楽しく笑ってあとは忘れてしまう…… 生きるというのは、それだけのことでしかないんだろうか

      2021/01/31

ケニー・ホイーラーが参加

マイルス・デイヴィスがTOTOの『ファーレンハイト』のラストナンンバーに参加したように、

ソニー・ロリンズがローリング・ストーンズの『刺青の男」に参加したように、

ブランフォード・マルサリスやケニー・カークランドがスティングの『ナッシング・ライク・ザ・サン』や『ブリング・オン・ザ・ナイト』に参加したように、

ジャズマンがロックやポップスのアルバムに参加した例は枚挙にいとまがない。

トランペッター、フリューゲルホーン奏者のケニー・ホイーラーもその例に漏れずだ。

そう、デヴィッド・シルヴィアンの作品だ。

JAPAN解散後の最初のアルバム『ブリリアント・トゥリーズ』や、次作の『ゴーン・トゥ・アース(遥かなる大地へ)』でも、叙情的かつメロディアスなトランペットを吹き、シルヴィアンが醸し出す独特な世界を彩っている。

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Gone to Earth (W/CD)Gone to Earth

とりわけ、私は『ゴーン・トゥ・アース」に収録されている、まるでショートエッセイのような短いナンバー《ラフター・アンド・フォーゲッティング》が大好きで、曲の後半を叙情的に締めくくるホイーラーのメリハリのあるフリューゲルホーンの音色と旋律に魅了され続けている。

茫洋かつスケール大きな音空間

この『ゴーン・トゥ・アース』は、発売以来、それほど高い評価を得ているとは思えない。

耽美的すぎる、自己陶酔的な世界が延々と続く楽曲ばかり。

私の周囲のみならず、音楽評論家によるレコ評も似たり寄ったりだったように記憶している。

果たしてそうだろうか?

いや、実際、そうなのかもしれないが、《闘牛が始まる前に》や《ウェイヴ》などの長尺曲のように、スケールの大きさや世界の奥深さを表出するためには、ある程度の尺の長さも表現として必要なのではないかと思っている。

実際、私はこの2曲が大好きで、特にコードの流れを含め、《ウェイヴ》のアレンジや、ロバート・フィリップのギターの音色と旋律、そしてそれあの音世界に重なり合う歌詞の世界が大好きだ。

濃霧に覆われたかのような茫洋とした広い音の空間、曖昧な輪郭が少しずつ具体的な形を帯び始めるかのような曲の進行過程は、他のシルヴィアンの作品では味わないテイストだ。

濃い霧の中から何かがボンヤリと浮かび上がってくる。

音のみならず、ヴィジュアル面でも、そのようなイメージの世界が大好きな私は、余談ながら、プラモを塗装する際のイメージの根底にあるものは、常に「霧の向こう側に茫洋と佇む巨大物体」だ。

なので、仕上げは、ビビットでシャキッとした色合いを避け、どこかピントが甘く、薄ぼんやりとしたニュアンスを常に出したいと考えているのだ。

まだまだ試行錯誤を繰り返している段階ではあるのだけれども。

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素敵な歌詞の日本語訳

そのようなボワ〜、モワ〜なノスタルジックな世界を、多感な十代の頃に私のイメージの奥底にインストールしてくれた『ゴーン・トゥ・アース』の存在感は今でも大きい。

アンニュイな絵画のようなインストナンバーも多く、先述した通りの長尺曲もあるため、10回程度聴いたくらいでは、なかなかアルバム全体の世界観を把握することは難しいかもしれない。

しかし、ケニー・ホイーラーが参加し、2分40秒前後の短い時間の中に、サラリと奥の深い世界が投げ込まれた《ラフター・アンド・フォーゲッティング》のような素敵なナンバーもあるので、未聴の方も臆せずにトライしてみて欲しい。

この歌のラストの部分の歌詞。

Are these the years of laughter and forgetting?

これを翻訳者の内田久美子氏は、こう日本語に訳している。

楽しく笑ってあとは忘れてしまう……
生きるというのは
それだけのことでしかないんだろうか

素敵な訳だと思いませんか?

記:2017/07/01

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