セシル・マクビーの指 山下洋輔の《マイ・フェイヴァリット・シングズ》
ジャズのベースを習い始めると、というか、習わなくても、ジャズの4ビートのベースを弾いていると、エレベ、ウッベどちらのベースでも、クラシックのコントラバスを弾くような指使いになってきます。
親指をネックの裏側にあてて、残りの4本指を弦の上に置くような「あのカタチ」です。
このフォームが、弾いていてラクな上に、正確な場所に指を着地させやすいからです。
少ない動きで、たくさんの音域がカバーできるというメリットもあります。
だから、「動くベースライン」には最適な指のカタチといえましょう。
しかし、このフォームを守って、ひたすら同じパターンを繰り返すことになると、フレーズ(リフ)の内容にもよりますが、だんだん、手が疲れてくることがあります。
私なんかは、曲によっては、左手の手のひらの真ん中あたりが、グリグリとした痛みを感じてくることもあります。
ひとつのパターンを繰り返よりも、色々な音を拾って奏でたほうがラクなフォームでもあるのです。
だから、私の場合、ひたすら同じリフや反復フレーズを繰り返す曲の場合は、「ジャズ的」な持ち方ではなく「ロック的」な握り方をすることも時と場合によってはありますね。
どの持ち方が良い、悪いというわけではなく、ケース・バイ・ケースで対応できて、「サウンズ・グッド!」なのが一番だと思ってますから。
ところで。
山下洋輔の『プレイズ・ガーシュウィン』というピアノトリオのアルバムがあるのですが、このアルバムに収録された《マイ・フェイヴァリット・シングズ》、ベースがひたすら同じ反復パターンを繰り返すのですね。
そのベースのパターンも、結構忙しいのですが、このフレーズを奏でるには、通常のコントラバスを弾くときのようなフォームでないとあのスピードでは、無理だと思われます。
(あくまで、私が自分でベースで音をなぞった感触ではそう感じました)
しかし、あの持ち方、あのスピード、あの指の規則的な動き……
結構、疲れるんですよ。
とういか、シンドイ。
持久力のない私は、次第に手のひらがグリグリしてくる。
しかし、さすがはセシル・マクビー。
フェーロン・アクラフの猛然としたドラム攻撃や、山下洋輔の鍵盤連打攻撃にもひるむことなく、ひたすら「例のパターン」をベースで繰り返し続けています。
なんたる体力、
なんたる持久力。
あっぱれ、これぞベーシスト!
ま、私が単にヘボいだけなんですが……。
それにしても、演奏の最初から最後まで、ほとんど、例のパターンを繰り返し続けるだけではなく、鋭く攻撃的な低音の勢いも失せるどころか、ますます音にエッジが加わってきているのには唖然とするほかありません。
比較的穏やかなスタンダードの演奏も多く聞きやすい内容のアルバムではあるのですが、《マイ・フェイヴァリット・シングズ》が始まったときだけは、私の場合、無意識に傍らにあるウッドベースのネックを無意識に握り、鼻息荒く、演奏にあわせている自分がいるのです。
そして、ヘバる……。
今度は、エレキベースを手に取り、しばらく演奏して、そして、ヘバる……。
記:2015/03/20