《サルとユキとゴミのこども》を伴奏するとは。

なかなかのアイデア。

品性下劣なジャズリスナー

自らの理解力の無さを顧みず、ミュージシャンのせいにするリスナーが時々いる。

モードジャズがわからない。
⇒演奏者のせい

みたいな感じ?

おいおい、それは違うだろ?

あんたの耳がタコなだけではないか。

もちろん、すべての人間にわかるジャズ、というよりは芸術表現なんてない。

合う、合わないの相性の問題もあるだろう。

合わなければ聴かなければ良いのだ。

そっと、静かに離れれば良いのだ。

それがまっとうな大人の作法だろう。

しかし、一言言わずにはいられない。

イタチの最後っ屁をかます。

それが余計。

自分の感性の「鈍」っぷりを棚に上げ、表現者をこきおろし、その音楽を愛好するリスナーにまで時として攻撃の矛先を向ける。

品性下劣な行為と言わざるをえない。

健康 感謝

生きていれば、相応に小さな不満はいろいろ無いことはないけれども、50歳を過ぎている現在、とりあえずは持病はなく健康であること、薄毛や禿ではないこと、肥満ではないこと、身長180センチ以上であること、これだけをもってしても感謝をしなくてはならないと考える今日この頃。

シン・ウルトラマン 出てなかった怪獣たち座談会

微妙に面白い。

こちらも面白い。
仮面ライダー、なぜ、どうして、ウルトラマンのスペシウムを浴びたんだ?

ククルス・ドアンの島 ギレン総帥の演説

シャアの「お爺ちゃんだからさ」には吹いた。

あと、「トップガン観に行こと思っていたけど、ギレンさんの演説聞いてククルスドアン観に行くことにします♪」というコメントにも吹いた。

ハラスメントに悩むシンジとレイ

たしかにエヴァ初号機のパイロットという経歴があれば、「ビズリーチ」から、ばんばんスカウトが来るだろうな(笑)。

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